ひとりの兄弟は師父マカリオスに言いました。
「霊父よ、わたしはあやまちを犯しました」
すると師父は答えられました。
「息子よ、聖書に『わたしは悪人の死ではなく、むしろ、悪人がその道を改めて、生きるようにと望む』(エゼキエル33:11)と書いてある。だから、わが予よ、痛悔しなさい。そうすればおまえの痛悔を嘉される心の柔和なお方(マタイ11:29)、われらの主イエズス・キリストのよろこびに輝くおん顔を拝むことができるであろう。
赤ん坊が手をひろげて母親のほうを見ると、母親の顔がひとりでにほころびるように。赤ん坊が垢だらけでも、「うんち」臭くても、そんなことには無頓着だ。ただただかわいくて胸に抱きしめ、顔にはよろこびがあふれ、赤ん坊のすることは何でもかわいいからだ。被造物である人間が自分の子供をこんなにかわいがるのなら、われらの創り主イエズス・キリストのわたしたちに対する愛はどれほどだろうか」
大聖マカリオス 稗田操子訳『大聖マカリオスの言行録』中央出版社、pp.40-41
「霊父よ、わたしはあやまちを犯しました」
すると師父は答えられました。
「息子よ、聖書に『わたしは悪人の死ではなく、むしろ、悪人がその道を改めて、生きるようにと望む』(エゼキエル33:11)と書いてある。だから、わが予よ、痛悔しなさい。そうすればおまえの痛悔を嘉される心の柔和なお方(マタイ11:29)、われらの主イエズス・キリストのよろこびに輝くおん顔を拝むことができるであろう。
赤ん坊が手をひろげて母親のほうを見ると、母親の顔がひとりでにほころびるように。赤ん坊が垢だらけでも、「うんち」臭くても、そんなことには無頓着だ。ただただかわいくて胸に抱きしめ、顔にはよろこびがあふれ、赤ん坊のすることは何でもかわいいからだ。被造物である人間が自分の子供をこんなにかわいがるのなら、われらの創り主イエズス・キリストのわたしたちに対する愛はどれほどだろうか」
大聖マカリオス 稗田操子訳『大聖マカリオスの言行録』中央出版社、pp.40-41