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ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ 9

2023-03-14 21:40:46 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、9

 でも、まだまだです。「困ったなあ、そうだ、司教さまに話してみよう」と考えついて、司教さまに梢談した結果、ウゴを小神学校に入れるのに成功しました。1912年でした。

 まだ13歳なのに、ウゴ・ラッタンツィは、着衣式をうけて、もう正式な神学生です。

 ある日、神学校では、校長の神父さまが、しきりに首をひねっていました。「ウゴ神学生は、いつも1番の成績だというのに。送金してくれていた主任神父さまは転任になったし、家族はあんなに貧しくて、神学校の費用はとてもむりだ」と考えていたからです。しばらくして、「そうだ!」と言って、彼は、ウゴを呼びました。

 事情をウゴに話してから校長の神父さまは、ウゴに改まった調子で言いました。

「ウゴ君、きみと、一つの契約をしようじゃないか」

「はい、神父さま、何でございましょうか。」とウゴ。

「君が、いつもクラスでトップの成績を続けるなら、費用はみんな私がひき受けよう。どうだね」

 素晴らしい幸運をもたらしたこの校長のノガラ神父さまは、のちに司教に叙階され、いつもラッタンツィ神学生の面倒をみてくれたのでした。

 父は父で、つたない文字ではありましたが、それなりに一生懸命便りを書いていました。信仰と愛情でウゴの召し出しを励ましたのです。

 当時は、まもなく第1次世界戦争が始まろうとしていて、生活は、次第に難しくなりかけていました。そしてついに、戦争は勃発したのです。そのとき、中学4年生になっていたウゴ神学生は、兵役につかねばなりませんでした。彼が毎日ミサに与るため、許可を願っていた上官は、ある日のこと、といっても、あれから何年も経っててからのことでしたが、すでに神父になったウゴと再会して、驚いて言ったのでした。

「神父さま、あなたは、もしや、あの昔わたしの部隊にいて、毎朝ミサのために外出許可を頼んでいたあの兵士では……?」

「そのとおりです」と、微笑んで答えた人も、尋ねた人も、共に司祭でした。

 しかし、今はまだ、それどころではありません。

(写真:兵役当時のウゴ神学生(矢印)その前にいる将校は、のちに司祭になった)






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