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4-15-5 敦煌の戸籍

2023-03-15 00:07:44 | 世界史
『六朝と隋唐帝国 世界の歴史4』社会思想社、1974年
15 敦煌の秘宝
5 敦煌(とんこう)の戸籍

 現存する中国の戸籍としては、敦煌から出た西涼の建初十二年(四一六)のものがスタイン文書にあり、もっとも古い。
 しかし敦煌から出た戸籍で、いちばん多いのは、やはり唐代のものである。
 それは敦煌の寺院が仏典をうつすために、保存の期限のきれた戸籍を、官庁から払い下げをうけて使用したため、写経の裏として、偶然に残ったものであった。
 短いものはあちこちにあるが、やや長いものには、ペリオ文書の開元九年(七二一)籍、天宝六載(さい、七四七)籍、およびスタイン文書の大暦四年(七六九)手実(しゅじつ)がある。
 手実というのは戸主の戸籍に関する申告書であるが、内容は戸籍とかわらない。
 これらの戸籍は、敦煌の人たちの姿を具体的にしめしている点において、歴史家の興味をひくものである。
 また、ほかに円代戸籍の現存していない今日では、唐代の一般の人たちのことを推測するのにも、かけがえのない価値をもっている。
 さらにこの戸籍では、家族の構成がわかるだけではなく、公課の負担のことも記載され、唐代の土地制度である均田制や、兵役制度である府兵制に関する記述があって、政府と人民のかかわりあいの具体的な姿も知ることができる。
 唐令によれば戸籍は、戸主の申告する「手実(しゅじつ)」にもとづき、次年度の公課を記入した「計帳」を資料として、三年に一回、三通を郷ごとに作成することになっていた。
 一通は県にとどめ、一通は州の役所に、そして一通は中央の尚書省の戸部(こぶ)におくられた。
 では実際の戸籍(右図)にもとづいて、その書きかたをながめてみよう。
 ①行目には、戸主の姓名、年齢をまず書く。
 その下にある「白丁」の丁は、年齢による老・丁・中・小・黄の区分であって、(時期によっていくらかの変動があるが、天宝六賊では)老は六十歳以上、丁は二十三~五十九歳、中は十八~二十二、小は四~十七、黄は一~三歳をさした。この制度を「丁中制(ていちゅうせい)」とよぶ。
 白丁とは丁であるが、そのとき特別の任務がないことをしめしている。
 「下下戸」とは、戸等(ことう)といって、戸の等級をあらわしたものである。
 上上から下下までの九等にわかれた。
 敦煌戸籍にあらわれるのは、下中か下下が多い。均田制のもとで戸に等級のあるのはふしぎであるが、実際にこのように存在した。この戸等に応じて、租庸調(そようちょう)の正規の税役のほか、戸税(こぜい)が徴集された。
 「空」とは、これ以下に記載のないことを示す。
 いまのわが国の戸籍でも、これにあたる記載がある。その下の「課戸(かこ) 見輸(げんゆ)」は戸籍の本来の記載とはべつのもので、役所において別筆で記入したものである。
 公課の負担のある戸が「課戸」であり、負担のないものは「不課戸」である。
 「見輸」は、現在において実際に公課を負担していることをしめしている。
 見は現の意味である。
 ②行目から⑧行目までは家族の記載であって、まずはじめに戸主との続柄を書く。
 ②行目の「王」は祖母の姓で、他家から嫁してきたものは名前は書かず、姓のみを書く。
 同姓は結婚してはいけないことが、律できめられており、そのためにも姓をしめす必要があった。
 「寡」は寡婦(やもめ)で、これは給田関係にも必要であったから、書かれる。
 ④行目の「丁妻」は、丁男の妻であることをしめす。
 本来ならば妻は一人しかない規定であるが、二人妻、三人妻のあるものが、この天宝六載籍にある。
 しかしそれは官職のあるもののばあいが多く、一般の庶民はほとんど一妻であった。「天宝三載籍後漏附」というのは、妻の王氏が、天宝六載籍の前籍にあたる天宝三載籍(戸籍は三年に一度、作成される)には記載がなく、そののちに「附(つ)」けたことで、前籍後の異動があれば、このように記される。
 ⑤行目は紙の継(つ)ぎ目で、そこには郡または州名(唐代、郡と州は同一行政区画で、時期によって州という)、県名、郷名、里名、何年籍と書き、その上に県印が押してあるのが普通である。


大暦四年手実(敦煌出土)

 ⑥⑦⑧行目は、戸主の弟妹で、小・中などの区別と男女が書かれる。
 女性は結婚しないかぎり、何歳になっても「中女」と記されている。
 なお、この戸には戸主の子供は記されていない。子供はないわけである。
 ⑨行目は、均田制にもとづく給田状況の記載である。
 「合応受田」とは、この戸にどれだけの額の土地が授田されるべきかということで、その下の「壹(一)頃(けい)陸拾参(六十三)畝(ぽ)」が、その額である。
 なお一頃は百畝、一畝は二百四十歩、一歩は五尺平方、一尺は約三一センチである。
 均田制にあっては、丁男および十八歳以上の中男に、一人あたり永業田二十畝、口分(くぶん)田八十畝が給され、永業田は子孫につたえ、桑・楡(にれ)・棗(なつめ)などを植えることが義務づけられた。
 口分田は、ふつうの穀物を植える田で、老となったり、また死亡すれば国にかえすことになっていた。
 この戸に一頃六十三畝の給田があるのは、戸主の劉智新が丁男として、口分・永業で百畝、すなわち一頃があり、ほかに寡が二人いて、寡には三十畝の口分田を給せられることになっていたから、あわせて六十畝になる。
 のこりの三畝は「園宅地」といわれるもので、良民は三人ごとに一畝、三口ごとに一畝を加えるから、この戸は七人で三畝となっている。
 その下の「陸拾捌(六十八)畝巳受」は、一頃六十三畝のうち、実際どれだけの額が給田されているかをしめし、六十八畝では、規定額のおよそ三分の一である。
 べつにこの戸が特別なのでなく、敦煌戸籍では平均して三分の一ぐらいしか給田されていない。
 これがじつは、均田制一般の実状だったのではないかといわれている。
 また均田制の規定どおりに、土地の給付や返還がおこなわれていたか、あるいは従来の所有地を、単に規定に合わせて書きなおしただけであるかについては、学者のあいだに意見の相違がある。
 最近では、還受がおこなわれたとする説が優勢のようであるが、かならずしもそうとは言いきれない。
 「廿(二十)畝永業 卌(四十)七畝口分 一畝居住園宅」は、己受田六十八畝について永業・口分・園宅地のうちわけをしめしている。
 ⑩行目以下は、六十八畝が何区画に分けて給田されているかの記載である。
 「一段」とは、その一区画をさし、段はわが国で用いるような、面積の単位ではない。その一区画の面積、永業・口分の別、その所在地が、城西何里の何渠(きょ)に面するかで書かれる。
 渠は水利のための用水路である。
 その下に、東-、西-、南-、北-とあるのは、これを「四至(しし)」といい、その一区画の土地の東西南北に何があるかが記される。人名が多い。
 そこに「自田(じでん)」というのがあり、これを均田制によらない私有地と解した人もあったが、認められていない。
 自分の田を自田とよんだ用例はなく、この自田のうまい解釈は、いまのところ学界でも、あらわれていない。
 「墓」は墓地、「仏図(ふと)」というのは、仏寺のことである。
 この戸籍のなかでは触れられなかったが、人民の負担として兵役があった。
 唐代では首都に十二の「衛(えい)」があり、そこに兵士を供給する「折衝(せっしょう)府」が地方にあって、徴発や動員や訓練にあたった。
 折衝府の数は六百余、そのうち四百ちかくは長安と洛陽の付近にあり、全国に均等におかれたものではない。
 そして折衝府のおかれている州の人民にのみ、折衝府の兵、すなわち府兵となる義務があった。
 その点、兵役は地方によって負担の差があったわけである。
 兵役にあたったものは、首都におもむいて十二衛で警備にあたり、それを「衛士」といい、在役中に一回は国境で「防人(ぼうじん)」として勤務する。
 府兵の在役期間、ほかの税役は免除された。
 また唐代では、兵役のほかに税役制として、ふつうには租庸調といわれるが、厳密に言えば、租(そ)・調(ちょう)・役(えき)・雑徭(ぞうよう)があり、それは丁男にかけられた。
 租は毎年「二石(こく)」(一石は十斗、一斗は十升、一升は〇・六リットル)。
 調は、絹二丈と綿(まわた)三両(一丈は十尺、一尺は三一センチ、両は十六両が一斤で六〇〇グラム)。
 絹のでないところは麻で納めることができた。
 役は、年に二十日、このほかに地方的な役(えき)の雑徭があった。
 なお役を課さないばあいは、一日につき絹三尺で、これを「庸(よう)」といった。
 この税役制は、唐より以前にあっては、戸もしくは「牀(しょう)」(床)とよばれる夫婦単位であったのを、丁男を対象とするように改めた。
 戸の単位であると、戸が分戸しないでいくら大きくなっても、税役の差がつけにくい。
 牀単位のときは、結婚しても届けない弊害があったからであった。
 また唐以前の均田制では、奴婢(ぬひ)や耕牛にも給田があったが、これも唐代には廃止された。
 これがどのような理由による改革になったかについては、いろいろの議論がある。
 奴婢や耕牛を多くもっているものは大土地所有者であるから、この制度は大土地所有の抑制であるとみられないこともない。
 しかし問題はなお残っていて、たやすく結論をだすことはむずかしいのである。


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