聖エセルブルガ St. Ethelburga 記念日 7月7日
イギリスの東アングルの王女であったエセルブルグは、幼い時から修道女になることを望んでいた。彼女の姉セクスブルガはケントのエルコンベルト王に嫁いで非常に王を感化した。
福者ベーダによると、エルコンベルト王は国中に布告を出して、あらゆる偶像を破棄するように命じた最初の王であった。また、四旬節の大斉を命じて守らせたとも伝えられている。
王女のエルコンゴダは叔母のエセルブルガと共にゴールに行って修道院に入った。まだ、イギリスには修道院が少ししかなかったからであった。
エセルブルガは、フェアムーティエの修道院長となって、12使徒に捧げられた教会を建て始めたが、それが完成する前、665年に死去して、遺体は建てかけの教会の中に葬られた。
修道女達はその教会を完成することを断念して、エセルブルガの遺骨を聖ステファノ殉教者の聖堂に葬った。
是非、フェイスブックのカトリックグループにもお越しください。当該グループには、このブログの少なくとも倍の良質な定期投稿があります。ここと異なり、連載が途切れることもありません。
イギリスの東アングルの王女であったエセルブルグは、幼い時から修道女になることを望んでいた。彼女の姉セクスブルガはケントのエルコンベルト王に嫁いで非常に王を感化した。
福者ベーダによると、エルコンベルト王は国中に布告を出して、あらゆる偶像を破棄するように命じた最初の王であった。また、四旬節の大斉を命じて守らせたとも伝えられている。
王女のエルコンゴダは叔母のエセルブルガと共にゴールに行って修道院に入った。まだ、イギリスには修道院が少ししかなかったからであった。
エセルブルガは、フェアムーティエの修道院長となって、12使徒に捧げられた教会を建て始めたが、それが完成する前、665年に死去して、遺体は建てかけの教会の中に葬られた。
修道女達はその教会を完成することを断念して、エセルブルガの遺骨を聖ステファノ殉教者の聖堂に葬った。
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