カトリック情報 Catholics in Japan

スマホからアクセスの方は、画面やや下までスクロールし、「カテゴリ」からコンテンツを読んで下さい。目次として機能します。

(ボネ神父伝37)女性とボネ神父さま

2017-07-07 12:41:28 | ボネ神父様
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、37

(c)女性とボネ神父さま

 神父さまは、青年をことのほか愛されましたが、女性とのお話は最少限度に遠慮しておられたようです。しかし新田原にこられてからは、患者にたいするやみがたいいつくしみが、性の別をこえて、あらゆる人々にあふれ出てゆきました。

 では、あの荒けずりの武骨な巨漢を、かの女たちはどう感じていたでしょうか?まずここにその思い出をきいてみましょう。

◆、アッシジの聖フランシスコ

 5月のころでしたか、蝶も蜂も花から花へとんで回るころのある日、わたしは教会の近くまで散歩にいって、ちょうどやぎを小屋にいれようとしている神父さまをみかけました。立ちどまってみていますと、つぎ鴫がチョコチョコよってきて、神父さまは、これにまるで子どもにでもいうように、なにか、ひとこと、ふたこと、いいきかせて鶏小屋のなかにいれてやりました。

 つぎは、うさぎでしたが、これもフランス語で謙しては、お尻をたたいて箱にいれました。黒いスータンを着たあの大きな神父さまと、小さなかわいい動物たち一この対照は、なんともいえない、ほんとうにほおえましい光景でした。

 興にのったわたしは、神父さまのあとについて、お庭のほうに行ってみました。すると、蜜蜂の箱が二つ、三つあって、その回りには働き蜂が真っ黒になるほどむらがっていました。わたしは刺されないかとひやひやしながら、「神父さまは、蜜をとられるとき、どんな物をかぶられますか?」とうかがってみました。

 するとご返事は、まったく思いもよらぬことで、「何もかぶったりせんじゃ、おとっつあんが取るのにむすこが刺したりせんじゃ」というのです。

 はじめて聞いた蜜の取りかたでした。わたしは、老神父のうちに、あの、自然も、動物も、あらゆるものを兄弟としていたアッシジの聖フランシスコを思いうかべてみました。

 あるとき、かの聖人の足もとに、木の上からたくさんの小鳥たちがまいおりてきました。それは、聖人の説教に耳をかたむけるためでした。それで聖人は、このかわいい兄弟たちにむかって、かんで含めるようにたいへんやさしく話しはじめたのです。

「わたしの姉妹である小鳥たちよ!あなたたちは、どこへでも飛んでゆかれます。美しい着物も着ています。働かずに食べられます。美しい声で歌われます・・・このような大きなおめぐみを、つくり主からいただいていますあなたたちは、つくり主を深くお愛し申しあげ、いつでもどこでも神さまに感謝し、ほめたたえなければなりません・・・」と。




是非、フェイスブックのカトリックグループにもお越しください。当該グループには、このブログの少なくとも倍の良質な定期投稿があります。ここと異なり、連載が途切れることもありません。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。