ですから、親愛なる兄弟の皆さん、あなたがたの意志放棄を完全なものにするよう努め、また主からいただいた自由を主なる創造主に、主の代理を通して惜しみなくささげなさい。そして、あなたがたに自由意志を与えられた神に従順によって完全にそれをお返しできることは、自由意志のとるに足りない行為であると思ってはなりません。こうすることによって、あなたがたは自由意志を失うことはなく、かえってそれを完成します。ほかでもなく、神の代理としてあなたがたを統轄する上長が解き明かす神のみ旨という、まったく正しく確実な規準に、自分の意志を一致させることになるからです。したがって、上長の意志(つまり神のみ旨とみなすべきもの)を断じて、自分の意志のほうに押し曲げようとすべきではありません。なぜなら、それは神のみ旨をあなたがたの意志の規準にすることではなく、自分の意志を神のみ旨の規準として、神の英知の秩序をくつがえすことになるからです。目下の者が自分のしたいことに上長を引っぱろうと努めておきながら、従順を守っていると考えるのは、利已心で知性を暗まされた人々のはなはだしい誤りです。この点について経験豊かな聖ベルナルドの言葉を、よく聞いてください。「なんとかして自分の望みどおりのことを霊的指導司祭から命令してもらおうと工作したり、悪知恵を働かしたりする人はだれでも、もし、みずから従順だと得意になるなら、自分を欺いています。なぜなら、その場合、かれが上長に従っているのではなく.上長がかれに従っているのです」と。したがつて結論を述べますと、従順の徳にまで達したいと思う人は、この従順の第二段階ーつまり(実行だけにとどまらず、さらに)上長の意志を自分の意志とし、いわば自分の意志を脱ぎ捨てて、上長によって解き明かざれた神のみ旨を身にまとうところーにまで、どうしても登らなければならないのです。
聖イグナチオ・ロヨラ 「ポルトガルのイエズス会士への書簡」1552年10月8日
聖イグナチオ・ロヨラ 「ポルトガルのイエズス会士への書簡」1552年10月8日