そのとき、わたしの生活はまったくあなたにみたされ、真に生けるものとなるであろう。しかし、あなたは今、あなたがみたされるものを高められるが、わたしはまだみたされていないゆえに、わたし自身にとって重荷でおる。わたしのうちにはわたしの嘆かわしい喜びと喜ばしい悲しみとが相争っている。そのいずれが勝利をしめるかわたしは知らない、ああ、悲しいかな、「主よ、わたしをあわれんでください」。ああ、悲しいかな、なんということか、わたしはわたしの傷をかくそうとしない。あなたは医者で、わたしは病んでいる。あなたはあわれみに富み、わたしはあわれむべきである。「地上における人間の生活は、試練ではないだろうか」。だれが苦痛の中、困難を欲するであろうか。あなたはそれらを耐え忍べと命ずるが、愛せよとは命ぜられない。何びとも、たとい耐え忍ぶことを愛しても、耐え忍ぶものを愛したい。耐え忍ぶことを喜ぶけれども、それよりも耐え忍ぶへきものがまったく存在しないことを欲するからである。わたしは逆境にあって順境を熱望し、順境にあって逆境を恐れる。これら二つの境遇のあいだに、人間の生活が試練でないような、中間の位置を占あるものがあろうか。この世の順境は禍いである。逆境の恐れと順境の喜びの滅びるということによって、二重に禍いである。この世の逆境は禍いである。すなわち、順境の願いと逆境そのものの苦難と忍耐の破壊とのゆえに、三重に禍いである。「地上における人間の生活は」、間断のない「試練ではないであろうか」。
聖アウグスティヌス

聖アウグスティヌス
