スカプラリオは首から下げるものです。財布に入れたり、腰(ベルト)につけるものではありません。このような人たちは、スカプラリオの恵みを受けることはできないでしょう。
聖母の約束では、「この衣服を着る者は、地獄の火を免れる」だったはずですが、着てはいないのですから。衣服を着ずに、カバンに入れて持ち歩いても、携帯したことにはなるかもしれませんが、着ていたことにはなりますまい。急場にだけスカプラリオを身につける、と公言している人も同様です。この人達は、聖母の約束を無視していますね。
スカプラリオを首から下げず、財布やベルトにしまおうとする人たちの動機は何でしょう。対象はやや違うかもしれませんが、私は、聖書のこの言葉を連想します。あり方は、似ていると思います。
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
ローマの信徒への手紙 1章16節
わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。
ルカによる福音書 9章 26節
身につけていても、生き方がその精神とかけ離れていれば、やはり同じことなんだろうとは思いますが・・・。
聖母の約束では、「この衣服を着る者は、地獄の火を免れる」だったはずですが、着てはいないのですから。衣服を着ずに、カバンに入れて持ち歩いても、携帯したことにはなるかもしれませんが、着ていたことにはなりますまい。急場にだけスカプラリオを身につける、と公言している人も同様です。この人達は、聖母の約束を無視していますね。
スカプラリオを首から下げず、財布やベルトにしまおうとする人たちの動機は何でしょう。対象はやや違うかもしれませんが、私は、聖書のこの言葉を連想します。あり方は、似ていると思います。
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
ローマの信徒への手紙 1章16節
わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。
ルカによる福音書 9章 26節
身につけていても、生き方がその精神とかけ離れていれば、やはり同じことなんだろうとは思いますが・・・。