①身にしみる…
一生懸命にやっていたつもりでも、何かのキッカケで、身にしみる思いをした時には、
今までの一生懸命さが、まだまだ足りぬことに気付くことが多い。
身にしみると言うことは、尊いことである。有難いことである。
物事をきちっとやり遂げるには、事の大小を問わず、そこにやはり身にしみると言うものが根底になければならない。
あの豪華華麗な大阪城が、今のような文明の利器もなく不便な時代にわずか、一年半で築造されたと言う。
その大業の根底には、やり通さなければ首を切られる。と言う命を掛けた真剣さがあったのである。
命を失うかも知れないと言うことほど、身にしみる ものはない。
今一度、本当に 身にしみる 思いで自分の仕事を振り返ってみたい。
②教えなければ…
人間は偉いものである。大したものである。
思想も生み出せばものも作りだす。正に万物の王者である。
しかし、偉い人間も、生まれ落ちたまま何も教えず導かなければ、野獣に等しい暮らししか出来ないかも知れない。
古来、どんなに偉い賢者でも、親や先輩の教えを受け導きを受けて、そのうえで賢者になれた。
教えも導きもなければせっかくの素質も泥に埋もれたままである。
教えずして何も生まれてこない。
後輩に対する先輩の、人間として大事な務めなのであり、お互いに毅然とした態度で、人間としての愛情と熱意を持って、果たしているかどうか。
教えることにもっと熱意を持ち、そして教えられることにもっと謙虚でありたい。
教えなければ、なにも生まれてこないのである。
③自分の非…
人間は神様ではないのだから、一点の非の打ちどころがないなどとは到底望めないことで、
ときに過ち、ときに失敗する。
大切なことは、いかなる時でも、その自分の非を素直に自覚し、
これに、いつでも殉ずるだけの、強い覚悟をもっているということである。
昔の武士が潔かったというのも、自分の非をいたずらに抗弁(簡単にいえば相手方の主張に対する反論、言い訳)することなく
非を非と認め、素直にわが身の出処進退(世に出て仕えるか家にいるか、その職に留まるのか辞めるべきか)をはかったからで、
ここに修行の出来た一人の人間としての立派さが、うかがえるのである。
難しいと言えば難しい事かも知れないが…
それにしても近頃の人間はあまりにももろすぎる。
修行が足りないと言うか、躾ができてないと言うか、素直に自分の非を認めないどころか、
逆に何かと抗弁をしたがる 。(@_@;)
そして出処進退を誤り、身の置き所を失う。(T_T)
とどのつまり、自暴自棄になって、自分も傷つき、他人も傷つけることになる。(--〆)
これでは平和も繁栄も幸福も望める訳がない。(ToT)/~~~
自分の非を素直に認め、いつでもこれに殉ずる!
この心構えを常日頃から、お互いに充分に養っておきたいものである。
今日は、私自身の身にしみて、教え、未熟さを認めた上で、(-_-;)
お互いが切磋琢磨し、一生懸命一日一日をしっかり学び進んで、生きたいと思います。(^^)/