適材適所。
私が、数十年前始めて店長になった時の研修で耳にした言葉です。
この、適材適所という言葉は一番記憶に残っていました。
そして、松下幸之助さんの著書を読んでいると、またこの言葉に行き着きました。
適材とは優れた人のことと説明しておりますが
この優れた人というのは、言い換えれば、人間はみな優れた人材ということになります。
自分が働いて、人生を過ごして、毎日何事にも感謝の気持ちで、
幸せと思える時を、実感できている人は問題ないような気がします。
そうでないとき...
辛かったり、苦しかったり、悩みがあったり...
それは人を成長させ、学びのある意味のある試練なのだと受け止める。
ブレイクスルー思考で頑張っていくことがいいと思うのです。
そして
適所。と言う言葉の意味は...
これが職場で適任と認められ人望厚く、能力を発揮できる場所にいられる時。
幸せと思える環境、成功できる部署、配属、職位と言ったことになるのでしょうね。
これが中々くせもので、肩書き地位や名誉=収入と結びついて
自分の得意な分野とかけ離れて、場違いな場所で働かないといけないとき、
やりたくない職種を与えられて、無理をしなければいけなくなった時、
試される時...色々ありますが職位が上がらないとお給料も上がらない
平社員でいた方がよほど、その人らしく伸び伸びと幸せに頑張れる場所であるにも関わらず
いい人材に、肩書きをつけ、仕事を増やし、つぶして駄目にしてしまう会社の組織に
理不尽でやりきれない思いを抱くのですが...
(因みに私は、今幸せです。。゜・*・。゜(*´∀`)。・。゜・*・。゜)
(会社にはいつも感謝の気持ちで働かせて頂いているので問題ありません。)
(もしあるとしたら、その時は、相談し改善の方向を一緒に考え前向きに対処しています。)
(心の持ち方で自分を楽しくする方法はいくらでもあると思うのです。)
(素直で柔軟に変化できる人。思い込まず、努力し反省できる人は、幸せになれますよね。)(深)
(家庭に帰れば優しい主人と、頼もしい子供達、逆かな?)(笑)
(まぁ話を聞いてくれる人がいること、苦言を言ってくれる家族、それを反省する自分。)
社会でも、家庭でも、
この役割が丁度自分にあっていて、ゆとりを持って、力を発揮できているのに
無理をさせて自然体でいられない状況を作ってしまう、社会の仕組み...
その部署のエンターテーメントでいることが出来ない組織ってもったいないですね。
私がこの場で、偉大な松下さんの言葉に共感してブログを書いても仕方のないことですが、
何か人に対してもっと優しい環境、
ちょとだけ目標を上にして頑張れる環境。
思い込まず、柔軟な思考、相手を受け入れる、受容しながらお互い話し合う。
自分を良く知る、背伸びせず、怠け過ぎず、人を思いやるゆとりのある環境。
もしかして...
死なないとそんな世界には辿り着けないのかも知れません。
だから、悩みがあって、大変なことがあって、お金がなくて、
思い通りに行かない人生が楽しいのかも知れませんね。
余談ですが、
昨日あると方と会話していてとても気持ち良く優しい気分で、ホッとした自分がいました。
もう一人の方との会話はあまり心地よくない、
やんわりとだが、私の揚げ足をとり、意見を言う風な感じ...
人生の先輩として何か見ておれず、物申して気付かせたかったのかも知れない。
どちらもありがたいことですが...
この差はどうしてだろうと?くるっと頭を回転させたら...
そう、一人の方は、先ほども言ったように、「受容」して話をしてくれるのです。
私の話を、受容して聞いてくださいます。
何を言っても否定せず、お小言も言わず、だからそうでしょ!と言い聞かせるわけではなく。
終始一貫して、「そうそう、それはあなたが成長している証拠よ!」
と言ってくださったり、「そう考えられるのは洞察力、洞察眼があるからよ!」と
リフレーミング(物事を良い解釈に変える表現方法)のシャワーで
話していてとても気持ち良かった。
肩書きや地位や名誉に躍るわけでもなく、普通の人。
(もしかして適所に身を置けているのかも知れませんね)
魂のレベルの高い人とは、こう言う人のことを言うのだとも思いました。
こんな風に人を傷つけずに、励まし認めて、受け止めて気付かせる方法があるのだなと。
とても感慨深く感じ入った一こまでした。ありがとうございました。