予報では暴風雪注意報~なんて出てましたが
とりあえず行ってみないことにはどうにもならないので
出発!
地吹雪がひどかったけど
なんとか到着。
空港内は平穏で飛行機も遅延はあるものの欠航はないようなので安心して
搭乗口へ。。。
遅延(^▽^;)
ま、飛ぶのならいいです♪
空が混雑していて飛行機の到着が遅れたため。。。と機内アナウンス
やっぱり多少揺れましたが
北海道上空を離れると青空が広がり
まもなく意識喪失
気が付くと東京湾上空( ´∀` )
無事に到着いたしました♪
来れてよかった^^
暖かい空気にストールが邪魔になりコートのボタンも全開にして都内を移動し
東京駅から新幹線で1時間弱
高崎駅に到着
妹と後部座席にまた一段と弱った母💦
お母さんが患者みたいだよ(~_~;)
そのまま父の入院する病院へ行き
先日、叔母に(母の姉)電話で母の状態と私がお見舞いに来ることを伝えていたので
叔母夫婦、母の弟になる叔父夫婦と駐車場で合流。
叔母たちと会うのは十数年ぶりになるので
も~~ハグしちゃったりしてね~
私は小さい方ですがその私より小さくなってしまった叔母でしたが
とっても元気そうで嬉しかったです♪
「あっちゃん」なんてね
久しぶりに呼ばれました(笑)
父はとっても元気で
入院の経緯なんかを叔母たちにしゃべりまくってましたが
それを聞いていても母はメソメソ。。。
まもなく先生からのお話があると言うことで
父と母と妹と私で部屋に入りまして
造影検査の結果を聞きました。
点滴の効果がないのとバルーンでもダメなレベルの血栓。。。
また泣いてる母💦
でも、バイパス手術で救える患者さんであること。
この手術が出来るのは稀で運の良い患者さんであること。
これは最初の処置が早かったからです。
会社の方に感謝。
年齢を考慮した上での統計をみても救える可能性は高いと。
で、手術に伴うリスクのお話を聞いていて
また泣く母。
そこで父が「自分の親だったら先生はどうしますか?」
統計的にもよい結果が出ているので手術をして救いたい。と先生。
「じゃ~やりましょう!お願いします!」と父。
ではその方向で。。。と私と妹。
で、泣く母(-_-;)
ま、そんな事情も先生にお話して
手術の予定は3月までいっぱいだって事ですが
いろいろ考慮し日程を後日決めましょう。
って事で終了
叔父叔母の待つ談話室へ行き
長女も来てくれたので
みんなで今後などについて話あったりバカ言ったりして過ごし
父の夕飯の時間になったのでみんなで病院を後にしました。
で、眠ってしまったので婿ちゃんと
駐車場の車中にいた孫っぴーを抱っこして泣かれて
バタバタしちゃったけど長女たちとはここでお別れ。。。
また来るよ。手術の時に。
そしてみんなで大移動をして
夕飯を食べながら母の今後についてのご相談。
入院中は妹だけに負担がかからないよう
叔父や叔母たちも力になるからって。
困った時は助け合おう。って言ってくれて
あっちゃんも心配だろうけどみんなで頑張るから。ってね。
本当にありがたいです。
ありがと~♪またね~♪ってお別れし
妹んち泊
缶チューハイ飲みながら
母についてあれこれ話してたらね。
妹のダンナが。
うちにいればいい。親だもの、それが当たり前だろ。ってね~言ってくれたの。
本当にありがたいね。
感謝感謝。。。
まずは手術日決定待ちで
それからまた相談しよう。って事で就寝
起床~バス停まで送ってもらって
帰りますよ~~
空港着
定番のお土産買って手荷物預けて身軽になったら
いつものカフェへ♪
ガッツリ食べて
搭乗口へ向かい
スタバでこれ買って
休憩
けっこう長い休憩
で、定刻通りに飛べそうで機内への案内が始まって
可愛い飛行機に搭乗
向こうに白く霞んでスカイツリーが見えました♪
私は東京タワーの方が好きだけど^^
そしてまもなく離陸
じゃ~ね~♪本州~♪
行きは爆睡して飲み損ねちゃったコーヒーをいただいて
いろいろ考えたりぼ~っとしたりしながら
じ~~っと雲を観察していました。
津軽海峡のフェリー
北の大地
日高山脈が見える向こうに長男がいるんだな~なんて思いながら
鹿を探しながら
着陸
ただいま。
スーパーに寄って夕飯の買い物を済ませ
ツルツル路面を帰る。。。10℃超えの世界から氷点下の世界へ。。。
滑って怖くてノロノロ走ってたら
暗くなっちまったぜ( ̄▽ ̄;)
でも無事に帰宅~
お土産
一番のお気に入りはこのリップとハンドクリーム
羽田にある雑貨屋さんで買いました♪
リップは次女に送ります^^
そして就寝
今日はおやつもあるし
のんびり過ごそう~~と思ったら
学校から電話。。。💧
次男坊の体調が悪いという。。。ので
迎えに行って病院に連れてって風邪って事で
帰宅。。。
午前中終了
お昼だよ
みんなにお昼をあげました^^
今日のイーヨーは暖かいため裸体です( ´∀` )
にしても母があそこまで弱るとは想定外。。。
こういう悩みはまだ10年先だと思っていたからね。
「親孝行したい時分に親はなし」よく父が言っていた。
そうなる前に気が付けたのはよかったと思いたい。。。