ちょつといっぷく 越前若狭 時季の風物詩

越前の風物誌などをお送りします・・・

白山神社平泉寺の光と影、そして そのかおりと歴史 その三

2015-07-15 00:00:42 | 時事

三ノ宮 安産の神様

栲幡千千比賣命 (タクハタチヂナヒメノミコト)

この神様は万幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコト)ともいわれ

機織物の神様とも言われ伊勢神宮 内宮にも祀らわれている、

名前は日本書紀にも出ていてかなり重要な神様で

天照大神の養子-天忍穂耳神の嫁さんになって繁栄にかかわる美人の神様

この神様も明治以後の廃仏稀釈の時に取り入れられたようです

下は現在も発掘調査を行っている場所で石畳の道は当時のままの再現のようです


いろいろな神様があり社には相撲取りの願掛けの絵馬がかかっていた、

この石積壁は平泉寺が隆盛の時のまま現在に残っている景観です

上の史跡は楠木正成のお墓です


白山神社平泉寺の光と影、そして そのかおりと歴史 その二

2015-07-01 18:30:25 | 時事

1192 (建久3) 源頼朝、鎌倉幕府を開く。
1195 (建久6) 源頼朝、平泉寺領藤島荘の年貢1000石を没収する


1292 (正応5) 時宗二世他阿、鎌倉時代後期の時宗の僧 府中(今の福井県越前市)

で平泉寺僧に乱暴される。平泉寺と府中は距離にして2-30kはなれているが勢力は

越前の広範囲で影響をあたえていたようです、典型的な宗派間の争いです


1333 (元弘3) 平泉寺衆徒、大野郡牛原荘の地頭淡河時治と戦い時治敗れて自害する

この時期平泉寺の武力は絶頂時期で周辺の武士の集団を壊滅させるほどの力があったようです

1338 (建武3) 足利尊氏、室町幕府を開く

1440 (永享12) 平泉寺、火災のために焼失する
室町幕府、北陸道七か国の棟別銭を平泉寺造営費用にあてる
(棟別銭とは国郡の家屋に賦課された租税の事)

1467 (応仁1) 応仁・文明の乱(~1477)

1471 (文明3) 朝倉氏、一乗谷を本拠とする。以後、平泉寺は朝倉氏と結ぶ


1573 (天正1) 朝倉義景は、姉川の合戦で近江の浅井氏を救援するが、織田信長に破れ一乗谷に退く

その後、大野で一族の朝倉景鏡の反逆にあい、自刃する。一乗谷焼亡、朝倉氏滅亡する。

平泉寺、本覚寺等の越前一向一揆勢に攻められる。

1574 (天正2) 平泉寺の衆徒、一揆勢の立てこもる村岡山を攻撃する。

宝光院等の坊主、衆徒が討死にし、平泉寺も攻撃され焼亡する。

天正2年(1574)、一向一揆との戦いで全山が焼失し、往時の姿を伝えるものはほとんど失われてしまいました。

一向宗は朝倉旧臣団や平泉寺の衆徒をほとんど壊滅させてしまいます、前述の朝倉景鏡がその原因を作り

朝倉旧臣団は信じられないような同士討ちをしたり自滅をしていきます

1583 (天正11) 顕海が美濃より帰還し、平泉寺を再興する。
羽柴(豊臣)秀吉、平泉寺に禁制札を与える。

この時期には平泉寺は旧来の勢力はほとんど無くしているようです


1729 (享保14) 平泉寺と牛首・風嵐村との間に、白山領の境界につい
て争論が生じる。
1732 (享保17) 白山争論。白山天嶺は平泉寺境内と、幕府が裁許す


1833 (天保4) 天保の大飢饉おこる。
1839 (天保10) このころ、木下家住宅完成。
1859 (安政6) 平泉寺白山社の拝殿が再興される。

1868 (明治1) 明治維新
1870 (明治3) 平泉寺寄進地領がすべて没収となる。平泉寺の名称を廃し、白山神社となる。

明治政府の廃仏毀釈の官令によりここはびっくりするほど古代の神々が祀られます、

寺院はほぼ全廃でヤシロが作られています、

1873 (明治6) 白山天嶺の三社が白山比神社の本社となる。------古代の神々関係はその三で紹介します