真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

「世界を救った」冷戦期の大物自発的スパイはソ連軍情報部大佐

2008-09-08 | 読書-2008
フックス(8/30付エントリ参照)は名前くらいは知っていたのだが、ペンコフスキー大佐とその事績については知らなかった。やはりTVで見て知る(7月の放映)。
<シリーズ 20世紀 “核”の内幕>第3回 モスクワからの使者 ~キューバ危機の真実~
原題: Nuclear Secrets – The Spy from Moscow(BBC2006年制作)

Nuclear Secrets 1 of 5 The Spy from Moscow

関連図書ということで、密かに持ち出されたというペンコフスキーの告白メモが本になったものを読む。
『ペンコフスキー機密文書 』1966年
『寝返ったソ連軍情報部大佐の遺書』=上記が1988年にに文庫化されたもの、ですわな。

買付ドキュメンタリー番組では、スタッフがwebで強調しているように、ペンコフスキーを監視していたKGBが撮影した動画(実写)が、俳優による再現ドラマの間に挟んで映されるところが凄い。
上記図書の段階(=本人が生きていた当時)では、本人は(監視の兆候をうすうす感じ始めていたものの)ここまで掴まれていたとは知らない。
我々も、(ソ連崩壊による情報公開前の段階では)KGBがここまで掴んでいたとは分からない。

MAD(相互確証破壊)の考え方が確立する前の話なので、米国はミサイルギャップに脅え、フルシチョフは(相手の手の内がよく分からないながら)妙に強気に出てみる、という危機的状況であり(キューバ危機のことね)、これが破滅に至らずに何とか回避できた陰には、ペンコフスキーによる決死の自発的情報提供がありました、という理解でよろしかったでしょうかあ。

ところで、キューバ危機を米側から描いた物の中に、ペンコフスキー情報の貢献は正当に取り上げられているのだっけ?
こゆこと?
ペンコフスキーの決死の情報提供があったからこそ米側は強気に押し返してみることができ、ソ連もペンコフスキー情報が相手に伝わっていると知ったゆえに矛を収める他ないと決断できた、という理解でよろしかったでしょうか?
今度詳しいヒトに聞いてみようかな(誰。

既存システムに乗っていればそれなりに安泰の筈のエリート(目を付けられてリクルートされたのではない)が信念に基いて自発的に行うスパイ行為は凄いわ。GRUの大佐だもんな。
米英情報機関の担当者に話を聞いてもらえるところまで漕ぎ付けるのは、相当たいへんだったみたい。最初の取っ掛かりが掴めなくて。

The Spy Who Saved the World: How a Soviet Colonel Changed the Course of the Cold War(1992年)
という本も出ている由。
amazon.com/The Spy Who Saved the World: How a Soviet Colonel Changed the Course of the Cold War


同書の書評の例

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