竹紫館剣道

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妙武館高麗道場~番外編

2009-02-07 | つぶやき
さて、春らしい穏やかな日差しも爽やかだったこの日の出稽古
本編での、妙武館の皆さんとの交流や熱い稽古の他に
ささやかな楽しみや驚きが、随所に、実はあったのでした…



もうそれは、車の中から始まっていたと言ってもいいでしょう。
窓に流れる外の景色が、現地に近づくにつれ、刻々と変化してゆく様に
かりんこ、既に感動です。
そして、本編の写真にもあった階段を下った先にある道場の
静かで温もりのある入り口の佇まいに、思わず感嘆のため息が。
隣で同じく感嘆の声を上げながらその光景を写真に収めているのは5ジラさん。
さすが、私の記事のツボをよく知るカメラマン!



道場下を流れる沢、これが沢ガニや蛍のいるあの沢なんですね。



沢は道場の裏を流れるこの高麗川に至ります。
奥に見える橋の下の中州で、バーベキューをしたのだそうです。
高麗川の透明度と流れ込む湧き水が、この土地の豊かさを物語っています。
も、もしかして、妙武館さんのプライベート川原!?





さて、昼食を済ませた竹紫館一行は、稽古までの空き時間で
近くの高麗神社散策へと向かいます。
水島先生のガイドで連なる一行。滅多に見られない光景だと思います。



奥へと続く参道の両脇や杜の至る所には、杉の大木や大小の樹が並びます。
これはすべて参拝者の献木で、献木者の名前は各界の著名人ばかり。
出世明神としても広く知られる神社です。





子供達の頭上、神門にかかる扁額がなかなか興味深いです。
高麗神社の高麗は、高麗(こうらい)ではなく高句麗(こうくり)のことで
高句麗は、唐・新羅水軍に滅ぼされるまでの紀元前からの約700年間
中国北東部から朝鮮半島北東部を領有し支配した、満州高原の騎馬民族で
中国文化を取り入れた強大な先進国であったとされています。
滅亡の時に難を逃れ日本に根を下ろした多くの王族や移民をまとめ、この土地を開拓したのが
高麗神社の御祭神、高句麗の王族だった高麗王若光です。
代々若光の子孫が宮司を務め、現在で60代目となるそうです。
後に、朝鮮半島で新羅を倒し統一した高麗(こうらい)とは別の王朝であるため
苦肉の策で小さく「句」と入れたのでしょうか。



代々宮司を務めた高麗家の住宅は国重要文化財になっています。
高麗式建築というわけではなく、江戸時代初期の民家建築を伝えています。
塀伝いに植えられた紅梅が、春を歓迎するかのようにほころんでいます。
圧巻される藁葺屋根の建築仕様に、寄り添う見事なしだれざくら、
花の咲く頃に是非見てみたいと思う景観です。
渡来人を受け入れ、文化や思想を地域に融合させていった
日本の歴史の一面を紐解くような不思議さを感じる、高麗神社でした。





大雑把な名所や施設を記した地図に、「妙武館」の文字を見つけて驚く私達。すごい!



さて、日が落ちて暗くなるまで稽古を頑張った館生達。

経年と愛着を物語るように艶やかな柱
かつて使っていた防具の面金に添えられた、お母様への感謝をしたためた杉山先生の言葉
ストーブにかけられたヤカン、片隅にしまわれた蚊取り線香



大きく開け放たれた引き戸の入り口から差し込む光は温かく時を報せ
道場を所狭しと動く子供達の影を、磨かれた床に長く映していました。

稽古を積んで、妙武館の皆さんにまた会いに来たいと思います。
この度はお世話になり、本当にありがとうございました。


(記事 かりんこ)


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