はじめまして、ぼく、です
ふだんの葛藤と鬱憤、やるせなさを吐き出しにきました
きいてくれるんだね、きみは
ぼくのまわりにいるひとたちとは大違いだよ
こんなこと・・・ここじゃなきゃ言えないけど
このくらいなら・・・まだいい?
もっと刺激的でもいい?
もうちょっと・・・ちょっと・・・
ああ、だいじょうぶ
こんなぼくでも受け入れてくれるんだ、ここは
“最近の学生”、“近頃の若い者”
そんなありきたりの言葉でくくらないでくれ
ぼくはぼくなんだ
自分を貫き通したいんだ
現実って・・・どこ?
画面の中と外、どっちがホントのぼく、なんだろう
ぼくはここにいる
たしかにここにいるのに
どうしてみえないんだろう
あまりにも近いから
ぼくが、遠く霞んでみえるんだ
ネットを引き金に起こる、かなしい事件が後をたちません。
仮想現実の世界。
相手の顔が、表情が、思いが見えにくい世界。
そこで派生するさまざまなつながり、有機的なもの、無機的なもの。
ここなら元気になれる、元気をもらえる。そんなこともたくさんある一方で。
理解できない中傷、誹謗。いくつもの心無いコメント。
到底理解できないと思えるような非難。
これらが、子どもたちの世界でも起こっています。
現実に、リアルになって降りかかっています。
“暴力シーン見るとすっきりするよねー”
“あー、「ライフ」でしょー?みたみたー。超おもしろいよねー、あのドラマ。あたしもやりたーい”
こんな会話が飛び交うという某友人の中学校。
画面の中と現実とが一緒になって、強すぎる刺激に感覚が麻痺して、自分がすることにも言うことにも抵抗がなくなってゆく。だって大人だってしてるじゃん。いじめはダメ、悪口言うな、そういってるけど、あの掲示板なんてそんなもので溢れてる。要はバレなければいいんでしょ?
そんなことを暗黙のうちに学んでいる気がしてなりません。
うちの学校の今年度の校内研修のテーマは“情報モラル教育”。
要請訪問の授業のネタもコレ関連です。
情報教育の中にいかにモラルを取り込んでいくか・・・奥が深いっす
パソコンが普及して、インターネットがもてはやされた初期には、光の部分が大きくピックアップされて、まさかこんな暗く重い影の部分が子どもたちに降りかかってくるとは想像もできなかったんじゃないかと思う。
だからこそ、考えていかなきゃいけないよ。
ケータイを持たせれば安全、その安全はお金で買える程度の安全にしか過ぎない。