増田カイロプラクティックセンターの近況レポート

筋骨格・神経・アレルギー(NAET)・感情の統合療法。
増田裕D.Cのブログ

2007年1月12日 教訓

2007-01-12 09:43:57 | 近況
院長記

今回自分が重篤な病気になって感じたことがいくつかある。
まず、自分の症状を的確に表現することがいかに難しいかということである。いかに的確に表現しても理解してもらえないもどかしさはどうしようもない。コミュニケーションは本当に難しい。痛感。

たいていの治療家の先生に肩の痛みを訴えると怪訝な顔をされた。これが患者にとって一番きつい。脳梗塞と肩の痛みが関連があるとは通常思えないからだ。自分もこれに気づくまでに半年以上かかったのだから無理もないが。

これは逆も当てはまる。自分が元気なころ、ある学校の中学の校長先生が腦梗塞後のリハビリに1年間通院してもらい、ほぼ全快してもらった経験があった。しかしそのときも右脳の梗塞のため、左の片麻痺が主要な症状であったが、私のわずかな知識では脳梗塞は運動麻痺であり、感覚系の障害は無関係であると思っていた。ところが、この患者さんの常に訴える愁訴は痛みであった。肩が痛い、腕が痛い、腰が痛い、脚が痛い、云々。今では、そうだ、それには根拠があったんだと思うが、当時は不思議だなあと不可解さがずっと残った。患者さんの訴えを本当によく聞くというのは至難のことであるが、今回自分が患者の身になってそのことを痛感する。

それに以前中年のご婦人の治療をしたことがあった。いろいろ愁訴はあったが、最後まで残った愁訴は頭の中が「シャーシャー」音がするということであった。これって患者さんを疑うわけじゃないけど、ちょっと理解できないですよ。何回もそれを聞くと、いやになってくる。

ところが今回私も同じ経験をしたのですね。今思えば、脳梗塞の前兆はこの頭の中からシャーシャーなる音だったのです。ある日、何処から音とするので、2階かなトイレかなと思い、いろいろ音の源を探したのだが、結局自分の身体の中から音が来ているのがわかり愕然としたことがあった。これが耳鳴りかとそのときは思ったのだが、どうも耳鳴りというよりは頭の中からのような気がする。そこで、斉藤先生に頭に耳を当てて聞いてもらったら、確かに音が聞こえると確かめてもらう。

どうもこれは動脈硬化による血流障害の脳雑音ではないかというのが私の推理である。自分が経験して、あああのときの患者さんの愁訴は根拠があったんだと思いをはせる。患者さんの訴えを直視する。これは簡単なようだが非常に難しい。経験がいる。今回は自分自身の経験が必要だった。

患者さんの訴えは当初理解不可能のように見えて、ほぼ99%根拠がある。それを深く洞察する。それがおそらく「臨床の知」であろう。

昨日は母方のおじから電話があり。僕の病気のことを知ってびっくりして電話をしてきたのだ。叔父はかつて私の患者で、ここ数年いろいろ病気をして苦労した。いろいろ話をして、「その若さで、たいしたことに気がついたね。これから本物の治療家になれるよ」とお褒めの言葉を戴いた。

長いトンネルを抜けるようないい予感がしてきた。


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