増田カイロプラクティックセンターの近況レポート

筋骨格・神経・アレルギー(NAET)・感情の統合療法。
増田裕D.Cのブログ

2006年2月9日 骨アジャストメントと心臓外科

2006-02-09 00:19:44 | 近況
増田院長記

○カイロプラクティックのテクニックは従来サービスの提供者であるドクター側の視点しかなかったように思える。サービスの消費者である患者側の視点はほとんど無視されてきた。カイロは骨をポキポキさせるから怖い、といった一般人の気持ちに応える視点がほとんど欠けている。初めからそうした要求を考慮していないというべきか。留学していたカイロ大学の学生クリニックでも、たまに頚をボキボキされるのはいやだという患者がいたし、日本に帰ってきてからも、骨を鳴らすのは怖いという声をよく聴いた。

○私がアクティベーターというテクニックを採用した背景には、今後広範な人々にカイロプラクティックを受容してもらうには、安心感のあるこのテクニックが最もよいという判断があった。このテクニックを採用してから、こちらから「安心・安全・無痛」を言わなくても、一度治療を受けた人は安心して、家族や子供や知人を連れてきたり紹介したりしてくれるようになった。そのスピードが並ではない。朝治療したと思ったらその日の夕方には紹介した人が来るといった具合である。

○骨の矯正は非常に難しい。カイロプラクティックが唯一尊敬する西洋医学の医師は外科医である。その手の器用さに対する畏敬の念がある。その難しい器用さとカイロの術の器用さを同一の視線で見ているような気がする。BJパーマーの治療をビデオで見るとそんな儀式を感じる。そこに潜在意識のレベルの刷り込みがある。

○たとえば、正式な統計がないが、日本で行われている心臓外科手術は年間で多く見ても1万件ぐらいであろう。年間200件以上執刀している名医が21人とサンデー毎日の記事にはあるから、これら21人の年間手術数は5000件であろう。その他多数の(何人いるかわからないが)心臓外科医(おそらく数百人)を合わせてあと5000件ぐらいではないか。この心臓外科医とカイロプラクターを比較しても意味はない。向こうは特別の技量を要求される専門医であり、こちらは全科医療の一翼を担うプライマリーケア・プロバイダーとしてのカイロプラクターである。

○心臓外科は人の生き死ににかかわる重大な医療行為である。そこには、どんなテクニックを使うかという患者側の要求はほとんど意味がない。どんなに危険と隣り合わせでも、最高のテクニックを使ってもらい命を助けてもらいたいとという要求があるだけだ。ところが、カイロプラクティックにはそんな切羽詰った要求はない。もちろんごく少数の患者さんの中にはそうした人もいる。しかし、大多数は痛みを持つ患者さんや各種の多様な不定愁訴を持つ患者さんたちである。

○カイロプラクティックが適応する患者数は1万人ではきかない。おそらく、全国で実数百万人を超えるであろう。骨のアジャストが特別上手い、心臓外科医のような技量を持つ人だけではとてもこの需要に応じきれるものではない。

○私は、世界中のカイロ大学の教育は心臓外科医と並ぶような骨のアジャストの専門家を養成することを意図しているように思えてならない。入学してくるすべて学生がそんな専門家になれるはずがない。ごく少数の人が非常な努力によってなれるのである。よく、骨のアジャストの上手いドクターはアクティベータのドクターを指して、「彼らはアジャストができない」と批判する。実はアクティベーターは一見やさしいようだが、このマスターには何年もの熟練を要する。しかし、100歩譲って、批判を甘んじて受けるとする。しかし、これは何もアクティベーターに限らない。パーマーにいた時でも、本当にアジャストの上手かった同級生は120人のうち10人ぐらいではなかったか。ほとんどの人がガンステッドやディバーシファイドを使っていた。アメリカ中のカイロプラクターを探しても、上手いドクターはほんの一握りであろう。

○ディバーシファイドやガンステッドは習熟するのに時間がかかるし、なによりも学生時代に練習で身体を壊す人がとても多いのである。カイロに憧れながら、カイロを目指す道半ばでカイロに幻滅することが多い。人を治せるようになるのにとても時間がかかる。これでは、社会の要請に応えきれない。

○私は、カイロプラクティックのすべての大学で骨アジャストメントは選択科目にして、必修科目はアクティベーターにしたほうがよいと思う。骨アジャスターはカイロの中の専門家にまかせればよい。こうした上手い人は安心、安全、効果が高いので、しかるべき社会的富と位置を得ればよい。ちょうど、シンガポールの心臓外科医の年間所得が数億円であるように。それに対して、一般カイロプラクターはアクティベーターを使い、広範な患者の多様な要求に応えるように、多数が養成されなければならない。

○しかし、その道も平旦ではない。それまでのカイロプラクティックの概念とは別個の神経学の見方が要求されるのである。



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2006年2月8日 腸腰筋 | トップ | 2006年2月10日 痛みをとって... »
最新の画像もっと見る

近況」カテゴリの最新記事