地図のない街

日々金欠に

『彼の酒は水』ツイートにまつわること

2013年07月06日 23時21分13秒 | 雑記
昨年の年末に、
『越乃寒梅≒水』とツイートしました。

この2カ月あとほどに、お互いフォローしている酒屋さんの、
ブログに、『うまいか美味しいか?』というタイトルで、
酒の美味いかどうかの判断について書かれていました。
そのなかで、その酒屋さんにとっては寒梅が基準であると。

なるほど、と思いつつも少し違和感がありました。

基準にするには、寒梅は飲みやすすぎる。
『越乃寒梅≒水』の本当の意味は、
飲みやすくて、水のようにスイスイいける
だから、面白みがない、美味しいけれど。

ここで話は、この前の金曜日のことになる。
映画を見た後、久々に某居酒屋に立ち寄った。

純米三種を呑んで、店主とちょいと話をしました。
「最近、純米でも米の味が出ている、いかにも純米といった酒が増えましたよね」
「ひとつの流行じゃないでしょうか。純米生無濾過がここ最近多いですよね」
「ちょっと異常というか、普通じゃないでしょ」
「いっときの、焼酎ブームに似ていますよ。これからいいものだけが残っていくんじゃないですかね」
「……うーん」
「純米だけじゃなくて、こんな酒も飲んでほしいなと思っているんです」
と、サービスで静岡の開運の本醸造を頂いた。
「純米もいいんですが、食中酒としてはこんなのが飲まれてほしいですね」

一口飲むと、さらっとしていました。
さらっとしすぎているようにも思えました。
食中酒という言葉があったので、肴と共に純米酒と飲み比べ。

すると、なんということでしょう!!
純米酒は肴と競合してしまい、呑みにくい。
開運はさらっとしているから、肴に寄り添っていくようで呑みやすい。

ここで冒頭に戻ります。
『越乃寒梅≒水』
これはこれで正しいんだろうけれど、
呑み方を違えただけで、正当な評価をできなくなっていたのではなかろうか?

いま一度、美味しいお酒探しをしてみたいと思った金曜の夜でした。