
これはちょびではなく
ちょびの前に飼ってた、同じくシーズー犬の大。
15歳と7ヶ月で2003年10月28日に永眠。
生後50日で私の元にやってきた。
兄弟の中で一番体が大きくてやんちゃだったので名前は大。
家に来てからも病気する事なく、すくすくと成長。
成犬になる頃には体重も8キロを超えていた。
飼い主の私が言うのも何だが、すごく賢い子だった。
とにかく可愛くて可愛くて、犬なのに猫かわいがりしてしまった。
その結果、お留守番の出来ない子になってしまった。
留守番どころか、一時でも離れるのが耐えられないようで
風呂やトイレまでついてきた。
どうしても留守番させなきゃならなくてひとりで置いとくと
帰ってくるまで鳴き続けた。
掻きむしったり噛んだりしたのだろう、ドアはひどい有様になっていた。
他の事は何でも出来たのに、ひとりになる事だけは死ぬまで出来なかった。
病気知らずだった大が14歳の頃
僧帽弁閉鎖不全症(そうぼうべんへいさふぜんしょう)になった。
そのうち肺水腫となり、見ていられないくらいの発作をしょっちゅう起こし
亡くなる前の半月間は切ない声を上げながら一日に何度も失神した。
それでも毎日大好きな散歩には行きたがり、ほんの数歩でも歩こうとした。
あの日も夕方散歩をした。
夜、息苦しそうに部屋の隅でうつ伏せてた大が
トイレに立つ私の後を追おうと立ち上がろうとして発作、そして失神。
いつもなら数分後に意識が戻るのだが
その日は意識も返らぬまま、そんな苦しむ様子もなく
だんだん、だんだんと呼吸がゆっくりとなり、弱くなり、日付が変わる頃、止った。
夫があまりにいつまでも悲しがる私を見かねて
いつでも会いにいけるようにと納骨堂を借りてくれた。
が、私は今も大の骨壷を手放せず部屋に置いている。

夫が大の代わりだと言って、ちょびを家に連れてきたのはその5ヵ月後。
ペットロス症候群の私を元気付けようとしたのだろう。
大の代わりなどいる訳もなく、初めはちょびを受け入れられなかった。
知らん顔をしてる私に、何度もじゃれに来るちょびを見てるうち、心が和んだ。
今思えば、ちょびのおかげで早く立ち直れた気もする。
今でもたびたび大を思い出しては涙があふれる。
悲しみが淋しさに変わりつつある今も、写真を見ては泣いてばかり。。。
大が死んで間がない頃、ほんの一瞬だけ大の匂いが部屋を横切った事がある。
それっきり、大の残り香も消え、夢にさえ一度も出てこない。
これって成仏したって事なんだろうか?
それとも、ちょびを飼い始めたから怒ってるんだろうか?
夫は、ちょびもいるんだし、そろそろ大の骨壷を納めてやれと言う。
ペット霊園の人も、いつまでも悲しんでると成仏出来ないよと言った。
私もそう思うが、大はひとりぼっちが嫌いだったと思うと手放せない。
それ以上に私の方が大から離れられないのかもしれない。
愛するペットを失った方達は、その後どんな風に過ごしてるんだろう。
こうしなければいけないって事はないだろうけど
こうした方がいいよ、うちはこうしてるよって話を聞いてみたい。
どうするのが、大やちょびのためにいいのか、すごく悩んでいる。
ペットロスの人に読んで欲しいサイトです。
私はこれを読んで、胸が詰まりました。
特に最後の雨降り地区、いつまでも悲しんでいると
ペットは返って辛いという事です。
涙無くしては読めませんでした。
http://homepage2.nifty.com/8craudo/doubutu/niji.htm
悟郎さん経由でお邪魔しています。
大ちゃんのこと読ませていただいて
コメントしたくなりました。
わが家のロングコート・チワワのクックは
今11才半ですが、今年の春、大ちゃんと
同じ病気といわれたんです。
(私たちは心臓弁膜症と呼んでいます)
まだ肺水腫にはなっていないようですが
6段階の4~5の間だそうで、
毎日薬を飲ませ、定期的に病院に通って
様子を見る日々が続いています。
いつか大ちゃんと同じ運命を辿る日が
くることを少しずつ覚悟して心の準備を
しているようなところがありますが、
でもだめ、想像しただけで涙がどわっと
出てきてしまいます。
綺麗なお花の写真もたっぷりあって
すてきですね。
またご訪問させていただきます。
大ちゃん、こんなに想われてとても幸せですね。
我が家も2年前、17年飼っていて柴犬が老衰で亡くなりました。決して良い飼い主ではありませんでしたが、今でも思い出すと涙が出てくるときがありますよ。
でも、せっかくご主人が納骨堂を借りてくださったのですから、納められたらいかがでしょうか?
宗教とか信仰とか難しいことではありませんが、私が信頼している方から以前言われたことがあります。家の中にいつまでもお骨を置くことは、良いことではない。それは人も動物も同じとのこと。やはりお墓なりお寺なり、動物なら山や丘など、つまり土に返るということが大事だと。我が家も現在納骨堂に個別に納め、出来る限りおまいりに行っていますが、来年からは全体納骨にして貰おうと思っています。
たとえ、山に埋めたとしても決してそれは薄情なことではないのです。自然にかえることなのですから…。
ちょびママさん、心の中の大ちゃんと、現在いつもそばに居るちょびちゃんのパワーを貰ってるってとても嬉しいことですよね。
あんまり悩まないでね。ちょっと参考までに…。
いつか別れの時が来る事を頭に入れていますが、
その時どういう心理状態になるのか・・・
全く想像できずにいます。
もしかしたら、火葬したあと、手元に置いてしまうかもしれない。。。
私も、皆さんの考え等、ぜひ拝見させてもらえたら有難いです。
たった11ヶ月しか育てられなくて心残りでした
悲しくて悲しくて毎日泣いてました
でも、tokonekoさんもおっしゃってますが
いつまでもお骨を家に置いておかないほうがいいらしいです
そして、いつまでも悲しんでいては成仏できないともいいます
家でも、3年間個別に納骨してその後は共同埋葬してもらいました
大ちゃんの大好きだったお母さんが元気でいることが
一番の供養になると思いますよ
母親は前年11月に85歳で逝去。
一番可愛がっていた母でした。
寝るのも勿論一緒。どちらも頭が白いのでどっちが母でどっちがタオ(名前です)か分からない。皆で笑ったものです。
15歳といっても母の後を追うように逝ってしまったタオ。
母が呼んだんだね と話していたものです。
今は、我が家の狭い庭で永眠しています。
母が使用していた部屋の真ん前です。
それから、父が犬も猫も飼い続けました。何匹いたか思い出せないくらい。今も嫁ぎ先に犬がいます。何代目か?です。
ちょびくんのためにも大ちゃんは、霊園に連れて行ってあげた方が良いかもね。大ちゃんもきっとそう願っているはず。傍にいなくても、写真や思い出は無くならないしね。
人間も動物も生まれたからには、100パーセント死はくるもの。だからといって、時間が解決してくれるから、乗り越えられるんじゃないかな。
読みながら、涙で前が見えなくなって困りました。
大切にしてる人や動物やものを失うという事に恐怖を覚えるんです。
目の前からいなくなる事におびえを感じるんです。
形あるものに永遠なんてないのに受け入れられなくて。。。
永遠に残る思い出を大切にすればいいのに。
頭ではちゃんと分かってるのに、行動に移せない。
書こうか書くまいか悩んだのですが、こうして記事にして良かったです。
背中を押してもらったような気がします。
分かってる事、思い切りがつきにくい事ゆえ、皆さんに甘えてしまいました。
こんな甘えをきちんと受け止めてくださり
優しいたくさんのアドバイス、考え、思いを綴ってくださり
体が震えるほど感激してます。
今度は私が決断する番です。
大のためにも、ちょびのためにも、私のためにも、夫のためにも。
近いうち折を見て、夫が借りてくれた納骨堂に納めてやる事にします。
踏ん切りがつきました。
pochikoさん、素晴らしいサイトを教えて下さりありがとうございました。
ポージィさん、クックちゃんをいっぱいいっぱい愛してあげてください。
tokonekoさん、自然にかえしてあげるという大事な事を私、忘れてました。
風香さん、生きてる間はワンちゃんをとことん溺愛してやりましょう。
グレンさん、仰るように私が元気でいる事を大は望んでるんだと思います。
オヤジな私さん、お母様とタオちゃん、再会を果たして幸せにしてる事でしょう。
てるてるさん、写真や思い出を残してくれたんだからそろそろ解放してやらないとね。
本当に本当に、皆さん、ありがとうございました。
こんな私で、また皆さんに甘えて教えを乞う事も多々あろうかと思います。
図々しいお願いですが、その時もまたよろしくお願いします。
そしてこれからも末永くお付き合い願えればと思います。
いくら感謝してもし足りないくらいありがたかったです。
涙が止まらずにこの気持ちをどこへ持っていけばよいのかわからずに検索してココに辿り着きました。
うちのシーズーも同じように肺水腫と心臓病を患っていて、それはそれは苦しそうに7時間も苦しさと戦って逝きました。
今のこの気持ちのまま新しい犬を飼うことなどもう出来ない、でも心の中では欲しい。
そんな葛藤です。
私は50代後半ですし、もう先を考えると犬など飼えないのでは・・・とも思います。
うちのチビちゃんと色毛並みが似ていて写真をみるだけで涙に溢れます。
同じように骨壺に入れて帰ってきましたが
まだ足元に、廊下に、横になっているんでは?とかそんな気がしてなりません。
でもあまり悲しがってはいけないですね。
こちらのコメントに私も励まされました。
ありがとうございます。