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フランスの印象派芸術家の作品を展示している「オルセー美術館」について
記事が書かれていました。
古い旅行の話です。
1984年・9月16日から2週間、主人の仕事「空気清浄協会」という学会参加と発表で
フランスパリへの同行で、初めての海外旅行をしました。
今現在、足腰が元気で気力もある間にと思いながらも
ここ2年ほどのコロナ禍で、海外旅行は全く行けなくなり寂しいことと思っています。
パリは「芸術の都」と言われる所以を、この時痛感したその思い出を
少し書きたいと思います。
長くなるので、しんどいと思われたらスルーなさって下さい。
1984年のこの学会のツアーには、35名の大学の先生や色々な会社の男性の方たちと
このうちの3組が夫婦同伴で参加でした。
1組は私たちと同年代の関西在住のご夫婦(ご出身は関東のようでした)
もう1組は私の両親の世代の横浜在住の方。
この時私は30代半ば、主人は5歳上。
同世代のご夫婦は、ご主人が私より3歳上、奥様がご主人より
4歳ぐらい年上だったと思います。
同世代と言うことですぐ意気投合して、時差ボケのボーッとした頭でしたが
パリの街なかで見つけたレストランに入って早速ランチ。
お料理の出てくるのがものすごく遅かったことと
チーズがとても塩からかったと記憶しています。
中々出てこないお料理にやきもきしながら、結局バスの集合時間に4人で遅れて
着いた初日に初タクシーでホテルまで。
この日からモンマルトル・パークホテルで2週間。
男性たちの仕事の合い間にも自由な時間はあって
夫婦連れで観光するパリの町は、コロナ以前は
沢山の人が海外旅行も頻繁に行く現代で珍しくないですが
私は初めての海外がパリ。
彫刻が施された橋などを渡りながら、カルチャーショックやらなんかで
絵画の中にいるような夢気分の毎日。
ほんとに日本に帰りたくないと思いました。
主人の学会発表の時のこと。
ランチをご一緒した同世代の男性(〇〇〇〇化学)との、二人の質疑応答では
英語がまどろっこしいので、途中で、日本人同士だし
「日本語でやりましょうか」と、会場では笑いを誘い、、、。
この当時、メトロの「パレ・ロワイヤル」駅を上がったところに
「ラーメン亭」という日本人オーナーのお店があってものすごく美味しくて
どうしても日本食や中華が恋しくてここにはよく行きました。
1984年当時の「ラーメン亭」
壁に日本人芸能人らの(山口百恵さんなど)色紙が飾られてました。
この学会には大学の先生や、会社の重役さんなども来られていて
某会社の社長さんのパリ在勤の秘書の女性の方が、私達3人の女性のために一日
メトロ(地下鉄)でのチケットの買い方や乗り方などと、観光の仕方を教えながら
付き合って下さって、最初の1週間は同世代の方の奥さんと
ギャラリーラファイエット(ラファイエットデパート)などでショッピングもしたり
夜は主人たちも一緒に、セーヌ川のクルージングなども。
「春」を意味する「プランタン」の名前のデパートは、日本でも
1980年にダイエーがプランタンと提携し、81年1号店が神戸三宮に
その後札幌、大阪なんばに。
83年に4号店「プランタン銀座」が出来ました。
私はブランド物には興味がなかったので、日本人がやたら好きな
でも、日本人にはあまり似合わないと勝手に思っているけど、何世代も
修復しながら使える、ルイ・ヴィトンのバックなども買いませんでしたが
ツアー参加の男性のお一人が、奥さんたちに頼まれたのか
何点もの数のルイヴィトンを買ってきておられたのを見て
相当な金額だろうなぁと感心したりしました。
ツアーの旅程には「ロアールの城めぐり」などもあり
主人と二人でベルサイユ宮殿に往復電車で行き、宮殿には入らず
プチトリアノンまでのなが~い道を、フランスの人の自転車で行くのを横目に
1時間ほどかけて歩きました。
30代だから元気だったけど、さすがにちょっとしんどかった。
海外旅行すると大抵太り気味になりますが、この旅行では
むしろ痩せてスリムになりました。
後半の1週間は私だけになったので、初めての海外ながら勇気を振り絞り
主人が日中仕事があるときは一人で「ラーメン亭」で食べたあと
観る価値あるから行くと良いと勧められた
修復中の印象派美術館(オルセー美術館)に、教えてもらった道
ほとんど誰も歩いていない砂利道を、一人で足早にひたすら歩いて
途中ルーブル美術館にも間違って入ったりして(アハハハ)
前方から来るフランス人のビジネスウーマンらしき女性に
片言の英語で道を訊くと進行方向にまっすぐ行けと言われ
それでも中々美術館にたどり着かないので
間違いか?と、道に面して建っていた「免税店」に入って
日本人と思って尋ねたら、東南アジア系の店員さんで、、、。
日本人のスタッフを呼んでくれて、、、。
何十年も昔のことなのに、その時の状況がすぐ思い出されます。
そしてたどり着いた「オルセー美術館」は
2年後にリニューアルが完成したそうですが
この時は、板張りのスロープ上の足場の狭い入口から入ったということや
パリは突然の「通り雨」が多く、当時免税店に幾種類か売っていて買った
肩掛けのひもが付いた長傘が役に立ち
入り口で待っていた地元のカップルに「どうぞ」と言って入らせてあげたり、、。
若かったからでしょうか、意外に大胆に地元の人に声がけしたりて
「袖ふれあうも多少の縁」のような行動も懐かしい。
この時、主人は
「ジプシーも多いし奥さん大丈夫だろうか、、」と散々脅かされていたらしいけど
怖い物知らずの私は、普通にホテルに帰ってきていて、参加の方たちには
「ここにずっと住んでいる日本人みたいに思われたのかも」と言われました。
この旅行での一番のお土産にしたのは、帰国する前日(これも勇気を出して)
ホテルの美容室でヘアカットをしてもらったことでしょうか。
写真左は、このころしていたパーマのかかったショートのヘアスタイル。
画像が不鮮明で分かりにくいですが、右は、バッサリとカットしたショートヘア。
耳の上で、斜めにきりっと切り込んだ、少しボーイッシュなショートで
ブローは前髪からリーゼント風にオールバック。
男性の美容師さんで、助手の女の子が全く同じヘアスタイルでした。
このころのパリの流行だったのかも。かなりイメチェンになりました。
帰国後は当然、友人知人に評判が良かったです。
プチトリアノンの前で。 帰りのシャルル・ド・ゴール国際空港で。
9月の16日からの2週間の間に、パリでは季節が進み、晩秋の佇まいで
あちらでセーターを買ったぐらい。
日本に帰国すると、9月末はまだ残暑の名残で暑く、成田空港に着くと
一気に汗が噴き出ました。
そして、この時から22年後の2006年。
その3年ほど前から主人が病気になり、定年退職と同時に病気が回復し
「リハビリ旅行」と称してクリスマス時期のロンドンとパリへ行きました。
このお話は次の記事で書きたいと思います。