〜かたることばが歌になる風になる〜

生駒山みどりすがしく

母校の大学の教授であり初代学部長は「赤とんぼ」の作曲で有名な山田耕筰氏だった。
1965年12月29日享年79歳で亡くなられた。
私はその年の翌年の4月に高校音楽科に入学して、入学直前の3月にあった追悼演奏会を聴きに行った。


先日「山田耕筰先生没後50年記念演奏会」が大阪で催された。
大学で教鞭を取る先生方の演奏を聴いた。
ピアノ独奏は「スクリャービンに捧ぐる曲より“夜の詩曲(1917)”~からたちの花(1925)」
「赤とんぼに想いを寄せて」 
「彼と彼女 七つのポエムより1,2,3,4,7(1914)」

フルート独奏は「『この道』を主題とせる変奏曲(1930)」
ヴァイオリン独奏は「哀愁の日本<ミッシャ.エルマンに捧ぐ>(1921)~野薔薇<友嘉納鐵夫兄に捧ぐ>(1928)」

声楽演奏では「六騎(北原白秋)(1922)~風に寄せてうたへる春の歌より(三木露風)(1920)」
「この道(北原白秋・松本直祐編曲)(1927)~樹立(三木露風)(1913)~からたちの花(北原白秋)(1925)」
「鐘がなります(北原白秋)(1923)~粉屋念仏(野口雨情)(1926)~露西亜人形の歌より『カロゥヴァ(牛)』(北原白秋)(1931)」
「赤とんぼ(三木露風)(1927)~待ちぼうけ(北原白秋)(1923)~松島音頭(北原白秋)(1928)」

大学の同窓会合唱団は「薔薇の花に心をこめて(大木敦夫)(1959)~夢の歌(伊藤白蓮)(1920)~みぞれに寄する愛の歌(大木敦夫)(1947)」。

尾高忠明先生の指揮によるオーケストラ演奏は「相愛学園歌(1958)~序曲「ニ長調」~交響曲「曼荼羅の花(1913)」
氏の作曲の古いものは大正時代から昭和初期。日本における洋楽がまだまだ発展途上の時代に、私たちが知る日本の歌曲以外にこんな作品を作曲されていたことに驚く。

オープニングで高校音楽科の生徒たちに寄る合唱「相愛学園歌」は懐かしくて一緒に歌いたいほどだった。
大木敦夫氏の詩に山田耕筰氏が作曲したもので、その詩につけられた変拍子の旋律がたおやかで温かく名曲だと思っている。

「相愛」という名前の由来は、浄土真宗の祖、親鸞聖人が教えた「當」という「自分を愛するように他者も愛する精神」というのが由来だそうだ。
「学園歌」の歌詞は、ある時代まで女子中・高、女子大だったという特徴の元に1958年に作られたが、男女共学になってからは「・・・ああ相愛の乙女われら・・・」のところはどう歌っているのかなぁと、同窓生で笑いあったものだ。

山田耕筰氏は作曲の際、言葉のイントネーションに忠実に音をつけたというのは有名な話。
メロディーが先行で後に歌詞をつけたものが多い昨今の歌は、時折不自然に聞こえてしまう歌もあるが、氏の作られたメロディーは標準語のイントネーションそのものなのだ。
「夕焼けこやけの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か」標準語で読んでみるとよくわかる。


「学園歌」の歌詞と氏の直筆楽譜

出だしの歌詞<いこまやま みどりすがしく・・・>
「↓ソファソ↑ミーミー レドシラシ↓ソ―ソ―・・・」と音がつけられている。


活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

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