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「わたしを愛しているのなら、
これをしてください」
「そんなことをする(言う)のなら、当然わたしを愛していないのでしょう」
逆もまたしかり。
「これをくれたから、わたしは愛されている」
とか。
パートナーや親子など
愛を基盤にした関係性においては、
よく出てきそうなこの感じ。
そのひとが欲しいものを欲しいときにあげることや、
もらうことが
愛の証明、だっていう。
長年、わたしも当然そうだと信じて
ふりまわされ苦しんできたけれど、
なんか吹っ切れました。
かなり突然に。
愛、証明しなくてもいいなあって。
全然うまく説明できないけれども、
ひとはみんな、ちがうから。
ひとはみんな、おなじだから。
そんな相反する側面を一気に含んでいるわたしたちは、
きっと、いろんなやりかたで、
愛を示したがる。
それはそれで、
ラブリーだなあ。
急になんかそう思ったんですよね。
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「無条件の愛は傷つかない」
これは、PLI-1(リーディング・ヒーリングのクラスのなまえ)の補講で
講師のかたから聞いたことば。
「好きなだけ、好きでいるしかない」
これは、友達がふと発したことば。
何か、この二つのことばがぐるぐるまわる午後だった。
スターウォーズ、
この週末、エピソード3まで観ました。
欲しいものを欲しいときに、
やり取りできないとしても。
愛がお互いに証明できないとしても。
残るものがある。
それは、
思いやり。
そして、その思いやりってのが
無償の愛、の正体かもしれない。
エピソード2で
アナキンがパドメに聞かれていました。
「ジェダイは愛を禁じられているのでは?」って。
アナキンは答えます。
「執着は禁じられているよ。所有欲も御法度。
でも無償の愛である思いやりは
ジェダイの精神なんだ。
愛を抱くことは奨励されている」
わたしはもちろん
ジェダイではないけれども(笑)
エネルギーを扱いながら
愛を起点に
暗黒面(ダークサイド)をみることは、
いっぱいあるなあって思い。
なんかグッときたから、
わたしにとって
思いやりってどんなかなと巡らせてみました。
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「元気にしてるかな」
「何があっても、最善であることを信じているよ」
「あなたが愛情深いやさしさにみたされますように」
そうして静かに祈る。
そんなかんじ。
相手をまるごと、包んでみまもるかんじ。
気づいてもらう前提はなくって
なんなら気づかれないくらいの距離感。
静と動の中間なかんじ。
届かなくても、
届いたかどうかすらわからなくても
自然に湧いてきたそんな思いやりのきもちは、
わたし自身がちゃんと感じてあげたいですね。
感じてあげると、
自分がひたすらあたたかい。
報われるとか、
報われないとか関係なく。
愛してるだけで
満たされるなんて。
不思議だけれど、これは面白い感じ。
スターウォーズに愛とエネルギーを学ぶ…
こんな展開も悪くないです。
(過去記事ここまで)
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