国勢調査が始まったのは大正9年(1920)、ということは今年は100周年だったのね。そんな記念の年に新型コロナが流行し、調査方法が大きく変化したようだ。 先日、帰宅したらこんなの(冒頭写真)がポストに入っていた。調査員がやって来て留守だったため調査票を投げ込んでいったのだ。近頃はオートロックマンションや共働き世帯の増加ということに加え、今年はさらに新型コロナの影響で、なるべく面談による調査依頼を控えているらしい。 私は今日現在の状況を記入するつもりだが、提出するかどうかは未定。 そもそも、調査に関する一式が入っている袋には配布した調査員の氏名、連絡先が書かれていないし、何月何日に回収しに来るということも記載がない。 袋の中に入っていた総務省統計局国勢統計課あての封筒、これを使って調査票を郵送せよということらしい。もし、私が調査票を調査員に渡したいと思っても、その方の連絡先もお名前も分からないのだから無理。最初から総務省に郵送することになっているようだ。 調査票をポスティングするだけなら調査員なんて要らないのではないだろうか。布製マスクを配布したようにやればいいと思うのだが……。 ま、とにかく総務省に送るかどうかは明日考えることにするかな。 さて、そんな国勢調査の日にあたって思い出したのが、この感謝状♪ 古い商店街で昔から営業している酒屋さんを訪問した時に見せていただいた歴史的史料だ。店の先々代が、大正14年の第2回国勢調査で調査員として活動したことで内閣からいただいたという。第1回でも調査員を拝命したのが、そのときの史料等は関東大震災のため焼失しているのが残念だった。 昨年、久しぶりのこの酒屋さんを訪ねたら、なんと! 閉店していてビックリ! ということで、近くの酒屋で角打ち ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
アメリカ軍です。
彼らは、日本の大都市を爆撃し、戦意を殺ぐために大都市無差別爆撃を企図します。一応、日本の航空機生産は、大工場ではなく、町の零細工場で部品が作られているので、これを潰さないと日本軍の航空機は減らないという理屈でした。
このとき、利用したのが1940年の国勢調査です。
米軍は、都市の地図を500メートルメッシュに区切り、人工密度によって濃淡をつけて爆撃エリアを決めたのです。
そうやって東京、横浜、大阪の爆撃は行われたのです。なんと合理的で科学的、日本の神風特攻とは大違いですね。
戦後、日本政府は、この残虐行為を指揮したルメイ少将に勲章を授与するのです。
本当にいやになりますね。流石に昭和天皇は賛成ではなかったそうです。
日本地図を改描したり隠したりしていましたが、
アメリカは完全に把握していました。
国調結果も把握されていたんですね。
≪ルメイ少将に勲章を授与
現在は中曽根元総理を国葬扱いしています。
むかし聞いた話ですが、アメリカの国勢調査は、
もっと、いろいろな質問項目があるそうです。
「国勢」は多分、国の様子ということでしょうかね。
勢いだと力士か…