![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a9/09ed13baa8bddaaa935bd6fb018235a2.jpg)
ここは新山下。「ドン・キホーテ」の裏である。 正面は港の見える丘公園フランス山地区だ。 写真だけではよく分からないという方は、こちらで確認してみてね。 ここをさらに直進していくと… ![]() フェンスに挟まってなにやら案内板が見えてくる。 ![]() これだ。 ![]() しかし、何が書いてあるのか、風化していてよく読めない… ![]() 近づいても、こんな感じ。 ![]() ちょっとひどすぎないか。 ![]() これじゃあ何の記念碑なのか分からないので、数年前に撮影しておいたものを掲載しておく。 そこには、こんなことが書いてあるのだ。 旧英国海軍物置所護岸について この石垣護岸は、幕末期に設けられた英国海軍物置所(British Naval Depot)の石垣護岸です。現在この護岸の上に建っている横浜税関宿舎の地所は、かつての山手外国人居留地117番地で、文久元年(1861)に英国が海軍物置所用地として獲得したところにあたります。横浜山手は、慶応2年(1866)日本政府との協議により、外国人居留民の住宅地となることが正式に決まりますが、それ以前に山手の中で外国人居留民が最初に占有したのがこの地所です。 大正年間に山手町地先海岸が埋め立てられて新山下町が誕生した際に、英国海軍物置所地先も埋め立てられ、海岸に面した護岸は大半が地中に埋まってしまいましたが、平成11年にこの場所で行われた工事で現況の地盤を掘り込んだため、かつての海岸護岸が再び見えるようになりました。 明らかになった旧英国海軍物置所護岸は、全長で約65mあり、北方は堀川に向かって連続しているものと思われます。護岸は北側と南側で石積みを違えており、北側の護岸は、堀川沿いから回り込んできた護岸で、現存護岸のほぼ中央部でさらに西方に向けて回り込んでいます。石材は、県西から産出された安山岩系の石で、四角錐状の石を積み上げていく間知石積で築造されています。南側護岸は、北側護岸よりも遅れて積まれたものと判断されます。 この護岸は、横浜に現存する最も古い石積海岸護岸であるとともに、幕末・明治初期の山手外国人居留地の北端の地理的位置を示す歴史的遺産として貴重です。 平成12年2月 これを撮影したとき、疑問に思ったことがある。皆さんも既にお気づきのことと思うが、いったい誰がこれを建てたのかということだ。 普通は建立者や管理者の記名があるはず。たとえば、「日本で最初のガス灯記念碑」の場合は馬車道商店街協同組合の名前が入っているし、「日米和親条約締結の地」なら横浜市・神奈川県 横浜市観光協会となっている。 「旧英国海軍物置所護岸」案内板は誰が建てたのか? この写真を撮影してから間もなく、≪平成11年にこの場所で行われた工事≫という部分で思い出したのは、バンドホテル跡地に「ドン・キホーテ」を建設するという工事!! そういえばあの頃は、建設に反対する周辺住民の幟がはためいていた。 おそらくこの工事だろうということで調べ始めたら、案内板を建てたのは「ドン・キホーテ」の建設工事を請け負った安藤建設であることが分かった。 周辺からは建設反対運動が起こっていたこともあったので、これは「ドン・キホーテ」&「安藤建設」の地域貢献の一つであったのかもしれない。 ![]() 現場はこの奥のようであるが、ヤブに覆われていて護岸を確認することはできない。 税関官舎が売りに出ているようなので、そこを再開発する際にでも護岸を見ることができるようにしてもらえたらいいのだが…。 ![]() これは「開港資料館報」に出ていた記事。 物置所といっても、ここはイギリス海軍の石炭置場だったのね。 ![]() さて、こちらは山下町1番地。 旧英一番館の跡地に建つ記念碑だが…。 現在はシルクセンターとなって中にはシルク博物館があり、記念碑の横には大きな桑の木が植えられている。 ![]() そこに生っている実。 焼酎漬けにするといいかもしれない。 ![]() |
身近にある少年ッポイ大冒険♫
想い出します過ぎし映画「スタンド・バイ・ミー」
路地裏横断三百里に思わぬパラダイスとか、
人情を発見したり、実にナイス!!
桑の実の赤の素晴らしさに目を見張りました。
酔華さんのような生き証人の方の記録がとても重要です。
以前は、ここの桑の実を採って焼酎に漬けたり、
ヨーグルトに入れたりしていました。
谷戸坂下の斜面ではフキノトウも!
ニューグランドはあちこちで過去の情報を見ますが、
バンドホテルはなぜか、ほとんど出てこないですね。
横浜市は近代のものについては、
結構、冷たいみたいです。
たかだか150年前というかんじなのでしょう。
山手公園にある碑も劣化しています。
石に文字を掘っているから、修復が難しいのかもしれませんが、
早く手を付けてほしいですね。