アジア映画巡礼

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すごいぞ!台湾映画<2>『KANO~1931海の向こうの甲子園~』

2014-12-22 | 台湾映画

12月20日(土)から公開中の台湾映画『天空からの招待状』に続き、来年1月24日(土)に公開されるもう1本の台湾映画をご紹介しましょう。とはいえ、こちらの作品『KANO~1931海の向こうの甲子園~』(以下『KANO』と略すことにします)は、皆様すでにあちこちでそのタイトルを目にしていらっしゃることと思います。

拙ブログでも、本年3月の香港公開時に見た時に、こちらで取り上げました。また、1915年の第1回全国中等学校優勝野球大会から数えて、来年の第97回全国高校野球選手権大会(途中戦争による中断あり)は100年目に当たるため、その関連記事もあちこちに登場していますが、その中には必ずと言っていいほど『KANO』に対する言及がありました。また最近では、台湾で開催された映画賞「金馬奨」でこの映画が「観客賞」と「国際批評家連盟賞」を獲ったにもかかわらず、それ以外の賞では無冠に終わったことが「中国に配慮した」と騒がれたりしました。そんな、すでに何かと話題になっている『KANO』ですが、あらためてご紹介したいと思います。まずはデータをどうぞ。


(C)果子電影

『KANO~1931海の向こうの甲子園~』 公式サイト 

2014/台湾/日本語・中国語/185分/原題:KANO
 製作総指揮:魏徳聖(ウェイ・ダーション)
 監督:馬志翔(マー・ジーシアン)
 出演:永瀬正敏、坂井真紀、曹佑寧(ツァオ・ヨウニン)、大沢たかお

 提供:ソニー・ミュージックレーベルズ、ショウゲート、tvk、朝日新聞社、ミリカ・ミュージック
 配給:ショウゲート
 宣伝:ヨアケ

2015年1月24日(土)より新宿バルト9他全国ロードショー

(C)果子電影

タイトルにある「KANO」とは、嘉義農林学校の略称です。嘉義は台湾の中南部にある都市ですが、「KANO」つまり「嘉農」はそこにあった公立校で、現在の国立嘉義大学の前身でもあります。

台湾と甲子園が結びつくのは、ご存じのように1931年当時、台湾が日本の植民地だったから。1894年の日清戦争で当時の中国、つまり清に勝利した日本は、台湾島を割譲させて植民地化します。以来、1945年に日本が戦争に敗れるまで、50年間にわたって台湾は日本の一部に組み込まれていました。その間台湾では教育制度が整備され、日本語教育が行われるのですが、職業教育にも力が入れられて、農業学校や工業学校、商業学校も各地に誕生したのでした。

日本の全国中等学校優勝野球大会は1915年から始まり、1924年には舞台を甲子園球場に移します。台湾で地区予選が始まったのが1923年で、1941年まで続くのですが、その間の代表校等詳しくはこちらをどうぞ。1931年に嘉農は台湾での予選で初優勝し、甲子園に出場した結果、何と優勝決定戦にまで進出してしまうのです。その快進撃の原動力は、嘉農野球部の監督となった近藤兵太郎(永瀬正敏)でした。映画は、嘉農の生徒たちと近藤との出会いから甲子園で準優勝するまでを、近藤の妻(坂井真紀)や子供たち(上写真のようにとってもカワイイ!)の笑顔も挟みながら、じっくりと描いていきます。

(C)果子電影

映画では、嘉農の「農業学校」たる性格も描写されます。バナナの品種改良や、パパイヤの育成に力を注ぐ教師濱田(吉岡そんれい/上写真右)を登場させ、嘉農の生徒たちのバックボーンを形作らせるほか、嘉南平野に豊かな実りをもたらす「烏山頭(うさんとう)ダム」と用水路「嘉南大[土川](かなんたいしゅう)」を建設した八田與一(大沢たかお)まで登場、生徒たちを励ますシーンが描かれます。八田の事業は1920年から10年間にわたって続き、1930年に烏山頭ダムが完成したのですが、映画では同じ時期の出来事として描かれています。八田については、詳しくはこちらをどうぞ。


(C)果子電影

メインとなる近藤の教えは、様々な形で映画の中に登場してきます。特に有名な言葉は、「霊(たま)正からば球また正し 霊正からざれば球また正しからず」、つまり、よき野球をするためには、心も磨かなくてはならない、という教えです。基礎体力を鍛え、野球のテクニックを身につけさせると共に、この言葉を教え込んで精神も鍛える近藤の姿が映画では描かれますが、実は近藤自身もかつて松山商業の監督をしていた時に挫折を味わい、その傷を嘉農で監督をすることによって少しずつ修復していったようです。『KANO』は、嘉農の生徒たちの物語であるだけでなく、近藤監督自身の物語でもあるのです。ということで、台湾の金馬奨でも永瀬正敏が主演男優賞にノミネートされたのでしょう。

(C)果子電影

生徒たちもそれぞれ魅力的に描かれています。嘉農の中心になるのがピッチャーの呉明捷(ツァオ・ヨウニン/上写真右)で、4番バッターでもあります。演じているツァオ・ヨウニンは野球の名門輔仁大学の現役外野手だそうで、それだけに試合のシーンでも見ていて安心。また彼のベビーフェイスは観客を惹きつけること間違いなしで、実にうまいキャスティングです。嘉農野球部の劇中のラインナップと、それを演じた俳優(~以下)を書くと次のようになります。

1番 レフト 平野保郎 アミ族(本名:ポロ)~ 張弘邑(チャン・ホンイー)アミ族
2番 センター 蘇正生 漢民族~ 陳勁宏(チェン・ジンホン)
3番 ショート 上松耕一 プユマ族(本名:アジワツ)~ 鍾硯誠(ジョン・ヤンチェン)アミ族
4番 ピッチャー 呉明捷 漢民族~ 曹佑寧(ツァオ・ヨウニン)
5番 キャッチャー 東和一 アミ族(本名:ラワイ)~ 謝竣晟(シェ・ジュンチャン)アミ族
6番 サード 真山卯一 アミ族(本名:マヤウ)~ 謝竣[イ+捷の右側](シェ・ジュンジエ)アミ族、シェ・ジュンチャンの兄
7番 ファースト 小里初雄 日本人~ 大倉裕真
8番 セカンド 川原信男 日本人~ 飯田のえる
9番 ライト 福島又男 日本人~ 山室光太朗

これからもわかるように、日本人、漢民族、原住民の生徒たちが混じって学ぶ学校が嘉農であり、野球部もまた混成チームだったのです。これに対し近藤監督は、「先住民は足が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備に長けている。こんな理想的なチームはない」と言ったとか。今は原住民と呼ぶのが一般的な近藤監督の言葉中の「先住民」は、当時日本名を付けさせられていたために、ここでも日本名で書かれています。原住民は原住民出身の俳優によって演じられていますが、ツァオ・ヨウニン以外の俳優たちもそれぞれ個性が光っており、甲子園での試合に臨む頃には、観客それぞれに誰か肩入れしたくなる選手が出てくるに違いありません。

(C)果子電影

それからもう1人、映画の狂言回しとでも言うべき重要な役柄があります。映画の冒頭に日本軍将校として登場する錠者(じょうじゃ)博美(青木健)で、甲子園の準々決勝で嘉農に敗れた札幌商業学校の主将兼投手でした。彼は太平洋戦争で南方に送られる途中台湾を通過、嘉義で列車が停まった時に途中下車して嘉農の練習グラウンドを訪ねます。そこはまるで草野球でもやるかのような、何の設備もない粗末なグラウンドでした。そこから10年ほどさかのぼり、そのグラウンドで下手くそな野球をやる嘉農の生徒たちの姿が登場して、それに目を留める近藤兵太郎へと話が繋がっていくのです。

(C)果子電影

製作の総指揮を執ったのは、『海角七号~君想う国境の南』(2008)や『セデック・バレ』(2011)の監督ウェイ・ダーション。そして監督は、『セデック・バレ』でタイモ・ワリスを演じたマー・ジーシアン。マー・ジーシアンにとっては初の長編劇映画ですが、かっちりした作りになっているほか盛り上げ方もうまく、映画としても見る価値のある作品になっています。近藤夫人役の坂井真紀の髪型とかちょっと変なところもあるものの、セットも当時の様子をよく再現しています。あと個人的に嬉しかったのは、農夫役で游安順(ユー・アンシュン)が出演していたこと。『童年往事 時の流れ』(1985)などに主演した男優で、最近見かけなくなっていたため、久々に目にしてびっくりしました。

そんなサプライズもあった『KANO』。それにしても、日台関係の歴史にはまだまだ知らないことも多いのだなあ、と思わせられた作品でした。台湾で大ヒットし、再上映までされた『KANO、皆さんもぜひお見逃しなく。来年1月の予定に入れておいて下さいね。


 


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