アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

東南アジア映画の日

2012-03-23 | 東南アジア映画

たまたま重なったのですが、東南アジア関連の映画を1日で4本見ました。

まず、インドネシアのガリン・ヌグロホ監督の『目隠し』(The Blindfold/Mata Tertutup)。目隠しをされて若い娘たちがどこかへ連れて行かれるシーンから、物語は始まります。そして、ある程度裕福な家の娘たちが家に帰ってこない、という事件が続きます。それは、あるイスラーム教カルト集団が拉致したり、献金を集めるためにやっていたことなのですが、そのうちの2人の娘の家庭が描かれていきます。さらに、もう1人の主人公である青年の物語-貧しくてお金が払えないことから、学校の寄宿舎を追い出されて故郷に帰らざるを得ない彼の話が、彼の友人や、知り合った原理主義者らしい青年を登場させて進行して行きます。3つの話は交わらないのですが、イスラーム教と現代青年というテーマは何となく見えてきます。ただこれまでのガリンの映画に比べて、描写の底が浅いように思われました。

続いては、インドネシア映画の『ラブリー・マン』。大阪アジアン映画祭で上映されたのでご覧になった方も多いと思いますが、ジャカルタで働いている父を訪ねてきた娘(上の写真)が、父の仕事を知ってしまう、というお話です。ビルのオフィスで働いていると思っていたら、父の仕事場は夜の橋のたもと。父は女装し、車でやってくる男を相手に口で性行為をしている、というショッキングな内容で、娘ならずとも衝撃を受けてしまいます。娘は敬虔なイスラーム教徒として描かれているため、そのギャップはさらに深いものとなります。この父娘が一晩語り合い、父がやくざの金貸しとその手下に襲われるという危機をくぐり抜けて、愛情の確認と共に別れも確認する、というのがストーリーです。やくざの手下に襲われるシーンもエグくて、監督はかなり挑戦的な人とお見受けしました。

この日は、19日のアジアン・フィルム・フェスティバルで主演男優賞を獲ったドニ-・ダマラと監督が来場。Q&Aが行われました。お二人とも人気者で、香港在住らしいインドネシア人の人もたくさん見に来ていました。

次は、台湾とビルマ(すみません、私は「ミャンマー」は使いたくないのでこちらを)の合作『帰來的人』(Return to Burma)。台湾に出稼ぎに来ているビルマ人が主人公なのですが、彼らは元々は蒋介石の方針で、中国大陸反攻のため、雲南省との境のビルマに住み着いた中国人です。主人公の王興洪は数年働いたあと帰国することになり、先日事故で亡くなった友人の遺灰を抱えて帰国します。故郷はヤンゴンから離れたラヒオという町に近い農村。彼は外国で稼いできた、というので、学校の式典で挨拶したりと”卒業生の鑑”として遇されたりします。台湾で稼いできたお金をどう生かすか、バイクを買おうか、それとも商売をしようか、いろいろ悩む興洪。でも、まだまだ貧しい一家から、弟はマレーシアへと出稼ぎに出て行きます。村の青年たちと、ビルマ語や中国語の歌を歌ったり、酒を酌み交わしたりしながら、彼がたどり着いた結論は....。

まるでドキュメンタリーのような作品でしたが、撮り方がとてもしっかりしていて、珍しい題材だったこともあって引き込まれました。昔、このようなビルマ在住中国人を扱った劇映画『異域』という映画がありましたね。あれを思い出しながら見ていました。監督(上の写真)趙徳胤もビルマ出身で今台湾にいる、という主人公と同じ立場の人だとか。残念ながらQ&Aがなかったので、いつかお話を聞いてみたいです。

あとはタイ映画『P-047』(Tae Piang Pu Diew)を。人の家にこっそり入り込み、好きなことをやって痕跡をのこさず出てくる、ということをやっている、鍵師とコンピュータに詳しい青年二人組。ところが、仕事中に家人が帰ってきたため危機に陥る、という作品です。なんだか前衛的な作り方で、わけがわからず、という「?」な映画でした。さあ、では、今日も出勤してきます!

 


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シネマテーク元所長ミスバッフさん逝去 (アハマド)
2012-04-19 19:34:22
どこにコメントすべきか迷いましたが、インドネシア映画の紹介がある、こちらのトピックに書き込ませていただきます。

シネマテーク・インドネシアの創設者にして長年所長を務めたMisbach Jusa Biranさんが先週11日にジャカルタ郊外の病院で亡くなりました。78歳でした。
http://filmindonesia.or.id/post/misbach-jusa-biran-tutup-usia#.T4_n7KvqzIY

近年は車椅子が必要なお体だったようですが、アジア・フィルム・アワードでエドワード・ヤン賞を受賞したEdwin監督が彼に関するドキュメンタリーを作っているように、世代を問わず多くの映画人の尊敬を集めていた、まさにインドネシア映画の生き字引のような方でした。ご冥福をお祈りいたします。
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アハマド様 (cinetama)
2012-04-20 10:27:37
コメントでのお知らせ、ありがとうごさいました。

ミスバッハ・ユサ・ビラン氏は、1982年の国際交流基金映画祭以降日本でもお名前を拝見するようになり、「映画が王様の国」「映画で知るアジアのこころ」といった本で論文を拝読しました。1993年に私が調査でインドネシアに行った時にもお会いし、その時のお写真が「アジア・映画の都」P.212に出ています。

今回アドレスを付けて下さった記事にもお写真が出ていますが、これが今年の2月なんですね。この記事にもエドウィン監督のドキュメンタリー映画「Misbach: Di Balik Cahaya Gemerlap(ミスバッハ:輝く光の陰で)」(で訳はいいのでしょうか? 映画のスクリーンの陰で、という意味ですよね)のことが書いてありますが、きっとインドネシア映画史を辿る内容にもなっているのでは、と思いますので、機会があればぜひ見てみたいです。
ミスバッハ氏のご冥福をお祈りします。
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マスバッフさん追悼記事 (アハマド)
2012-04-21 19:52:34
返信有難うございます。Cinetamaさんの93年の調査旅行時の写真のことを覚えていたので、お節介ながら報告させていただきました。
http://www.thejakartapost.com/news/2012/04/13/in-memoriam-cinema-legend-leaves-behind-legacy.html

残念ながら私はまだシネマテークに行く機会がないのですが、学生や研究者にとっては非常に貴重なデータや映画が入手できる場所として重宝されているようです。ただ、経営は相当苦しいようで、ネガフィルムの定期的なクリーニング費が足りず、劣化が心配されているとの記事がありました。
http://www.thejakartapost.com/news/2012/03/25/sinematek-a-struggling-home-historical-films.html
http://www.thejakartapost.com/news/2012/02/19/restoring-film-history-one-movie-a-time.html

あと、エドウィン監督によるドキュメンタリーDi Balik Cahaya Gemerlap はミスバッフさんの監督作品にちなんでつけられたようです。
http://filmindonesia.or.id/movie/title/lf-d024-66-567518/dibalik-tjahaja-gemerlapan#.T5KFvqvqzIY

ミスバッフさんが書かれたSejarah Film 1900-1950を数ヶ月前に購入しましたが、オランダ時代、日本時代、独立革命期の映画界の情景が浮かび上がってくる、大変勉強になる本でした。
http://gadogado.exblog.jp/9561303/

多分以下が彼への最後のインタビューだと思います。ウスマル・イスマイルのLewat Djam Malamは私の評価はさほど高くないのですが、インドネシア映画史においては非常に重要な作品のひとつです。
http://filmindonesia.or.id/post/misbach-jusa-biran-sejarah-adalah-ilmu#.T5KFmqvqzIY

インドネシア製アクション映画The Raid(日本公開も決まった模様)の北米での大成功が話題になっている昨今のインドネシア映画界ですが、過去の旧作にも、そしてその保存に後半生を捧げたミスバッフさんにも、もっと光が当たって欲しいものです。合掌。
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