B&B&B

回り道を全力疾走

自分の大志は、どこに。

2009-12-14 19:07:36 | 未分類
自分が大学時代にやってたことは何だろう?


卒業を意識しだしてそんなことを考えるようになる。


社会人となるための基礎づくりかというと、そうでもない。

無意識的に蓄積されているものはあるとしても、目に見える形では感じられない。


国際協力にしても異文化交流にしても環境問題にしても、農業にしても、地域活性化にしても真剣に取り組んできた。


でも、福利厚生に守られた普通ねサラリーマンを選んだのは、そういった大きな問題よりも、近くの自分自身のコトを大事に感じているからだろう。


自分にかみさんがいなかったらどうなっていただろう?


想像すると怖い。

でも、それが他人なら興味深く見守ってみたく思う。


世界の問題より、環境問題より、身近な女性を優先する。


一男として、ごく、ごく当たり前の事だ。


環境問題やその他の社会問題はその暇をぬって取り組めばいい。



国家が崩壊したり、環境破壊が起これば、かみさんとの生活も崩れてしまうじゃないか。


そういった批判も考えられる。


でも、やっぱり今の俺にとって、50年後の平穏かもしれない未来より、1年後の幸せに過ごせる未来の方が大切で、


いるかもしれない自分の10代先の子孫の世界よりも、

自分の実の息子の世界を大事にしたいと思う


灯台下暗しにはなりたくない。


歴史上の偉人たちのように、大切な人を巻き込んでまで大事を成そうとは思わない。


歴史に名を残せなくても、変革を起こせなくとも、


それ以上に熱中出来る人がいれば、

俺は、どんな歴史上の偉人よりも幸せに生きれる自信がある。




『案外普通のとこに就職したね』と言われたことがあったので、その理由を探していたらこういったところに行き着いた。(笑)

船頭多くして船山に上る

2009-12-14 14:41:06 | 未分類
日本の民主主義はこうはなっていないだろうか?

船頭多くして船山に上る。

リーダーシップを発揮する人は少ない方がいいということ。

政治家だったり経営者というのは、よく昔の偉人について本を読んでる人が多いだろう。

偉人というのはいつでも、変化をもたらした人である。


そうして、誰もが変化を起こすことが崇高なことで目標であるかのように洗脳されている気がする。


このままでは、日本においてカリスマ性のあるリーダーがいたとしても、埋もれてしまうのではないか?

意識レベルの低さ

2009-12-13 22:35:27 | 未分類
よく、僕らはこういった言葉を使います。

『ターゲットは、意識の高い学生でいこう』
とか
『こういったイベントには意識の高い人しか興味をもたないよ』
とか

きっと、企画する側は所謂上から目線というフィルターで考えているのでしょう?

上から目線と客観視の違いは?


上から目線は主観が入っている?


では客観視は主観は入っていない?


まぁとにかく、企画をする側としてはそういった、ハイレベルかローレベルかという区切りで参加者を考え、コンテンツを決めることがあります。


そして、よく陥りがちな思考が、その意識の高い人間がスゴイとかエライといったイメージ。


社会人に混じった勉強会や、社会問題の講演会などに行くと、大人たちから、
『若いうちからスゴイね』とかいわれます。

いったい何をほめられているか分からないまま、とにかく自分はスゴイと錯覚する

本当は、そこで何を学んだか、何を感じたかの中身が重要なはずなのに、その行動をしたという枠組みだけで評価される。


ODAのハコモノ支援と同じか。


意識レベル。

社会問題に対する意識

ジェンダーに関する意識

政治に対する意識

教育に関する意識

国際関係に対する意識

地域活性化に関する意識

経済に対する意識

ノーマライゼーションに対する意識


僕らが意識レベルという言葉を使うときは、多分こういった意味合いで使うことが多い。


そこに、自分たちの生活に対する意識というのはあまり入ってこないように思える。

企業なんかはそこに金が発生するから、無理やり生活と関連付けようとしているところもあるが、


やっぱり、普通の人が意識するのは自分の生活とその周辺のこと。


それに集中している人は、意識レベルが高いと言わないのはナゼだろう?



一人一人のエゴが世界を動かしている。

例えば
”エコ”は”エゴ”ではあるが、それが悪いかと言えば、そうとも言い切れない。



意識レベルが高い、低いという捕らえ方は、よろしくないかもしれない。

でも、自分が少し優越感に浸れるので、きっとやめれないだろう。


優越感はアルコールのようなものだ。


ギリギリトーク

2009-12-12 22:16:20 | 未分類
今日、ひろにいさん主催のパーティーがあった。

始めに自己紹介で①名前②所属③今、欲しいものを初対面同士のテーブル内で言い合う場があった。


淡々と一人ずつ言っていって自分の番が来る。


『福○○○と言います

○○大学の経済学部の○年生です。

今、欲しいものは~…。愛人ですね。
遠距離恋愛しているんですが、やっぱり近くに温もりが欲しくて…。』

僕の事をよく知っているジンさんはこの冗談が通じたようやったが、他の人はコメントに困った感じ…。


ちょこちょこ付き合った人は分かるかもしれんけど、


ここら辺の見極めというか、諦めが出来るようになれば、俺との付き合いはできない人だろうと思う。


あんた、冗談を言ってんのかマジメか分からん。


そう、言われることがたまにあるけど、そういった困惑を引き起こすことが好きなんす。


別に、冗談と受け取っても良いし、本気と受け取ってもいい。


誤解されるのもまた楽しい。
シカトされるのもまたオイシイ
突っ込まれるとさらに幸せ


この感覚って、きっとある種の変態的な感性かもな…とか思った。

ジョニー

2009-12-12 16:02:24 | 未分類
地下鉄で中学時代の部活の先輩に会った。

ジョニー先輩。

なぜ名前がジョニーかは分からないが、とにかくジョニーは優しい先輩だったから好きだった。


誤解のないように付け加えておくが、ジョニーは純粋な日本人だ。

今、何してる?系の話をして、これから何する系の話をして別れた。


連絡先も交換せず、またどこかで…。という形で。


アドレスを交換したところで、何をするというわけでもないから必要がなかった。

ただ、偶然再会できた喜びと驚きさえあればいい。


きっとお互いにそう思ったんだろう。


繋がりあう必要はない


空はいつだってつながっているんだから。


束縛しあう必要はない。

僕らが楽しめる個性はそこにはないのだから。