B&B&B

回り道を全力疾走

迷子の迷子の

2011-09-27 20:35:45 | 未分類
鳴り止まないコール音。

返って来ないメールの返信。

迫る業務のデッドライン。

でも、求められる仕事の質。

やりかけのまま無茶振りされる仕事。

集中できない職場。


とてつもなくワクワクできない仕事


今一度問う。

何で生きてるの?

ただ、生きる事に理由が必要かい?

だったら、死ぬことにも理由はいらないだろ?

過疎地域では、貴重な1人になれるが、
密集地域では、うっとうしいくらい発生している使い捨ての1人。


そこに必死にしがみついて、留まろうとする人間にどうしても魅力を感じることが出来ない。


俺は何のためにここにいて、どこに向かおうとしているのか、もう一度考えてみる。

無理やり作った理由に自信が持てない。

力はある、やる気もある。だけど、足場(スタート)と目標(ゴール)がない。

迷子の迷子の子猫さん。
私のお家はどこですか?

鋭い牙も振り上げた爪も迷走してます。

ワンワンワワン
ワンワンワワン

芽の色を変える

2011-09-19 19:48:01 | 未分類
通常ならば、目の色を変える。と使われますが、偶然にも芽が変換して出てきてしまったので、これから話題をスタートさせましょう。

芽の色って変えられますか?

きっと種の時点で芽の色は決まってるでしょう。
土や養分の違いで色味が若干変わることがあるかもしれませんが、カエルの子はカエル。突然変異でもない限り全く違った色の目は変わらないでしょう


では、ここから目の色を変える話です。
この表現は、興味や関心や心情へ訴えかけるものなどによって、急激に注意を向ける様子を表します。

今日、ネコカフェにいって、ネコの気をひこうと悪戦苦闘していたんです。おもちゃを使っても、なでくり回しても、そっぽ向かれて、全く相手してくれません。

そこへ店員さんが入ってきた途端、写真のこの表情です。

目の色が変わった瞬間です。


人の目の色を使役的に変えようとするのは大変難しいものです。

それが出来れば、マーケティング学なんかもいりませんし、人間関係で悩む事も少なくなるでしょう。


この時、ネコの目を変えたのは、店員さんとネコとの繋がり。親密度ですね。お互いのことをどれだけ知っているかって点で、私はネコの事を全く知らなくて、店員さんにはそれがあったんかなと察したわけです。

人や動物の心の深いところまで扱える人になりたいなぁと思う1日でした。


因みに、芽の色の話。
あれは、芽を変えようとするんじゃなくて、自分の目を変えればいいだけの話ですからね。

世界を変えようとするよりか、自分を変えることの方が簡単で、

自分が変われば、世界の見え方が変わる。

結局、世界を変えたいと思えば、自分を変えるのが手っ取り早いと気がつくでしょう。

それでも、世界を変えたいと思う馬鹿によって、きっとこの世界は動かされてるのかなと思ったり思わなかったり。

そんな馬鹿に私はなりたい。

Dialog in the Dark~温かい闇と冷たい闇~

2011-09-12 10:39:30 | 未分類
Dialog in the Darkをご存知でしょうか?
http://www.dialoginthedark.com/

東京に来て1年半。

東京ディズニーリゾートとか、ジブリの森美術館とか六本木ヒルズとか赤煉瓦倉庫とか色々観光してきましたが、

今日、ここに行ってオススメスポットランキングの順位が全て変わりました。

ここが1位です。

Dialog in the Dark。

東京で、これほど感激したスポットは他にないです。

大人5000円ですが、5000円払っても、友達にオススメしたい場所です。

興味を持った方は、費用負担するんで行きましょう。


アートの観点からも
ビジネスの観点からも
経営の観点からも
福祉の観点からも
エンターテイメントとしても
素晴らしいの一言でした。


俺、ここでなら働けるわと思うほどです。

今、目指してる目標に挫折したら、きっとここに転職します。


キャンドルナイトとは全く違った、完全な闇。

別世界を楽しむと同時に、実際その別世界で生きている人がいる現実

空間のアートは視覚以外でも感じられる。

そして、何より人がとても温かく、近く感じられる。


この感覚は、やってみらなわからんやろうね。


初め、スタッフさんからの説明では、「この中では、健常者と障害者の立場が逆転します」と言われた。

俺は、その言葉の意味を理解しつつも、そこに大きな疑問を抱いた。

日常生活においては、健常者が上で、障害者が下?

ん~、それは、この社会がいわゆる健常者中心に作られているからでしょ?

トータルの能力で言えば、変わらないんじゃないか?

そのへんの話で閉店時間が過ぎてもスタッフさんと盛り上がってしまった。



ここの闇はとても居心地が良かった。

それに比べて、光が煌々と眩しく照らしつけてくる都会の街はとても居心地が悪い。


是非とも、多くの方に、温かい闇を感じて欲しいなぁと思います。


ただの暗闇体験じゃない、エンターテインメントのスゴサ!
季節ごとに、テーマが変わる、飽きの来ない面白さ!

是非、ご堪能あれ!

子どもが理想を抱ける社会

2011-09-12 10:39:06 | 未分類
以前、足を運んだ社会イノベーター公志園からメールが来ていた。
その出場者である志村さんが代表を務める子ども環境会議のシンポジウムのお知らせがきていたので、ふらっと足を運んでみることにした。

こども環境会議主催 シンポジウム 「こどもの本音 大人の言い分」
~みんなで福島の今  そして未来を考えよう~(9/10 東京ウイメンズプラザ プラザホール )

東京の子どもが福島の子どもを迎え入れて共にキャンプをするという大家族ごっこキャンプ。
その活動報告をキャンプリーダーである子どもたちが行い、その後、大人であるパネリストが今後の社会についてディスカッションするというものだった。


キャンプは原発の問題における不満の吐き出しを行なった。

●大人は「我慢しなさい」「しかたがないから」と繰り返し怒るだけで、ちっとも話を聞いてくれない。

●親が大変な状況というのが分かっているから、思っていることも言えなくなる。

●もっと話を聞いて欲しい

●子どもは大人に守られているって言うけど、守るって何?


最近は、小中学生と関わる機会もほぼ無いため、自分と10歳以上も離れている子どもの思いを聞くのはすごく新鮮だった。

不思議と「ガキが、まだまだ考えが浅いなぁ」という感じは全く発生せず、「確かにそうだよね~」と共感&考えさせられるものがほとんどだった。

原発の問題にしても、

●豊かな生活はいらないので、危険な原発は撤廃してください

●友達を悲しませる位なら、電気の無い生活でも我慢します

という決意にも似たことを言う子もいた。


子どもは大人を見て育つ。

都内のある有名女子高のクラスでは1/3がリスカ経験者という話がパネルディスカッションで出た。

高校が期待する大学に行けない成績を残すような子は、グループから外される。
そして、グループから外された子もリスカをしているかもしれないが、グループに留まっている優秀な子の方が揃ってリスカしているのだと。

本来の自分が受け入れられるのではなく、親や先生など大人の期待や条件をの枠に無理矢理自分を当て込んで、クリアした自分しか受け入れられないという強迫観念によって精神疾患を持ってしまう。


命を度外視して経済は語ってはいけない。


すごく心に突き刺さる言葉だった。

悲しい経済発展はいらないよなぁ


中2の女の子に学ばせて頂きました。

ICタグに感情をぶつける

2011-09-01 19:20:58 | 未分類
本日は、東京ビッグサイトで開催されとりました、「自動認識展」に行って来ました。

友達とか周囲の仕事を聞いとると、全国の拠点に出張に行けたり、展示会で沢山外出したり、結構フレキシブルな仕事が出来るけん、幸せなんかなぁ・・・と、思ったりもするんやけど、

まぁ、そういった予定は、全て上司から強制されたスケジュールであって、能動的に予定を組み立て、自発的に動いたものではないけん、学生時代と比べてしまうと、やっぱり不満が残る。

今日も、そんな感じで、いきなり、今日の10:00頃、「お前、この展示会、行けるか?」と言われ、「行けます!」と二つ返事で、上司の期待に沿った返答を行なった。


去年も、同じ展示会に行っとったこともあって、UHFやHFといったRFIDのたぐいにはそれほど新鮮味を感じんかった。
展示会を見て考えることは、「どういう報告をしようか」と「このシステムをうちにどう活かせるか」といったこと。


自動認識展



一般に『在る』ものは認識しやすく、『無い』ものは認識しにくい。

また、時間軸で考えると、
昨日『在った』ものは、今日も『在る』と認識してしまうし。
昨日『無かった』ものは、今日も『無い』と認識してしまう。

若者が上から舐められやすいのは、
過去『無かった能力』が今も『無い』と認識してしまうからじゃないかと感じる。

『在る』と期待されるものだけが『在る』か『無い』かが認識できて、
初めから『無い』ものは在っても認識というか、意識すら向かないことが多い。


能力の認識、人の認識について考えていると、

自分ってちゃんと認識されとるんかな?って思う。

もともと居なかった、東京に、スッと入ってきて1年半。

先週2日間だけ帰省した福岡での認識のされかたと比べると、

東京では、全く認識されとらんなぁ~と思ってしまう。



それでも、少しづつ、こっちでも、少しづつやけど、
「お前が、おらんで大変やった~」とか、「あの場に居て欲しかった~」とか
言ってくれる人が出てきて、
あ、俺この人に認識されとったんやって嬉しくなる。



自動認識展




ここでの認識されるものは全て、『あることが前提となっているもの』

だから、ICリーダーで認識されるものは、ICチップだけで、ポケットの中の異物には反応してくれない。


ICシステムの導入で、洋服の中の異物も同時に検出できないかなぁと考えよったら、上の様な変な考えに行ってしてしまった、

そして、俺も、ここでは、検出されん異物なんかなぁと思うと、悲しくなってきた。

ITやらシステムソリューションやらがひしめく展示会で、目頭が熱くなる男が一人・・・・。


だったら、俺はICタグしか検知しないICリーダーやなくて、X線透過検査装置になればいいんや!


認識されにくいものこそ、認識していきたいし、

人が見たがらないものこそ、しっかり目に焼き付けておきたい。

存在を、まずは否定しない。

在るものをありのままに。無くなってしまったものも、ありありと。

それが出来る人間に!!!



なんか、当初の目的とは全く違うところで、燃えてしまって帰路につく福山でした。