奈良の報告に戻ってきました。
今日は、聖徳太子が建立に関わったとされる七大寺の1つ
法起寺(ほうきじ)です。

ここは、聖徳太子が遺言で山背大兄王(やましろのおおえのおう)が、お宮だった物をお寺にかえたそうです。
ここは、やはり何といっても国宝の三重塔です。

飾りもなく、シンプルな三重塔で最大最古の建物だそうです。
屋根の勾配が緩く、軒が深く、飛鳥時代の様式を伝えています。

建立が706年 高さ24.5m
けっこう、大変なお寺で、
奈良時代は栄えていて
平安時代で衰退
鎌倉時代に三重塔を修復
室町時代にまた衰退
江戸時代は三重塔しか無かったそうです。

何か、悲しすぎると思いません?
しかし、聖徳太子が関わったお寺なので

法隆寺の五重塔(219日目)と同じくの組物(くみもの)の部分が
これが見事な彫刻と、形が特徴です。雲の形をしているので雲肘木(くもひじき)と言います。
これらは、法隆寺と関係のある少数のお寺でしか見れません。とても貴重です。
ここの境内では、面白い物がありました。
これです。 付け根をちょい拡大。


分かりますか? 松って普通二本でしょ?
三本でしょでしょ。
ほら、面白いでしょ。入り口の所にある松の木にときどき出る物らしいです。
最後にいつもの御朱印です。

以上、法起寺の報告でしたー。
ぜひ皆様↓ポチッとクリック願います。

今日は、聖徳太子が建立に関わったとされる七大寺の1つ
法起寺(ほうきじ)です。

ここは、聖徳太子が遺言で山背大兄王(やましろのおおえのおう)が、お宮だった物をお寺にかえたそうです。
ここは、やはり何といっても国宝の三重塔です。

飾りもなく、シンプルな三重塔で最大最古の建物だそうです。
屋根の勾配が緩く、軒が深く、飛鳥時代の様式を伝えています。

建立が706年 高さ24.5m
けっこう、大変なお寺で、
奈良時代は栄えていて


鎌倉時代に三重塔を修復




何か、悲しすぎると思いません?
しかし、聖徳太子が関わったお寺なので

法隆寺の五重塔(219日目)と同じくの組物(くみもの)の部分が
これが見事な彫刻と、形が特徴です。雲の形をしているので雲肘木(くもひじき)と言います。
これらは、法隆寺と関係のある少数のお寺でしか見れません。とても貴重です。
ここの境内では、面白い物がありました。
これです。 付け根をちょい拡大。


分かりますか? 松って普通二本でしょ?
三本でしょでしょ。
ほら、面白いでしょ。入り口の所にある松の木にときどき出る物らしいです。
最後にいつもの御朱印です。

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