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翌朝、ニュースを見ながら「谷の逆転満塁ホームランで、巨人が勝ったよ」と教えてあげると、驚いた表情で「やっぱり原監督は強いね。」と喜んでいました。「わたしの言った通りでしょ」と言わんばかりの満面の笑み。谷選手の満塁逆転ホームランのおかげかどうかわかりませんが、その日の朝食はお義父さんも驚くほど食べてくれました。
4月25日のことを、僕は一生忘れることはないとおもいます。
朝食が終わってすぐのこと。「こんなに調子がいい日はめずらしいからね」と僕を枕元に呼んで、「みんなで桜を見に行きましょう」と言います。「桜の樹の下で、みんなで写真を撮りましょう」とみんなを順番に枕元に呼び寄せては、繰り返し、繰り返し言います。この台詞は実現できないものと、僕らは勝手に思っていました。ですが、大事なことを思い出した。訴えるようにお義母さんはずっと繰り返しています。
さっそく支度にかかりました。
クルマにお義母さんをのせて、お義父さんは隣に付きっきり。トランクに車椅子を積み、奥さんを隣に乗せて。僕はいままでにない緊張を感じながら、お義父さんの言う通りにクルマをゆっくりゆっくり走らせました。
川沿いの道から山の方に折れて、交番脇の坂道をのぼっていきます。
「運転が上手だね」とお義母さんにほめられたのもはじめてでした。車の中でも、「写真を撮りましょう。みんなで撮りましょう。」「今日は本当にいい日だから」と繰り返し言うのを聞いていると、なんだか涙があふれてきてたまりませんでした。
ついた先は、県立の公園。
僕らが結婚する2、3年前にできた公園です。完成直後に何度か訪れたことはありますが、十数年離れている間に、植えられた木々も立派になってきて。この日、八重桜の林が見事に満開の花を咲かせていました。
朝、10時すこし前。お天気はよかったけれど、まだ少し風が冷たくて。車椅子にお義母さんをのせて、奥さんがタオルケットをかけてあげました。
お義母さんと桜を見ることができた。やっとここまで連れくることができた。もともと無口なお義父さんはなんともいえない表情でぐっと何かをこらえていたし、奥さんはもう目に涙を溜めているのに一生懸命こぼさないように頑張っている。僕らはどこか感無量になってしまって、お互い話をすることも叶わなかったけれど、お義母さんだけが唇からうまく放れてくれない言葉をなんとか声にしようと一生懸命話しています。「写真を撮りますよ。」
努めて冷静に、努めて自然に振る舞うことを心がけていたつもりでしたが、画角も、明るさも頭の中で計算なんてできなかった。まったく何もできずに、僕はただただシャッターだけを押していました。写真として、あまりできは良くなかったかもしれません。こんな気持ちでシャッターを切り続けたことは、いままでになかった。
谷間の方から、何やら壮大な音楽が鳴り始めました。オーケストラに合わせて合唱が歌い上げる。なにかの式典のリハーサルをしているようでしたが、何のための、誰の曲なのかはわかりません。でも、その音楽を聴いているうちに、奥さんの涙はついにこぼれてしまいました。お母さんにばれないように、後ろを向いてはなんどもなんども涙を拭っていました。
音楽が終わりました。
よく晴れた公園には鳥もさえずっていたはずだけど、なんだか妙に明るい静けさに満たされているようでした。しばらくして、僕の頭の中で別の音楽が鳴り止まないことに気づきました。それがここ最近ずっと聞いていたOscar Petersonの歌声だと分かったときには、唇が歌詞を追いかけていました。あまりにもありふれているスタンダード。
In this world of ordinary people,
Extraordinary people,
I'm glad there is you.
In this world of over-rated pleasures,
Of under-rated treasures,
I'm so glad there is you,
I live to love, I love to live with you beside me.
This role so new,
I'll muddle through with you to guide me.
In this world, where many, many play at love,
And hardly any stay in love,
I'm glad there is you.
More than ever, I'm glad there is you.
期待したほどお義母さんの体力は保たず、満開の八重桜のそばには20分もいられなかったと思います。「疲れたから、帰りましょう」と言ったのも、お義母さんでした。
「今日は本当に出来過ぎな一日。本当にいい日だからね。」帰りの車の中では、疲れているはずなのに、ご機嫌でした。
「今日は本当にいい日だね。」
本当にいい日でした。
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I'm glad there is you (1)
I'm glad there is you (2)
I'm glad there is you (3)
I'm glad there is you (4)
I'm glad there is you (5)
I'm glad there is you (6)
I'm glad there is you (7)
I'm glad there is you (8)
I'm glad there is you (10)
4月25日のことを、僕は一生忘れることはないとおもいます。
朝食が終わってすぐのこと。「こんなに調子がいい日はめずらしいからね」と僕を枕元に呼んで、「みんなで桜を見に行きましょう」と言います。「桜の樹の下で、みんなで写真を撮りましょう」とみんなを順番に枕元に呼び寄せては、繰り返し、繰り返し言います。この台詞は実現できないものと、僕らは勝手に思っていました。ですが、大事なことを思い出した。訴えるようにお義母さんはずっと繰り返しています。
さっそく支度にかかりました。
クルマにお義母さんをのせて、お義父さんは隣に付きっきり。トランクに車椅子を積み、奥さんを隣に乗せて。僕はいままでにない緊張を感じながら、お義父さんの言う通りにクルマをゆっくりゆっくり走らせました。
川沿いの道から山の方に折れて、交番脇の坂道をのぼっていきます。
「運転が上手だね」とお義母さんにほめられたのもはじめてでした。車の中でも、「写真を撮りましょう。みんなで撮りましょう。」「今日は本当にいい日だから」と繰り返し言うのを聞いていると、なんだか涙があふれてきてたまりませんでした。
ついた先は、県立の公園。
僕らが結婚する2、3年前にできた公園です。完成直後に何度か訪れたことはありますが、十数年離れている間に、植えられた木々も立派になってきて。この日、八重桜の林が見事に満開の花を咲かせていました。
朝、10時すこし前。お天気はよかったけれど、まだ少し風が冷たくて。車椅子にお義母さんをのせて、奥さんがタオルケットをかけてあげました。
お義母さんと桜を見ることができた。やっとここまで連れくることができた。もともと無口なお義父さんはなんともいえない表情でぐっと何かをこらえていたし、奥さんはもう目に涙を溜めているのに一生懸命こぼさないように頑張っている。僕らはどこか感無量になってしまって、お互い話をすることも叶わなかったけれど、お義母さんだけが唇からうまく放れてくれない言葉をなんとか声にしようと一生懸命話しています。「写真を撮りますよ。」
努めて冷静に、努めて自然に振る舞うことを心がけていたつもりでしたが、画角も、明るさも頭の中で計算なんてできなかった。まったく何もできずに、僕はただただシャッターだけを押していました。写真として、あまりできは良くなかったかもしれません。こんな気持ちでシャッターを切り続けたことは、いままでになかった。
谷間の方から、何やら壮大な音楽が鳴り始めました。オーケストラに合わせて合唱が歌い上げる。なにかの式典のリハーサルをしているようでしたが、何のための、誰の曲なのかはわかりません。でも、その音楽を聴いているうちに、奥さんの涙はついにこぼれてしまいました。お母さんにばれないように、後ろを向いてはなんどもなんども涙を拭っていました。
音楽が終わりました。
よく晴れた公園には鳥もさえずっていたはずだけど、なんだか妙に明るい静けさに満たされているようでした。しばらくして、僕の頭の中で別の音楽が鳴り止まないことに気づきました。それがここ最近ずっと聞いていたOscar Petersonの歌声だと分かったときには、唇が歌詞を追いかけていました。あまりにもありふれているスタンダード。
In this world of ordinary people,
Extraordinary people,
I'm glad there is you.
In this world of over-rated pleasures,
Of under-rated treasures,
I'm so glad there is you,
I live to love, I love to live with you beside me.
This role so new,
I'll muddle through with you to guide me.
In this world, where many, many play at love,
And hardly any stay in love,
I'm glad there is you.
More than ever, I'm glad there is you.
期待したほどお義母さんの体力は保たず、満開の八重桜のそばには20分もいられなかったと思います。「疲れたから、帰りましょう」と言ったのも、お義母さんでした。
「今日は本当に出来過ぎな一日。本当にいい日だからね。」帰りの車の中では、疲れているはずなのに、ご機嫌でした。
「今日は本当にいい日だね。」
本当にいい日でした。
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I'm glad there is you (1)
I'm glad there is you (2)
I'm glad there is you (3)
I'm glad there is you (4)
I'm glad there is you (5)
I'm glad there is you (6)
I'm glad there is you (7)
I'm glad there is you (8)
I'm glad there is you (10)