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お義母さんは、いま、病院から出ることはできません。
あのお花見のあと、もう一度だけ一泊二日の帰宅をしました。その時は僕の作った料理もたくさん食べてくれて。お義父さんが、「元気な頃と変わらないくらい食べている。あれだけ食べてくれれば満足だよ。」と言ってくれました。だけど、あの日と比べると調子はよろしくない。次の一時帰宅に期待して病院に帰したのですが。
直後に先の病魔が再発してしまいました。
それから二週間。
いま、僕らにできることはそばにいてあげるくらいしかありません。
この二週間は奥さんを実家に帰しています。娘として。
☆
K氏は大好きな父上を2年前に亡くされました。夏の暑い日でした。
その年の正月。「ちょっとつきあえ。迎えにいくから。」と、いつものように突然連絡があって、そのままK氏の運転でドライブに出かけました。ずっと心に秘めて、ずっと耐えてがんばってきた人が、なにかの覚悟を決めたのでしょう。お父さんがもう危ないということを、僕はクルマの中で聞いたのでした。
なにか出来ることはないか?と言いかけては、やめました。僕に出来ることなんて、本当になにもないことはわかっています。ただ、聞く。それだけしかできませんでした。
ドライブはなんのあてもなくひたすら続くように思えましたが、K氏は最初から目的地を決めていたようです。
「ここの麦とろめしがうまくてさ。」
湯河原と熱海の境あたりにあるお店は、なんでも志賀直哉にゆかりのある建物を移築したものだそうで。僕らが座った座敷からは、蒼くうねる海が遠くまで見渡せて。
つらい季節を通り過ぎて、また前のように一緒に飲みにいくことを重ねていましたが、K氏は忙しい仕事のかたわら、ある免許を取得しました。一級船舶免許です。飲みながら「お前ものせてやるよ」と格好いいことを言っていたので、無茶苦茶楽しみにしていたのですけど。どういうわけか、この免許を取得した直後から、彼の職場での立場が変わり、今は本当に激務の毎日に耐えています。本人も、驚くほど休みが取れない。僕らはつかの間会えればいい方で。
4月のある夜。やっぱり突然の連絡を受けて、クルマで迎えにいきました。前にもらったRomanceを聴きながら僕の運転でドライブしたときには、僕の方が耐えられず、お義母さんのことをK氏に話しました。「なにかしてあげたいのに、なにもしてあげられないつらさ」について、分かってくれるのはK氏しかいなかったからです。まだ咲き誇っていたソメイヨシノを夜桜を決め込んで見に行きました。だいぶ長く話をして、それから深夜にやっている喫茶店にたどり着いて。
そこでは、はやく船に乗せてよ!ってことを話しました。
「そうだよな。いつでも行けるはずなのに、なんで行けないんだろうな。」と笑っていましたが。
そう遠くないうちに、僕ら夫婦を海の上にご招待してくれるそうです。ちゃんと実現したら、僕はK氏のことをキャプテンって呼ぶ約束をしています。Captain K氏。わるくないです。気楽な僕は、おいしいお酒とおいしい料理を持っていくつもりです。キャプテンは下戸ですから飲酒操舵の心配はありません。奥さんは風と日焼けを気にしながらも、たぶんよろこんでくれるだろうな。おなかがいっぱいになったら、僕だけ海の上で葉巻でもふかして。きっと二人にあきれられるけど、そんなのはどこ吹く風で。音楽と波の音を聴きながら、きっと他愛のない話ばかりして。(了)
I'm glad there is you (1)
I'm glad there is you (2)
I'm glad there is you (3)
I'm glad there is you (4)
I'm glad there is you (5)
I'm glad there is you (6)
I'm glad there is you (7)
I'm glad there is you (8)
I'm glad there is you (9)
あのお花見のあと、もう一度だけ一泊二日の帰宅をしました。その時は僕の作った料理もたくさん食べてくれて。お義父さんが、「元気な頃と変わらないくらい食べている。あれだけ食べてくれれば満足だよ。」と言ってくれました。だけど、あの日と比べると調子はよろしくない。次の一時帰宅に期待して病院に帰したのですが。
直後に先の病魔が再発してしまいました。
それから二週間。
いま、僕らにできることはそばにいてあげるくらいしかありません。
この二週間は奥さんを実家に帰しています。娘として。
☆
K氏は大好きな父上を2年前に亡くされました。夏の暑い日でした。
その年の正月。「ちょっとつきあえ。迎えにいくから。」と、いつものように突然連絡があって、そのままK氏の運転でドライブに出かけました。ずっと心に秘めて、ずっと耐えてがんばってきた人が、なにかの覚悟を決めたのでしょう。お父さんがもう危ないということを、僕はクルマの中で聞いたのでした。
なにか出来ることはないか?と言いかけては、やめました。僕に出来ることなんて、本当になにもないことはわかっています。ただ、聞く。それだけしかできませんでした。
ドライブはなんのあてもなくひたすら続くように思えましたが、K氏は最初から目的地を決めていたようです。
「ここの麦とろめしがうまくてさ。」
湯河原と熱海の境あたりにあるお店は、なんでも志賀直哉にゆかりのある建物を移築したものだそうで。僕らが座った座敷からは、蒼くうねる海が遠くまで見渡せて。
つらい季節を通り過ぎて、また前のように一緒に飲みにいくことを重ねていましたが、K氏は忙しい仕事のかたわら、ある免許を取得しました。一級船舶免許です。飲みながら「お前ものせてやるよ」と格好いいことを言っていたので、無茶苦茶楽しみにしていたのですけど。どういうわけか、この免許を取得した直後から、彼の職場での立場が変わり、今は本当に激務の毎日に耐えています。本人も、驚くほど休みが取れない。僕らはつかの間会えればいい方で。
4月のある夜。やっぱり突然の連絡を受けて、クルマで迎えにいきました。前にもらったRomanceを聴きながら僕の運転でドライブしたときには、僕の方が耐えられず、お義母さんのことをK氏に話しました。「なにかしてあげたいのに、なにもしてあげられないつらさ」について、分かってくれるのはK氏しかいなかったからです。まだ咲き誇っていたソメイヨシノを夜桜を決め込んで見に行きました。だいぶ長く話をして、それから深夜にやっている喫茶店にたどり着いて。
そこでは、はやく船に乗せてよ!ってことを話しました。
「そうだよな。いつでも行けるはずなのに、なんで行けないんだろうな。」と笑っていましたが。
そう遠くないうちに、僕ら夫婦を海の上にご招待してくれるそうです。ちゃんと実現したら、僕はK氏のことをキャプテンって呼ぶ約束をしています。Captain K氏。わるくないです。気楽な僕は、おいしいお酒とおいしい料理を持っていくつもりです。キャプテンは下戸ですから飲酒操舵の心配はありません。奥さんは風と日焼けを気にしながらも、たぶんよろこんでくれるだろうな。おなかがいっぱいになったら、僕だけ海の上で葉巻でもふかして。きっと二人にあきれられるけど、そんなのはどこ吹く風で。音楽と波の音を聴きながら、きっと他愛のない話ばかりして。(了)
I'm glad there is you (1)
I'm glad there is you (2)
I'm glad there is you (3)
I'm glad there is you (4)
I'm glad there is you (5)
I'm glad there is you (6)
I'm glad there is you (7)
I'm glad there is you (8)
I'm glad there is you (9)