りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

過去の花々 SH901

2010-06-09 13:18:43 |   花  
花なんてどれも同じに見えるようでいても、それはやっぱり違っていて。記憶と照らし合わせると、たしかにあのときの花の姿というのが浮かび上がってきたりします。曖昧なくせに厳密なのが記憶っていうことなのか?関心のあることにはささいな違いこそが愛すべきことであったり。食卓を飾る花の向こうには、奥さんだけでなくて、訪ねてきてくれた友達の顔が見えてきたりするので、古い写真ほど記憶に結びついていたりします。そのとき交わした言葉や、飲んだお酒の味、あつかったりさむかったりといった季節の記憶が肌によみがえってきたり。それから、ずっと会えないでいる人のことを思っていたことなんかを。。。

   

たまに「前向き」という言葉で過去を振り払ってしまう人たちがいるけれど、あれっていつも違和感を感じるのです。スポーツのように人生を生きる人には現実に必要なスキルとして「忘れる」ことが要求されることってあるとは思います。一方で、まったくそういうのとは違う場面で、無責任な人が多用する言葉でもある。記憶すべき今がない人が便利に使う常套句のような。そんな気もします。文脈でもそうだけど、「誰がどういう風に使うか?」で言葉の意味なんてぐるぐる変わってしまうものなので、「前向き」の意味もたくさんあるっていうことなのかもしれません。まぁ、無責任な人々はやがて目の前から消えてくれるのですから放っておくことにして。。。


    

過去の花々を見返していたら、いろんな思い出もよみがえってきたので、心の方が忙しくなってきました。
グレン・グールド発言集を読んでいたときに「思い出はぞんざいに扱うべからず」っていう言葉があって、僕はおおいに共感しつつ彼のいう「思い出」のことをあれこれ想像していました。もちろん思い出という言葉ほど一筋縄ではいかなくて、言葉や記録だけでは追いつかない、つかみがたいことなのだと思うのですけど。大切なことって、つかみがたく、傷つきやすく、でも
疑うことができないほど確かにあると実感できる。そういうものなのかも。。。

SH901で撮った花の写真ばかりを集めてみました。ある時期に肌身離さず持っていた携帯電話で撮った写真って、何を撮ってもプラヴェートなところに直結してしまうものなのか?いろんなことを思い出してしまうものです。



SH901の記憶





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