先だって手に取ったお菓子の本。
ページをめくるのが楽しいので、自分では食べることのできない
お菓子をただただ眺めているのだけど、
「あぁ~、これいいなぁ♪」と目にとまるそのほとんどに
北大路魯山人の皿が使われているので、
それに気づいたときには「またしても、やられた」と思った。
どういうわけか、魯山人の器に反応してしまう自分がいるのである。
たくさんの作品を知っているというわけではない。
「いいなぁ」と思うと、それが「魯山人」だったということが、
ひたすらに重なっているのだ。
こないだ、ポーラ美術館に行ったときもそうだった。
わりと遠目に「おっ!」と思ってしまって。
近寄ってみると、それが「魯山人」。。。
懐かしい伊勢丹相模原店でのことも思い出す。
尊敬すべきS崎さんと。
近くまできたので寄ってみたのだけど、特撰の売場で催事をやっていて。
なんかいいのあるな!と思って、ツツッと近寄ると、やけに強烈な存在感。
すると、いつの間にかS崎さんが後ろにいらっしゃって。
「いやいや。お目が高い♪」
とか、なんとか、おだててくれたのだけど、
「魯山人なんですよ♪」と教えてもらって。
「おひとつ、いかがです?」とか、勧められて、
こっちが二度びっくりしたという。。。(^ω^ゞ
いやぁ、こういうのは美術館にあるものだと思ってたもんですから(^o^;)
まさか、こんな身近で、しかも「いかがです?」なんて、お勧めされるとは思ってもなくて。
好きなんだけど持っていない、っていうのは考えてみると結構たくさんある。
っていうか、好きなものの大半は、常に憧れの存在のままでいる。
「手に入れる」ということと「好きでいる」っていうことは、
必ずしもイコールではないと思う。
だけど、持っていないと実現できないことがあるというのも、また事実である。
ま、借りるとか、そういう手立てもあるにはあるが。。。
ところで。
源氏物語五十四帖をお菓子で表現したこの本にあって、
北大路魯山人の登場回数は8回に及ぶ。
バリエーション豊かに、いろんな景色を見せてくれる
実に見事な一冊なのだけれど、この本を編んだ粋人にしても、
「魯山人」の魅力に抗えないとするなら、
僕などがやられぱっなしなのも致し方あるまい!
。。。なんてね(^o^;)♪