りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

市がひらく場所(1)

2011-06-20 06:52:50 |  相模原 
いつもクルマで通り過ぎてしまうだけなのですが、ずっと気になっている場所があります。
僕が住んでいるところあたりを東西に貫く道があって、かつては「当麻山道」と呼ばれていました。その山道の目的地は、時宗の元の総本山、当麻山無量光寺。僕が気になっていたのは、お寺のすぐちかくにあるバス停から交差点までのあたり。
「当麻市場(たいまいちば)」と呼ばれる一帯があるのです。



「ヤバい名前だな」というのが第一印象。引っ越してすぐのころに、はじめて通りかかったときには変にドキドキしちゃいました。考えれば考えるほどヤバい想像しか浮かんでこないんだもの。ピンと来ることなんて、ちょっと他にありません。。。でも、バス停にもバッチリ明記。信号機の上には地名看板が堂々と「当麻市場」と掲げてある。まさか「御上公認!」っていうこと?なんてあるはずもないですよねぇ。




「当麻市場」では地元の小中学生の他に歩いている人を見かけることは稀です。でも、通り過ぎるクルマの量は多いのです。大型車がよく通るというのもあるけれど、交通の絶対量が多いので排気ガスもすごい(写真じゃぁクルマをよけて撮ってしまったけど。。。)。というのもR129と当麻山道と相模原町田線をつないでいる道だからです。昔ながらの街道、県道、国道が集中している。民主党が遅らせている影響で確かなことはいえないのだけど、来年には圏央道の相模原インターチェンジが開通予定。なので、周辺の工事も進められています。「当麻市場」からすぐ下の「下当麻」の交差点あたりからインターへ乗り込む道路が建設されています。少なく見積もっても鎌倉時代頃から、この一帯はとにかく交通が集中するような宿命を背負わされているかのようです。



でも、ここでは「街道」ではなく「当麻市場」という地名を追いかけたい。

「当麻」ということばの意味はいまだもって不明なのですが、近くに「当麻山」をいただく無量光寺がで~んと構えていますから、地名の由来としてならとりあえず納得です。でも、「市場は?」というと、現在では交差点のあたりで自動車整備工場が道路の両脇を占有しているくらい。見渡したって「市場」が開かれるような場所なんて見当たらない。。。いったいどうした理由でここが「市場」と呼ばれているのか?赤信号でとまるたんびに、三叉路をキョロキョロ見渡してみるのですが、いつも首を傾げてしまうのです。
「当麻山道」が無量光寺をゴールとして目指していたから街道沿いに市が立つことはあっただろう、とは思います。だとしても、お寺の正面、山道が山門へと接続する正面は「当麻市場」とはちょうど正反対の場所に位置しています。「当麻市場」は境内では裏手、つまり「墓地」のすぐ前に位置しているのです。歩けば墓石や卒塔婆が立っているのが至近距離でよく見えます。その数も広さも半端はない。ちょっと路地を入ると墓石屋さんもあったりする。
下の写真は歩道橋の上から「当麻市場」のバス停に向かって撮ったものですが、左上の方に墓地が見えちゃったりするでしょう?



「どうして墓地のそばに市場が立つのか?」
僕の疑問はこれなのでした。














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2 コメント

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懐かしい (かえる)
2011-06-20 21:48:38
とっても懐かしいです。当麻山無量光寺。
実は私、光明学園の出身でして(笑)

学校行事の一環で無量光寺へのお墓参りもありましたょ(笑)


私は自転車通学だったので、『当麻市場』のことは残念ながら知りませんでしたが、ヤバイ方の大麻とは字が違うので大丈夫かと思います(笑)
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やぁ (りゅういち)
2011-06-21 01:03:06
やぁ、そうでしたか。
それじゃこの話はなにかにビンゴ!だったのですな
たしかに自転車だと、あのあたりの坂はちょっと大変そう。
その分、学校からの景色は眺めも良さそうですね~
ちょっとネタバレなんだけど、あのあたり一帯は中世的な様子を色濃く残している雰囲気があります。
一見、なんにもなさそうなんですけど、昔の記録にはよく出てくるらしいの。
歴史はかなり古いみたいですよ。

それにしても、はやく圏央道が開通してくれないかなぁ。
あそこが使えるようになると、僕なんかはすごく助かっちゃうんだけどな。
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