お月見と長谷川潔作品がきっかけになって、少し気になっていた「竹取物語」について考えてみようと思ったのだが。
物語のディテールについての記憶がいろいろ曖昧なことになっていて。
実際はどんなだったっけ?と。
わかっているつもりは何ごとにも通用しません(^o^;)
読み始める端からつまづきまくる Σ(゚∀゚ノ)ノ
先だって芥川龍之介の「蜜柑」でも自覚したことと一緒で、自分が中学生くらいのころに「わかってた」ことって、少々、思い込みが勝っているところがあるゾと(^o^;)
まずはこれを確認した(^ω^ゞ
読めば読むほどさらなるナゾが積み重なる一方なのだが、とりあえず、うろ覚えだったところの確認はやっておいた。
かぐや姫が月の都へと帰る日が仲秋の名月であったことは、物語にはっきり書いてある。
「お月見」と「かぐや姫」には確かな関係が明言されとりました(*^ω^)
物語に帝が登場し、かぐや姫や翁たちとダイレクトに関わりを持つという意味では「竹取物語」はなかなか特殊だなぁと。帝との距離が近いような。
平安の世にあって、もっとも古い物語として、すでに認知されていたらしい「竹取物語」だが、それはつまり、「物語」というものに書物の形を与えた最初ということにはなるだろう。
「物語」と「神話」とが明確に区別されていたということも言えそう。
帝、つまりは国に関わる重大事が「物語」として書かれたことの意義は考えておきたい。
そのあたりは「源氏物語」などとは性質がだいぶ異なる。
なんてったって、帝の求婚をもお断りするのだから、相当なもんである。
そもそも、「かぐや姫」とは何者か?
「お伽噺」は「お解き噺」、こういう言葉遊びは、案外、侮れないぞと( ・ิω・ิ)b