リアルタイムでは観ていなかったので、長い間蚊帳の外にいました。
「あんた、バカぁ?」っていうアスカのセリフは知っている。
シンジくんの「逃げちゃダメだ」も知っている。
綾波レイの等身大フィギアの話題も耳に入ったりする。
でも、はじめて観たのはTV放映から10年後。
それにはきっかけがあって。。。「おおさこさんには絶対観て欲しい」と言っていた若い友人コッシーが、大切な自分の宝物を手渡してくれて。L.C.L.の色をしたケースに入った大量のDVD。ずっしりと重みのあるDVD BOXはそれ自体が「生命のスープ」を模していた。
「そんなにすごいの?」とかいう僕の間抜けな質問に、おおまじめで「保証します」とのお答え。
2週間、ほとんどぶっ通しで3回繰り返して観ました。コッシー、あのときはありがとね。
それにしても膨大な情報量を一気に流し込んだので、頭がくらくら。いいたいことがあふれてくるのに、うまくまとめられないし。。。僕の知らないうちに、日本全国でこれが盛り上がっていたのかぁ、なんて思ったりして。
コスプレにモノマネ、ムックや用語解説から、哲学的論考に宗教論まで。熱狂的ファン、好意的ファン、否定的なんだけどやたら詳しい人、ムーブメントを冷ややかに横目に観ているけど実は全部目を通している人、迂闊に観てしまって生理的にムリと怒っている人、パチンコで知ったという人などなど。。。いったいどれだけの人が巻き込まれていたんだろう?って考えると、またもやくらくらしちゃいそうです。
いざ、自分で観てしまうと、今度はどうにかして話をしたくなるものですが、僕が観た当時ですでに十年を経過していた作品ですから、ものすごいコアなファン(で、しかもお人好しなくらいやさしい人)が反応を示してくれるくらいで、大方の人は「ああ、エヴァね」っていうくらい。むちゃくちゃ冷ややかな風を装っているので。。。やっと観たと思ったら、今度は別の意味で蚊帳の外。。。なんだかすっごくさみしくなっちゃったのでした。やっぱり十年の遅れというか、この時間差っておおきい。
新劇場版が公開されていて、続編が待たれている!なんて話を聞いちゃうと、一過性のブームとはやっぱり違っていて。冷ややかを装いつつ「あ、観ました」っていう人をつかまえると「やっぱり興味あるんじゃないか~!」って突っついてみたくなります。が、考えてみれば、TV放映時に14歳だった人たちでもそろそろ30才になるわけだから。。。なかなか「無邪気に盛り上がる」ということにはならないんだろうな~。
でも、そうゆう人たちが30才目前になって見直してみると、いろんな発見があるだろうと思うのです。
だって、当時14才だった人たちが、いつの間にか葛城ミサトさんや赤木リツ子さんの年令に追いついて、追い越しているわけですものね~。劇的な「視線の変化」を自覚しないわけにはいかないだろう、と。
読み方が如実に変わる。本を読んでいるとそういうことがまま起こりますけど、僕らの世代はそれをガンダムで体験している人が多いはず。みんなが知っている共通のテキストっていうか、共通の空気っていうのがある。
そういう体験を「エヴァンゲリオン」で強烈に自覚しちゃう人だってたくさんいるだろうなぁ、って。
冬月:15年ぶりだね。
ゲンドウ:ああ、間違いない。「使徒」だ。
っていうセリフが第壱話に出てきたけど、TV放映から「15年ぶり」っていうのが2010年のこの秋から来年春までってことになるんだなって思ったら、案外、いまこの時季っていうのもタイムリーなのかもしれないなぁって。。。こじつけたくなりました。。。そうなんです、いろいろこじつけたくなるんです。このエヴァってやつは。
ほぼ同じテーマ、ストーリーでTV、劇場版、新劇場版と3回にわたって世に問われたアニメなんて、ちょっと他に例がないってことも、僕の中ではおおいにひっかかるなにかがあって。。。それだけの執念で作り上げられた物語って、いったい???作り手の中にあるだろう得体の知れない情念を感じてしまって、いろんなことを言いたくなります。
エヴァンゲリオン/体験(2)
エヴァンゲリオン/体験(3)
二重の司祭/碇ゲンドウの場合(1)
二重の司祭/碇ゲンドウの場合(2)
「あんた、バカぁ?」っていうアスカのセリフは知っている。
シンジくんの「逃げちゃダメだ」も知っている。
綾波レイの等身大フィギアの話題も耳に入ったりする。
でも、はじめて観たのはTV放映から10年後。
それにはきっかけがあって。。。「おおさこさんには絶対観て欲しい」と言っていた若い友人コッシーが、大切な自分の宝物を手渡してくれて。L.C.L.の色をしたケースに入った大量のDVD。ずっしりと重みのあるDVD BOXはそれ自体が「生命のスープ」を模していた。
「そんなにすごいの?」とかいう僕の間抜けな質問に、おおまじめで「保証します」とのお答え。
2週間、ほとんどぶっ通しで3回繰り返して観ました。コッシー、あのときはありがとね。
それにしても膨大な情報量を一気に流し込んだので、頭がくらくら。いいたいことがあふれてくるのに、うまくまとめられないし。。。僕の知らないうちに、日本全国でこれが盛り上がっていたのかぁ、なんて思ったりして。
コスプレにモノマネ、ムックや用語解説から、哲学的論考に宗教論まで。熱狂的ファン、好意的ファン、否定的なんだけどやたら詳しい人、ムーブメントを冷ややかに横目に観ているけど実は全部目を通している人、迂闊に観てしまって生理的にムリと怒っている人、パチンコで知ったという人などなど。。。いったいどれだけの人が巻き込まれていたんだろう?って考えると、またもやくらくらしちゃいそうです。
いざ、自分で観てしまうと、今度はどうにかして話をしたくなるものですが、僕が観た当時ですでに十年を経過していた作品ですから、ものすごいコアなファン(で、しかもお人好しなくらいやさしい人)が反応を示してくれるくらいで、大方の人は「ああ、エヴァね」っていうくらい。むちゃくちゃ冷ややかな風を装っているので。。。やっと観たと思ったら、今度は別の意味で蚊帳の外。。。なんだかすっごくさみしくなっちゃったのでした。やっぱり十年の遅れというか、この時間差っておおきい。
新劇場版が公開されていて、続編が待たれている!なんて話を聞いちゃうと、一過性のブームとはやっぱり違っていて。冷ややかを装いつつ「あ、観ました」っていう人をつかまえると「やっぱり興味あるんじゃないか~!」って突っついてみたくなります。が、考えてみれば、TV放映時に14歳だった人たちでもそろそろ30才になるわけだから。。。なかなか「無邪気に盛り上がる」ということにはならないんだろうな~。
でも、そうゆう人たちが30才目前になって見直してみると、いろんな発見があるだろうと思うのです。
だって、当時14才だった人たちが、いつの間にか葛城ミサトさんや赤木リツ子さんの年令に追いついて、追い越しているわけですものね~。劇的な「視線の変化」を自覚しないわけにはいかないだろう、と。
読み方が如実に変わる。本を読んでいるとそういうことがまま起こりますけど、僕らの世代はそれをガンダムで体験している人が多いはず。みんなが知っている共通のテキストっていうか、共通の空気っていうのがある。
そういう体験を「エヴァンゲリオン」で強烈に自覚しちゃう人だってたくさんいるだろうなぁ、って。
冬月:15年ぶりだね。
ゲンドウ:ああ、間違いない。「使徒」だ。
っていうセリフが第壱話に出てきたけど、TV放映から「15年ぶり」っていうのが2010年のこの秋から来年春までってことになるんだなって思ったら、案外、いまこの時季っていうのもタイムリーなのかもしれないなぁって。。。こじつけたくなりました。。。そうなんです、いろいろこじつけたくなるんです。このエヴァってやつは。
ほぼ同じテーマ、ストーリーでTV、劇場版、新劇場版と3回にわたって世に問われたアニメなんて、ちょっと他に例がないってことも、僕の中ではおおいにひっかかるなにかがあって。。。それだけの執念で作り上げられた物語って、いったい???作り手の中にあるだろう得体の知れない情念を感じてしまって、いろんなことを言いたくなります。
エヴァンゲリオン/体験(2)
エヴァンゲリオン/体験(3)
二重の司祭/碇ゲンドウの場合(1)
二重の司祭/碇ゲンドウの場合(2)