お笑い業界に“容姿いじり”っていうのがある。誰かに対して「デブ」「ブス」「ブサイク」「ハゲ」「キモい」とかの言葉で容姿を“イジって”笑いをとろうとする行為なんだけど、最近ではこれは良くないことだと批判されがちだ。これに対して、お笑い芸人は、「(そういった容姿は)武器だ!」「面白ければ良い!」「面白く出来ればOK!」という論調の人が多いように感じる。
で、今日もまたそれを聞いて、まぁなんて言うか、本質を全く理解していないなぁ・・・って思えてしまったのだ。
お笑い業界がそれを許容していても、「業界の常識は世間の非常識」って言葉があるように、そもそも容姿いじりに出てくる言葉は、世間一般では普通に悪口でしかなく、言われて嬉しがる人なんて早々いない。
そして、人間の脳に「海馬」という部分があって、ここは悪口に対して非常にネガティブに反応しやすい。どれほど反応しやすいかというと、自分に向けられていない悪口であっても自分に言われているように感じ取ってしまうのだ。例えば、AさんとBさんがCさんの悪口を言っていたとすると、それを聞かされたCさんが不快に思うだけでなく、それが耳に入ってしまう周囲にいるDさん他全員は自分に言われているかのようにいくらか不快感を覚えてしまい、ついでにAさんBさん自身も自分の言葉でいくらか不快感を覚えてしまうのだ。海馬というのは、それほどセンシティブなのだ。
お笑い芸人が容姿いじりをやると、それを聞いた第三者は、「言われた人は可哀想だ」と他人を擁護したり、自分自身には容姿いじりの要素が全くないと本気で思っていたり、これはお笑いネタであり自分に対しての言動ではないとわかっていても、海馬が生理的に勝手に反応して、不快な気持ちになってしまう・・・ということなのだ。
近年になって容姿いじり批判が急に出てきたよう言われがちだけど、そう見えるのは、実はネットやSNSツール発展の影響だろう。昔は個人の声が世間に伝わることはまずなく、すぐにどこかへ霧散してしまいがちだった。でも、ネットやSNSツールによってそういった声が良くも悪くも簡単には霧散しなくなり、しかもそういった個々の声を集めることが誰にでも容易になり、またそれを力ある側が不都合に感じて隠そうとしても隠しきれないようになった。容姿いじりは、その性質上、昔から全員が不快に感じていたのだから、来るべくして来た時代だと言えるだろう。
「だから容姿いじりは止めろ!」と言うつもりは、筆者にはない。むしろ「やりたければ上手にやりましょうよ」と言いたい。
容姿いじりにはいくつかのレイヤーがあって、お笑い業界がそれを許容する世界で、かつ業界内だけで世界が完結しているなら、それを覗いて嫌悪感を持つ人に対しては「我々は仲間内で楽しくやっているだけなのだから、イヤなら違う世界へ行け!」ってことでも良いのだろう。でも、テレビでそれは通用しない。それでも、もしテレビでそれをやりたいなら、世間の常識を完全に変えてからだ。もしくは、それをやる前に「これから容姿いじりをやるのですが、生理的に否応なく不快になる可能性がありますので、心構えをするなりチャンネルを変えるなり、まぁなんか頑張って下さい・・・あ、あと訓練していないと危険なので真似しないで下さい m(_ _)m」とか、世間の納得を得られる注意喚起をしてからだ。
・・・なんてことをつらつら考えていたら、現在のお笑い芸人の高額所得者の数や言動の発信力・影響力の強さ的に、これははっきり言って、食品衛生法とか危険物取扱法とかみたいに、国がきちんと基準を設けて管理する案件かもしれない・・・なんて思えてきたので、ちょっと上申するために案をまとめようと思ったので、今日はその作業のせいで眠れないかもしれない。
で、今日もまたそれを聞いて、まぁなんて言うか、本質を全く理解していないなぁ・・・って思えてしまったのだ。
お笑い業界がそれを許容していても、「業界の常識は世間の非常識」って言葉があるように、そもそも容姿いじりに出てくる言葉は、世間一般では普通に悪口でしかなく、言われて嬉しがる人なんて早々いない。
そして、人間の脳に「海馬」という部分があって、ここは悪口に対して非常にネガティブに反応しやすい。どれほど反応しやすいかというと、自分に向けられていない悪口であっても自分に言われているように感じ取ってしまうのだ。例えば、AさんとBさんがCさんの悪口を言っていたとすると、それを聞かされたCさんが不快に思うだけでなく、それが耳に入ってしまう周囲にいるDさん他全員は自分に言われているかのようにいくらか不快感を覚えてしまい、ついでにAさんBさん自身も自分の言葉でいくらか不快感を覚えてしまうのだ。海馬というのは、それほどセンシティブなのだ。
お笑い芸人が容姿いじりをやると、それを聞いた第三者は、「言われた人は可哀想だ」と他人を擁護したり、自分自身には容姿いじりの要素が全くないと本気で思っていたり、これはお笑いネタであり自分に対しての言動ではないとわかっていても、海馬が生理的に勝手に反応して、不快な気持ちになってしまう・・・ということなのだ。
近年になって容姿いじり批判が急に出てきたよう言われがちだけど、そう見えるのは、実はネットやSNSツール発展の影響だろう。昔は個人の声が世間に伝わることはまずなく、すぐにどこかへ霧散してしまいがちだった。でも、ネットやSNSツールによってそういった声が良くも悪くも簡単には霧散しなくなり、しかもそういった個々の声を集めることが誰にでも容易になり、またそれを力ある側が不都合に感じて隠そうとしても隠しきれないようになった。容姿いじりは、その性質上、昔から全員が不快に感じていたのだから、来るべくして来た時代だと言えるだろう。
「だから容姿いじりは止めろ!」と言うつもりは、筆者にはない。むしろ「やりたければ上手にやりましょうよ」と言いたい。
容姿いじりにはいくつかのレイヤーがあって、お笑い業界がそれを許容する世界で、かつ業界内だけで世界が完結しているなら、それを覗いて嫌悪感を持つ人に対しては「我々は仲間内で楽しくやっているだけなのだから、イヤなら違う世界へ行け!」ってことでも良いのだろう。でも、テレビでそれは通用しない。それでも、もしテレビでそれをやりたいなら、世間の常識を完全に変えてからだ。もしくは、それをやる前に「これから容姿いじりをやるのですが、生理的に否応なく不快になる可能性がありますので、心構えをするなりチャンネルを変えるなり、まぁなんか頑張って下さい・・・あ、あと訓練していないと危険なので真似しないで下さい m(_ _)m」とか、世間の納得を得られる注意喚起をしてからだ。
・・・なんてことをつらつら考えていたら、現在のお笑い芸人の高額所得者の数や言動の発信力・影響力の強さ的に、これははっきり言って、食品衛生法とか危険物取扱法とかみたいに、国がきちんと基準を設けて管理する案件かもしれない・・・なんて思えてきたので、ちょっと上申するために案をまとめようと思ったので、今日はその作業のせいで眠れないかもしれない。