それにしても眠れないのだ

日々の眠れない出来事を虚実織り交ぜて

それにしても「サッカーがより魅力的な競技になるためのアイデアの提案」なのだ。

2024-12-28 16:47:48 | Weblog
 サッカーの試合を開始1分過ぎ頃から観たら、まだ0-0だった。なので「えー、バスケだったらもう普通に2点、4点、お互いに入ってるぐらいだってのに、何チンタラしてんの?」って、思ったよ。で、このスローペースを改善するには・・・コートを小さくすれば良いでしょ!・・・って、それどこのフットサル?
 あー、でもフットサルもそんな点が入らないスポーツなイメージだなぁ。じゃあ、そこを改善するためには・・・みんな手を使って良い事にしよう!・・・って、それどこのハンドボール?
 まあでも、ハンドボールは結構点が入るぞ。じゃあ、この方向でもうちょっとブラッシュアップしてみよう。
 もっと点が入るためには・・・キーパー無くせば良いんだ!でも、ゴールがそのままじゃガバガバすぎるから、ゴールを小さくしてテクニカル要素を加えて・・・って、それどこのバスケットボール?
 結論としては・・・、バスケットボールに倣って、サッカーもチームファールが合計10ポイント(10の倍数)毎で相手にPK献上にすりゃ良いのだ!ポイントはファール時に発生し、ファールでノーカードなら+1ポイント、イエローカードなら+4ポイント、レッドカードなら+7ポイントで計算。もしペナルティエリアでファールしたら、二連続PKって事もあるぞ。あと試合後、抗議したりとかでレッドカードとかが出たら累計ポイント次第で追加PK発生って事もありえます。あ、いや、何かしらのリーグ戦とか大会中なら、勝ち点からその分を引くってのも一興だ。これでもっと点は入ってエキサイトするだろうし、そうじゃなきゃ最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして相当クリーンなスポーツになるって。
 色んな競技で、スピーディでエキサイティングで観客を退屈させない試合が行われるようルール改正が行われているようなので、今回のアイデアがサッカーの基本を変更せずにより良い物にする物だと思えるので、FIFAに提案してみようと思い、早いとこ提案するために、今日は寝ないで提案書をまとめる所存なのだ。
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それにしても「M-1グランプリのナイツ塙審査員の審査に思った事」なのだ。

2024-12-25 19:40:31 | Weblog
 ナイツ塙が、自分のYouTubeチャンネルで、毎年恒例のM-1グランプリの審査員目線での振り返り解説を今年もしていた。で、それを観ていて、幾つかの点が非常に気になったのだ。
 一つは、決勝の三つ巴戦の審査の決め手に関して。決勝では、ネタをやった三組で、審査員それぞれが一番だと思う組に票を入れて、その票数で優勝を競う形なんだけど、ナイツ塙は、令和ロマンと真空ジェシカの二組の面白さは同点で、でもどっちかを選ばないといけないと考えた時、令和ロマンの連覇より真空ジェシカを初優勝させたいと思って、真空ジェシカに票を入れたそうな。何か、引くね。この考え方。個々のネタを審査する時、「普段の方がもっと上手にやっていたけど・・・」とか「もっと面白いネタを持っているのに・・・」とか「会場の盛り上がりが・・・」とか「順番が・・・」とかって、散々ネタを演じたこの場での結果で点を付けていると言っているのに、急に情で点を付ける行為。何年か前にあった「ラストイヤー」が決め手になって優勝が決まった時の、かなりモヤッとしたのに続く感覚だ。
 高校生の主人公達がお笑い芸人を目指す事を描いたマンガの「ショーハショウテン」で、ある大会の審査で、ある審査員が「ラストイヤーの3年生を応援してあげたい」「笑いをとるより大事にすべき理念がある」と言う視点でネタを審査した時、別の審査員がその人を睨み付けながら「そんな尺度で評価されて「芸人」が喜ぶわけねえだろ」と描いていた。これが、原作者の意見なのか、取材をした現場で複数人から聞かれた意見なのか分からないけど、強い意志のもとにこの場面を描いたんだろうと、筆者は感じた。・・・って事を、この件で思い出した。
 ネットでも、「令和ロマンの二連覇はさせたくなかった」という意見が散見されたけど、そういうアンチ達も「あのネタの面白さは勝つに相応しい」と認める声も同時に見られた。ま、大きなくくりで考えると、好き嫌いが評価に影響するするのは避けられない事なんだけど、審査員は極力情を排除し、お笑いの要素の中で審査をして欲しい限りだ。
 一つは、ネタ中の“動き”に関するコメント。真空ジェシカ川北の挙動を「あんなの学校で教えられない」「センスなんだ」と、ベタ褒めしていた。これは、別にM-1関係ないんだけど、実に衝撃を受けた。お笑い芸人を目指す人の多くは、お笑いの養成学校へお金を出して教えを請うために行っているのに、面白さを作り出す重要な要素である“動き方”を教えてもらえないとは!養成学校って、ネタ見せ授業で、まだまだ笑いやお金を取れないレベルのネタを、どこがどうダメだからどうすれば良いっていうのを教えてくれる場所じゃないの?「センスだ!」で終わられたら、学校行く意味全く無いでしょ。
 主人公達がお笑い芸人になる事を描いたマンガの「べしゃり暮らし」では、お笑い芸人養成学校のネタ見せ授業で、大抵の生徒は講師のアドバイスが全く心に響かず、なんなら反感を抱いていた。しょせんまだまだ素人の考えと、その道に何年も従事してきた人の考え、どちらが正しい可能性があるかって言ったら、当然後者だろう。経験が浅すぎるが故に、深いアドバイスの有用性に気付けないって事もあるだろう。
 女芸人No.1決定戦の“THE W”の審査員は、コメントで当たり障りのない事を並べとけば、ギャラに見合った仕事をしたと言えよう。でも、養成学校の講師(先生)は、全体的につまらない、程度が低いと言われがちなTHE Wにすら届かないレベルのどんなスタイルのネタであっても、何が足りていないかちゃんと指摘し、更正アドバイスを的確に出さなければならないはずだ。正直、THE Wの審査員より遥かに難しい仕事だろう。でも「センスを磨け!」なんて突き放す事は言っちゃあいけない。「こうこうこういう風にやったらセンスが磨ける」と教えないと。
 仕事の現場でも、成果物に対してダメ出しだけして終わってしまう上の立場の人が大勢いて、じゃあどうすれば良いのかと聞くと「それを考えるのがお前の仕事だ!」と更に怒る。いや、こっちが聞きたいのは、答えその物じゃなくて、ダメ出し個々はそれぞれどういう理由でダメで、あなたが何を求めているのか方向性を示してほしい・・・という事なのだ。ま、こういうダメ出しだけする人は、ほぼ確実に現場から嫌われるね。・・・なんて感じで、仕事の愚痴も浮かび上がりつつ、全然知らないお笑い養成学校の事が気になってしまった。
 あー、まだ二つしか気になった事をあげてないし、他の審査員達の考え方も並べてみたい所だけど、長くなっちゃったんでもう止めよう。これ以上調べて書いていたら、今日は寝られない事になってしまいそうだからだ。
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それにしても「外国人観光客は日本を訪れて何をする?何を思う?」なのだ。

2024-12-23 17:30:39 | Weblog
 韓国人は旅行が好きなようで、結構気軽に何度も海外旅行をする人が多いそうな。それに比べると、日本人はそこまで海外旅行する人は多くない。で、韓国人はそれを見て、「日本人は貧乏だから海外旅行できないんだ。」と結論づける。一人じゃなく、何人もそう言っているのを見かけるので、彼らの生きる世界線ではそうなのだろう。
 また、日本へ旅行する韓国人は少なくなく、その感想に多い物として「日本食はしょっぱくて不味い。」「韓国食の方が美味しい。」というのが、何度も何度も見た事がある。まず、「しょっぱくて不味い」というのは、個人の感想だからそれで良いんだけど、ってゆーか、あの人達にとって日本食はそう感じてしまう物のようだから、その認識を全員が共有して、旅行と食事は切っても切れない物だから、日本旅行はもう金輪際止めれば良いのに・・・と思うのは、筆者の勝手な感想だ。
 ところで、個人の感想だからどう思っても良いけど、「韓国食の方が美味しい」と誇らしく言い、マウントを取りに行く感性は、海外旅行に対する見識が浅いまだまだ海外旅行が分かっていないひよっこちゃんだなぁ・・・と、これに関しては程度が低いと思ってしまうのだ。というのも、日本では少なくとも40年前から、海外旅行や海外転勤した人が日本に戻ってきた時、コテコテの日本食を食べて「やっぱこの味よ!サイコー!」と喜びを漏らしがちだった。でもこれは、日本料理が他の国の料理より美味しいというマウント的意味合いではなく、昔から食べて無くて慣れて無くて親しみがまだ湧かない味に対して、昔から食べて育って慣れ親しんだ味を久しぶりに食べた安心感を表しているだけだ。日本人は、全員このマインドだ。そこでマウントを取ろうとする人など一人もいないだろう。例えば国民的食事のカレーだって、家庭によって味が違い、基本全員が自分ちの味が一番だと思っている。で、実際余所のカレーを食べて美味しいと思っても、自分ちのカレーの方がしょっちゅう食べたい味だと思いがちだ。人間ってそういう物なんだろう。そこを理解せず勝手にマウントを取って調子に乗る・・・あまりの浅さに見下げ果てるね。個人の感想ですが。
 こういった韓国人の意見・感想は、もう千以上見ているので、これは国民的特徴ととらえて良いだろう。これを、相手を理解するために覚えて、こちらから関係を良くするために行動する必要は全然無い。でも、そういう人達だとしっかり認識をしておく必要はある。今年の訪日外客数は10月時点で約3300万人。その内の韓国人は約720万人(韓国人口約5200万人だから、7人に1人くらいの割合)。生きていく上で欠かせない食事が不味いと思う、そんなマインドで、一体日本に何しに来ているのか?観光、なんて生ぬるい理由はあり得ないから、本当の理由は?そんな事が気になってしまったので、今日は眠る事ができないかもしれないのだ。
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それにしても「このマンガがすごい!2025に感じた事、考えた事」なのだ。

2024-12-18 17:33:57 | Weblog
 “このマンガがすごい!2025”が発表された。これは、有名無名問わない大学の漫画研究会、書店員、ライター、イラストレーターとかとかの人達がアンケートで参加する、自分が最もお薦めしたい5作品を集計して、ランク付けしたものだ。
 筆者は、このランキングの存在は、前々から知っていたけど、余り気にしていなかった。けど、今回はランキング上位の作品を読んでみようという気に何だか当然なって、一度も聞いた事のない作品が並ぶ中、あらすじに興味を惹かれた作品10作ほどを読んでみた。すると、大体が面白く読めた。で、思った事、感想としては、ここの作品に対してではなく、審査員に対して「ああ、審査員達は、現状の自分に(周りからの評価も含めて)不満を抱えていて、自分がやりたい事で才能が認められる世界を求めているんだなぁ」って感じだった。
 スポーツ物のマンガでよくある展開は、初め主人公は才能の片鱗はちょいちょい光っているもののまだまだ弱く、でも強くなるために努力を惜しまず、段々と強くなり、地区レベルから地方レベル、県レベル、全国レベルみたいに分かりやすく成長していく・・・って感じだ。今回の作品で筆者が読んだ中にそれその物はなかったけど、舞台をずらして、色々な生活の場におけるそれぞれの主人公は、くすぶる現状においても、時に大胆な行動を取ったり取らなかったりしつつ、内なるもの、信念に沿って行動し、周囲の声にもめげず、それが段々と大きな結果に結びついていく・・・みたいな作品が幾つもあった。
 マンガ新人賞なら、マンガを描く上でのテクニック的な上手さに主眼を置いて審査するだろう。でも、このランキングは、面白いと思う自分の感性で候補を選んでいるはず。多分、このランキングに参加する人は、参加するために、選出の偏りを無くすために、自分の好み外の幅広いジャンルの作品を頑張って読むようにしているはずだ。でも、やっぱり面白いと感じる物は、自分が好きな展開が描かれる物に収斂するはずだ。で、好きとはなんぞ?というと、潜在的な意思も絡んだ夢や希望を良い感じで具現化してくれた物に感じるはず。ぶっちゃけ、現状の自分に満足している人なんて、一人もいないだろう。そして、実は自分には秘めた才能があって、本気を出せばスゴい人になれる・・・なんて夢見ている人もいないだろう。マンガだと、陰キャな主人公でも、理解して応援してくれる友達や仲間が自然と集まって、才能を伸ばす手伝いをしてくれがちだ。でも現実は、そんな人は、まず現れない。なぜマンガをそんなに読むのか?「趣味は、マンガ読みです」なんて言っても、誰も尊敬はしてくれない。スーパーマイナスプロモーションにしかならない。でも、マンガを読む。なぜか?マンガが面白いと思っているからだ。とはいえ、マンガであれば全て面白いわけではない。何でもかんでも楽しめるわけではない。自分が面白い、楽しいと思う物には、傾向がある。嫌でも、傾向が出てしまう。なので、ランキングの結果に、分かりやすいスポーツ物ではなく、普段の生活の場や仕事場からの自分を認められての成功者としての脱却の傾向が見られたなら、本人が意識していなかった結果であっても、深層心理が描き出した現実なんだろうなぁ・・・と。ま、それがランキングにまでなった時、“集合知”なのかどうかは分からないけど。
 ・・・なんて考えてしまったのだけど、あくまで筆者の貧相な感性が紡ぎ出した物なので、間違っている可能性は十分にある。ま、間違いを指摘されたら、その時とる手段は・・・、すぐに幾つか思い浮かんだけど、もっと良い方法があるかもしれないので、それを考え抜くために今日は寝るのが遅くなるかもしれない。
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それにしても「誰が為のトイレがトイレであるために」なのだ。

2024-12-15 14:50:11 | Weblog
 東海道山陽新幹線のトイレ、約半数が「女性専用」になるそうで、2024年12月から順次開始だとか。理由は、乗客数は男女比3:1だけど、利用時間は1:3ぐらいで、女性が列をなしやすいからだとか。
 これに対して、賛否両論色々あったけど、筆者的には、女性は共用、専用どちらも使えて、男性はただただ制限されるだけで、男性差別案件で訴えられたら地方裁から最高裁までJRの全負けが完全に見えているぐらいダメダメ思想が溢れているので、ダメだと思った。裁判を回避するには、洋式トイレの男性専用、女性専用をそれぞれ用意する事だと思う。個人宅以外のトイレは、普通男女に分かれているのだから、それで良いじゃない。Yahoo!ニュースのエキスパートコメントでも、鉄道ライターの人が同じような提案をしていたし、そうすべきだろう。
 ところで、近年はトイレの個室でスマホを使って長時間占有する人が増えている事が問題になっている。ま、個室は中の様子が全然分からないけど、筆者も10分待っても全然出てこないトイレの個室使いにしょっちゅう遭遇しているので、『トイレの個室は便意解消のためのものであり、それ以外で長時間(5分以上)の使用は禁止する法律』ができて欲しい。というか、全トイレは、それぞれ施設の所有物なのだから、所有者の権利として、そういう禁止項目をトイレ入り口に明記すれば良いだけだ。破ったら、程度に応じて警察に突き出すぐらいの厳しい処罰付きで。
 で、『トイレの便意解消以外の使用、例えばスマホ使用を監視するものとして、サーモセンサーとAIの活用で、プライバシーを守りつつの監視』が可能だろう。サーモセンサーなら、人のシルエットとポーズが分かり、温度でスマホを持っているかとか、食事をしているかとかも分かる。例えば、個室に誰かが入った時点からカウントと監視を開始して、3分目辺りで状況を判断して、便意解消中のポーズを取っていても、スマホを使用しているとかNG行為に該当すれば個室内に警告が出て、トイレ監視室に通報され、その後も個室使用を続けると、5分後に監視員が駆けつけて退室、退施設を促される。使用者が「そんな事していない」とかどんなに喚こうが、トイレの使い方は施設が決める権利があるわけで、「違反の疑いがある場合は、問答無用で退室していただきます。程度によっては・・・」とかを明記しておけば、態度の悪いやつは追い出すなり、警察に突き出すなり、今後の施設の出禁に処すなり、何でもOKなはず。ま、腹痛がなかなか治まらないとかのケースもあるので、場合によっては5分以上の使用も可能だけど、10分経ったら“安全確認のために”監視員がチェックに来る、なんて事も決めて、使用ルールに明記しておいた方が良いだろう。
 トイレを使う時はね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで・・・そんな公衆トイレが方々にできて、今後、外に出た時に急な便意に困らないために、今日はそれを世に働きかけようと思うので寝られないかもしれないのだ。
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それにしても「色の感じ方を考える」なのだ。

2024-12-13 17:13:13 | Weblog
 文川あや・作「その蒼を、青とよばない」ってマンガを読んだ。内容は、色弱な主人公が一枚の写真との出会いをきっかけに、写真サークルへ入って、自分の色弱を隠すために無難に生きてきた人生から、新しい生き方、自分らしさを表現する事を模索していく・・・ってな感じだ。
 このマンガの中で色の認識の話題(2巻、P76-77)があって、「「自分は絶対みんなと同じ色が見えている」って、誰にも言い切れない」と語られる。例えば、赤と言った時、AさんとBさんは同じ色を差したとしても、もしBさんの感覚を通してAさんが見れたなら、実は青色とか違う色かもしれない。でも、それぞれの認識上では「それが赤」となっているので、コミュニケーションに差異は生じない・・・って感覚。
 この考え方、実は筆者は、20年以上前からたどり着いている。ま、その後に、いつだかどこかの本だか何だかか忘れたけど、何かしらで一回見かけたので、別に特段斬新な考え方ではないのだろう。で、当時はそこで考えが停まっていたけど、現在は、実は『健常者の色の見え方は、“基本”同じ色に見えている』に違いない・・・と考えているのだ。
 というのも、赤、青、黄色があった時、AさんがBさん感覚を通すと、緑、黄、紫って見えるって感覚の違いがあったなら、Bさんが描く色相環は一般的な物とは全然違う、一般的なグラデーションを乱した色並びになるはずだ。でも、そういう色相環を描く人を見た事がない。ま、色相環自体、人生で早々描く事はないのが、この理論の説得力に欠ける点だけど。ただ、アインシュタイン並みの思考実験の成果・・・と考えれば説得力も生まれそうだけど、考察した筆者はアインシュタインの足下にも及ばないので、やっぱり説得力に欠けるのが避けられないのが残念だ。
 ところで虹の色は、日本では7色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)と認識されている。でも、世界では共通認識にならず、2色(赤・黒)の国もあれば3~7色を経て8色(赤・橙・黄・黄緑・緑・青・藍・紫)の国もあるそうな。その色対応を見ると、日本的には明るい色が暗い色に分類されていたりと不思議さを感じるけど、何となく色盲と考えると納得できる感じもする。ただ、これを見てもやっぱり赤部が青で描かれるみたいなグチャグチャはない。
 ま、そんな感じで、色の感じ方にバラツキはそんなにない!・・・って結論にしたいんだけど、世の中には“共感覚”って物もある。これは、音や文字に色を感じるってやつだ。そして、人によって同じ物でも違う色を感じる事もあるそうだから、こっちの方が研究しがいがあるかもしれない。そこのバラツキのパターンが持つ意味や共感覚の色が実は精神に重要な影響を与えていて、大抵は関知できない物に気持ちが方向付けられている・・・とか何とか。ま、筆者は、オーラも見えなければ共感覚力もないので、その辺は想像しかできないけど。でも、その辺の事を考えていると、色々と興味が湧いてきて、今日は寝るのが遅くなるかもしれない。
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それにしても「NO NOISE, NO LIFE? OR YES LIFE?」なのだ。

2024-12-08 15:37:45 | Weblog
 現在、音楽界は大きな転機を迎えているそうな。というのも、音楽をイヤホンで聴くのが主流の時代になったため、それに合わせた音作りが求められるようになったからだとか。で、その作例の一つとして「ノイズを“あえて”加える」事も少なくないと聞く。今までは、よりクリアな音、ノイズレスの音を求めてきたのに、今では、ノイズを加えた方が良い音に聞こえるのだとか。
 そんな話を聞いて思い出したのが、映画界の話。映画は、昔はフィルムで撮影していたけど、今ではデジタル撮影が主になった。そんな中、映画監督によっては、フィルムで撮影した方が映像が良いと思う人が少なからずいて、撮影をフィルムで行ったり、デジタル撮影しながら、編集過程でフィルム撮影っぽく見える加工を行う人もいるのだとか。
 そんな現代の流れに対して筆者的には、それらの善し悪しは分からないけど、ただ「地球の重力に魂を縛られた人々だなぁ」と思えてしまうのだ。別に「個人的にこっちの方が好き」と個人の好みを述べる分には何ら気にしないけど、提供する側の人達が、ただただアナログを好んでばかりなのは、受け手にとって不幸な事になりかねない。筆者は、善し悪しは分からないけど、個人的に、ノイズは無い方が絶対好きなのだ。どうせネットでデジタルデータで販売するなら、ノイズあり版とノイズ無し版を出して欲しい。多様化の時代って事で。
 その道に長く身を置いてそれに従事してきたなら、部外者より善し悪しに鋭敏になっている事は、その道のプロでなくとも十分あるだろう。でも、新しい物、とりわけ今までの常識が変わる事に拒否感を示す人は多い。特に今回のノイズの件については、超静かでノイズなんてのも無い無響室にしばらくいると精神が変になってしまうという事例があるから、今までどうしても汚れた中でずっと過ごしてきたため、いざ本当に綺麗な中に身を置いたら慣れなさすぎて拒否感が出てしまってるだけなのではないのだろか?
 ・・・とまあ、ノイズが少しはあった方が良いというなら、筆者の戯言も完全に必要悪という事なので、しっかり耳を貸していただきたい。そんなわけで、筆者のノイズを世のノイズ信望提供者達に届けるために各所にメールを送りつけようと思うので、今日は寝てなんていられないのだ。
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それにしても「伝わらなければ意味がない」なのだ。

2024-12-03 17:38:03 | Weblog
 オンラインゲームのファイナルファンタジー14が炎上している・・・という事を、ネットの掲示板で知った。要は、チート使いが蔓延しているのに運営が全然対応せず正直者がバカを見る状況だからで、特に今回炎上したのは、ある人が超極難ボス討伐にチートを使っていたのがバレたからだとか。
 で、筆者がこの話題で気になったのは、運営の態度ではなく、そのチートってってのはどんな物なのか?って事だった。何しろ、文章内で全然触れられてないのだから。で、そう思ったのは筆者だけでないようで、掲示板内で「具体的にどんなチートよ?」って誰かが疑問を呈し、それに対して「床と戦うゲームで安置に行けばいいんだけど・・・」って説明がされたものの、「何言ってるか全然わからん」との反応。筆者も同意。で、それに対して、数人が説明のちょっと説明、説明のちょっと説明のちょっと追加説明・・・と続けられたのだ。
 なんだろう。不特定多数が見る掲示板で、説明が足りない書き込み、つまり不特定多数が理解できない書き込みの多い事よ。物事を理解するにはそれなりに前提情報が必要なのに、そこをすっ飛ばして狭いコミュニティでのみ通用する用語・知識連発で、折角立ち止まってくれた第三者置いてけぼりの自己満スピーチ垂れ流しておいてしっかり事を成し遂げたと勘違いしちゃう人は多い。今回は、その枠内にとらわれたままだけど説明してくれる人が多かったのが幸いだけど、「無知乙(笑)」「100年ROMってろ」と、排他行動を起こされる事は少なくない。ってか、わざわざ書き込んどきながらの第三者排除で何が得られるのだろう?エコーチェンバーを求めているだけなのだろうか?
 まあ、でも翻って、仕事でも聞き手の理解を無視して話だけを進める人の多い事よ。何だろ、一方的に話を進める事が仕事だと思っているのだろうか?思っているのだろうね。仕事って、結局はしっかりと成果を出す事が仕事をしたと認められるわけで、何時間とそれに向き合ってもちゃんとした結果に結びつかなかったら、無駄、貴重な時間を浪費したと査定されるのだ。一方的に話だけを進める人は、その話を聞き手に聞かせたら仕事を果たしたと思っているようだけど、最低用件は聞き手に話を理解してもらって、その理解で先々の仕事を失敗しないよう道しるべを示す事なのだ。困った事に、後で「オレは言った。一回で理解できない方が悪い」が、現状は通用してしまう。そこで、「言い方は?」「言った後、相手が理解したか確認した?」「言うのが仕事じゃなく、伝達が仕事だよ?」と、下の立場でも詰め寄って押し切れる事が普通になって欲しい。
 「ちゃんと仕事して?」を、下の立場でも言いたいものだ。そんな事を考えていたら、まだまだ不満が湧き上がってきて、それらのブログも書いていたら、今日は寝る事ができないかもしれないのだ。
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