情け島紀行。(1日目)
ふと思いついて行ってきました。しかも船で。実は東海汽船の"かめりあ丸"がこの6月に引退するので、乗っておこうと思いついたのが始まり。東京ー三宅島・御蔵島・八丈島航路は5月21日の東京向けが最終になります。それを狙って「どうせ乗るなら」と八丈島行きを決めた次第。1時間かけずに行ける所に11時間かけて行く、ナンセンスというか贅沢というか、そういう旅でした。
現地の"足"に選んだのはフォルダ。「ちゃっと畳んでちゃっと乗って」を期待しましたが、いろいろイタズラしていたせいで意外に手間取りましたが、満足のいく島サイでした。
05/18・22:20に竹芝港を出航する"さるびあ丸"で八丈島に向かいます。寝れなかったら、船酔いしたら、という心配を余所に、海路はべた凪。明け方に三宅島に寄港し…
(近づくと"温泉の香り"がした)
続いて御蔵島に寄港。
(海況が悪いときには近づけても"欠航"することがあるとか…)
気になる方はようつべで画像を検索してください。今回はお話しにならないくらい穏やかな航海でした。
何事も無く、船酔いすることも無く、八丈島・底土港に到着。
桟橋で組み立てて…
…「すぴハチ・大地に立つ」とばかりにさるびあ丸との2ショット。
桟橋からターミナルまで担ぐのが辛くなったので、組み立てて押して行きました。
ここで、八丈島の簡単な地勢をば。
ふたつの火山で構成されてます。北西の"八丈富士"と南西の"三原山"です。八丈富士はその名の通り本家"富士山"のようになだらかな裾野を持っていますが、三原山は山容は穏やかなものの、周囲は海に浸食された崖。地図で見た時、海岸からいきなり100mほどの高さと表示されてました。道は崖と山の間を縫うように通っていまして、意外に起伏の多かったです。伊豆大島とはエラい違い。
とりあえず最初の目的「登龍峠」のパスハンティングから始めます。底土港から見た峠道が、龍が天に昇る様子にみえるとのことで付いた名前。
名前に因んだ壁画。
登龍峠からの眺望。右手に八丈富士、左手奥に八丈小島がかすんでます。なかなか観光写真に様には行かない(涙
そして野望(w)のひとつ。
初めての部活動が「八丈島の峠でドリップしたコーヒーを飲む」ってのは、ある意味"らしい"かなぁ。このためだけにサドルバッグのキャパシティを無駄遣いしたのでした。
結局"見事な眺望"には恵まれず、末吉地区に向かいます。道すがら…
なんとか晴れているものの、水平線は無理。
末吉側の壁画。
絶海の孤島に立つ、八丈灯台にて。
更に進んで、名古地区から見た洞輪沢の眺望。
南端の中之郷・樫立を通って大賀郷に入り、足が"売り切れ寸前"の状態で宿のある三根に辿り着きました。スケジュール的にちょっと半端な時間からスタートしたことと、空模様のご機嫌を伺いながらの移動のため、予想以上に疲れちゃったのは見通しが甘かったなぁと、ちょっと反省。携行食のドライフルーツをつまみながら移動したものの、昼食は走り終わって14時近く、そして宿での入浴時間が16時~で夕食18時~という、何とも時間を調節しづらい行程になってしまったのでした。
そして…
戦争遺跡のひとつ「直射砲台」。
「八丈島総合ポータルサイト」に因れば
…大坂トンネルの左少し手前に直射砲台の跡がある。日本軍は南原(なんばら)を米軍上陸想定地点の一つとして考え、そこに向けて砲列を引いていた。
かなりきちんと造られしかもそのまま残っているという点で、八丈島では珍しい砲台である。奥に行くとふさがれているが、元々はそこが別の出口になっていて、裏に抜けるようになっていた。また、左手にかなり長い通路(壕)が続いていて、その端は山の尾根に出ていたり、人捨て穴の横に出て来たりしている。
(以上、サイトからのコピー・ペースト)
ふと思いついて行ってきました。しかも船で。実は東海汽船の"かめりあ丸"がこの6月に引退するので、乗っておこうと思いついたのが始まり。東京ー三宅島・御蔵島・八丈島航路は5月21日の東京向けが最終になります。それを狙って「どうせ乗るなら」と八丈島行きを決めた次第。1時間かけずに行ける所に11時間かけて行く、ナンセンスというか贅沢というか、そういう旅でした。
現地の"足"に選んだのはフォルダ。「ちゃっと畳んでちゃっと乗って」を期待しましたが、いろいろイタズラしていたせいで意外に手間取りましたが、満足のいく島サイでした。
05/18・22:20に竹芝港を出航する"さるびあ丸"で八丈島に向かいます。寝れなかったら、船酔いしたら、という心配を余所に、海路はべた凪。明け方に三宅島に寄港し…
(近づくと"温泉の香り"がした)
続いて御蔵島に寄港。
(海況が悪いときには近づけても"欠航"することがあるとか…)
気になる方はようつべで画像を検索してください。今回はお話しにならないくらい穏やかな航海でした。
何事も無く、船酔いすることも無く、八丈島・底土港に到着。
桟橋で組み立てて…
…「すぴハチ・大地に立つ」とばかりにさるびあ丸との2ショット。
桟橋からターミナルまで担ぐのが辛くなったので、組み立てて押して行きました。
ここで、八丈島の簡単な地勢をば。
ふたつの火山で構成されてます。北西の"八丈富士"と南西の"三原山"です。八丈富士はその名の通り本家"富士山"のようになだらかな裾野を持っていますが、三原山は山容は穏やかなものの、周囲は海に浸食された崖。地図で見た時、海岸からいきなり100mほどの高さと表示されてました。道は崖と山の間を縫うように通っていまして、意外に起伏の多かったです。伊豆大島とはエラい違い。
とりあえず最初の目的「登龍峠」のパスハンティングから始めます。底土港から見た峠道が、龍が天に昇る様子にみえるとのことで付いた名前。
名前に因んだ壁画。
登龍峠からの眺望。右手に八丈富士、左手奥に八丈小島がかすんでます。なかなか観光写真に様には行かない(涙
そして野望(w)のひとつ。
初めての部活動が「八丈島の峠でドリップしたコーヒーを飲む」ってのは、ある意味"らしい"かなぁ。このためだけにサドルバッグのキャパシティを無駄遣いしたのでした。
結局"見事な眺望"には恵まれず、末吉地区に向かいます。道すがら…
なんとか晴れているものの、水平線は無理。
末吉側の壁画。
絶海の孤島に立つ、八丈灯台にて。
更に進んで、名古地区から見た洞輪沢の眺望。
南端の中之郷・樫立を通って大賀郷に入り、足が"売り切れ寸前"の状態で宿のある三根に辿り着きました。スケジュール的にちょっと半端な時間からスタートしたことと、空模様のご機嫌を伺いながらの移動のため、予想以上に疲れちゃったのは見通しが甘かったなぁと、ちょっと反省。携行食のドライフルーツをつまみながら移動したものの、昼食は走り終わって14時近く、そして宿での入浴時間が16時~で夕食18時~という、何とも時間を調節しづらい行程になってしまったのでした。
そして…
戦争遺跡のひとつ「直射砲台」。
「八丈島総合ポータルサイト」に因れば
…大坂トンネルの左少し手前に直射砲台の跡がある。日本軍は南原(なんばら)を米軍上陸想定地点の一つとして考え、そこに向けて砲列を引いていた。
かなりきちんと造られしかもそのまま残っているという点で、八丈島では珍しい砲台である。奥に行くとふさがれているが、元々はそこが別の出口になっていて、裏に抜けるようになっていた。また、左手にかなり長い通路(壕)が続いていて、その端は山の尾根に出ていたり、人捨て穴の横に出て来たりしている。
(以上、サイトからのコピー・ペースト)
>東海汽船
高校生の時、三人で新島キャンプに行ったときに乗りました。懐かしいなあ。
部活動いいですね~ 八丈島で珈琲、部活動を経験した人だけがこの醍醐味を味わえるのだと思います。
東海汽船、私もあじこぼさんと一緒で(コメント欄で存じているだけなのに気安く名前を書いてごめんなさい)、
高2で新島に、高3で神津島に行ったことがあります。
超貧乏旅行だったので一般2等席で行ったのですが、夏場の船内は雑魚寝のスペースも無く、
階段に座って寝た楽しい記憶と、船酔いした楽しい記憶、しか残っていません(- -;
八丈島は11時間の航海ですものね・・・・・自転車に乗る前にDNFかもしれません(- -;
自分でも信じがたいのですが、今年は2度もここの会社のお世話になりました。
旅していて気付いたのですが、宿泊などにお金を掛けてもサービスの内容は結局同じものに行き着いてしまうんですよね。お金を使わない旅のほうが当たり外れが大きい分、印象に残る経験ができますので、貧乏旅行は楽しみですね。
往復それこそ「油を流したような」べた凪だったため、期待していた乗り味こそ体験できませんでしたが、島嶼住まいの人にとってはそれこそが大事なことなんですよね。あおがしま丸の「就航率50%~60%」みたいな話を聞くと、ちょっと申し訳ない気持ちになります。
>自転車に乗る前にDNFかもしれません(- -;
…"行き"は気持ちが高ぶっているので無問題wですよん。