森の隠れ家  by KEIZI

森の中の小さな俺の隠れ家。
隠れ家の中は、他人から見れば子供のおもちゃ箱のようにガラクタばかりなのかもしれない。

ゴーストタウン ~平成23年8月現在~

2011年08月30日 | 東日本大震災
一見して、なんでもない普通の田舎町に見えますが、この町には人が1人も住んでいないんです。(双葉町)

今回の写真は、福島第一原子力発電所から20km圏内の立入禁止区域を撮影したものです。
立入禁止区域の入口には、警察官が厳重に検問を行っていますから、決して、無許可で進入したわけではなく、ちゃんとした理由があって入った時に撮影したものです。




3月11日の東日本大震災で被害を受けた建物もありますが、大半の家は殆ど問題なく住めるんです。
津波で家を流されたわけでもありません。




なのに・・・原発事故の放射能で、自分の家に帰れないんです。




電気が通っていないため、信号は消えて傾いたままです
人が住んでいれば、綺麗に刈り取られているはずの雑草ものび放題(富岡町)




首輪をつけたままの犬は、少しずつ野良犬と化してやせこけて、久しぶりに人間を見て遠くから吠えまくります。(大熊町)




立入禁止区域内の家の玄関には、放射線量の計測結果の張り紙が貼られています。
線量が高すぎて、この家で屋根の修理などの作業は出来ないという意味のようです。




誰も刈り取らず、誰も通らないアスファルト舗装の道路には植物が侵略しはじめています。
やがてSF映画のように町全体がジャングルのようになっていくのかもしれません。(大熊町)




もう震災から5ヶ月以上すぎているというのに道路は地割れしたままの状態です。(大熊町)




国道沿いのカーディーラーも、道路に面した大きなガラスが割れたまま廃墟となっています。




何よりも消防署や・・・




警察署が無人なんです。
普通では考えられない異常すぎる状態になっているんです。




踏切も電車が通らないので雑草が生え放題です。




奥に見えるのがJR夜ノ森駅です。
小さな駅ですが5ヶ月前までは、普通に上野~仙台間の特急列車が走っていたのに・・・今は線路やホームが雑草に覆われてしまいました。




ちょっと衝撃的な写真です。
犬や猫、それに狸が車に轢かれて死んでいる姿は良く目にする悲しい光景ですが、野良牛と化した牛が車に轢かれて死んでいました。(楢葉町)




福島第一原発から約2.8km地点
奥に見えるで示した煙突が福島第一原発です。

本来であれば、今頃は頭を垂れた稲が手前の田んぼ一面に広がっているはずなのですが、雑草の草原となっています。








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0.125μSv/h

2011年07月28日 | 東日本大震災


我が家の室内の放射線量を計ってみた。

リビングに線量計を約24時間置いて計測した数値が約3μSv(マイクロシーベルト)だった。

この数値は、飯舘村だとたったの1時間で被爆する線量になる。
ちなみに福島市や郡山市だと2~3時間で被爆する線量になるのかな。

我が家の室内で計測した線量を24時間で割って1時間あたりの線量を算出すると約0.125μSv/h(マイクロシーベルト)ということになる

原発事故がなければ、通常この地域の屋外線量は0.05~0.06μSv/h(マイクロシーベルト)らしいから、約2倍強の放射線量になっていることになる。
しかも、室内なのに・・・

そして、この数値を元に年間被爆量を計算すると1.095mSv(ミリシーベルト)になる。

この数値を低いと感じるか、高いと感じるのか・・・



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仮設住宅

2011年07月10日 | 東日本大震災
東日本大震災と原発事故に伴う避難者用の仮設住宅がどんどん建築されています。



仮設住宅と言えば、阪神淡路大震災の時にニュースの映像などで見たプレハブ住宅のイメージでした。



しかし、今回造られている仮設住宅の中には、地元でエコ住宅を名乗っている会社が木の家の仮設住宅を建築中です



なんか、キャンプ場のバンガローみたいでワクワクします
プレハブより見た目も癒されるし、断然住み心地良さそうです



でも、本来であれば、住宅の基礎はコンクリート製のベタ基礎や布基礎が一般的ですが、期限付き住宅ですから杭を打ち込んだだけの簡易な造りです。



間伐材や節などが多くてはじかれた材料を利用しているとすれば、地球温暖化防止にも一役買って一石二鳥です



避難を余儀なくされている方々のために造った住宅なのに、こんな事を言っては不謹慎かも知れませんが、少し住んでみたいです



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災害派遣

2011年04月29日 | 東日本大震災


まさか、自分の住む町で『災害派遣』と書かれた自衛隊の車両をこれほど目にするようになるとは夢にも思っていませんでした。




さいたま市からも給水車の応援が何台も来てくれました。




こちらは、なんと福岡県警のパトカー
福島と福岡は一文字違いで似ている気がするけど、距離はもの凄く遠いよね。



そして、こちらは鹿児島県警のパトカー
鹿児島と福島も県名には入るけど・・・そう言う問題じゃないか




自衛隊のミサイルを搭載したヘリコプターかと思ったら、ミサイルのような物は燃料タンクだそうです。
職場の軍事オタクに聞きました。



「海上自衛隊」と機体に書いてあります。
どちらのヘリも海岸沿いの捜索をしている様子でした。

みなさん、ほんとうに福島県のためにありがとうございます。



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東北関東大震災 ~津波の驚異~

2011年03月21日 | 東日本大震災
その時、私は次男の中学校卒業式を終えて、自宅へ帰りコタツの中で休んでいた。
すると、突然と妻と次男の携帯電話の緊急地震速報のアラーム音が鳴り響いた

数秒後、地震で家が揺れはじめた。
はじめは、「いつもの地震だろう」と軽く考えていたが、意外と揺れが大きく、さらにどんどん大きくなっていく

その内、室内で物が落ちる音。
足元の床が何十センチも動いていると感じるほどの大きな揺れ、そして異常に長い時間揺れが止まらない

やっと揺れが収まった時には、本棚やCD、DVDラックから殆どの物が床に落ちて壊れ、200キロ以上ある薪ストーブも位置が若干ズレて、炉台の石壁も一部剥がれ落ちていた。

子供の頃に経験した宮城県沖地震よりも大きいと感じた

直ぐにテレビをつけてニュース速報を見ていると、今まで見たこともないような映像がLIVE映像で写し出された・・・津波である

事の大きさに気付き、まだ学校へいるはずの長男の安否が気になった

しかし、学校へも長男の携帯にも全く電話が通じない。

車で長男の学校まで行って安否の確認をする・・・長男は、地震後、既に帰宅したとのことでどうやら無事のようだ

しかし、そこまでの道のりでも一部倒壊した家屋や崩れ落ちた石塀、地割れや隆起して段差の出来た道路・・・。

想像を絶する大惨事だった。


下に掲載した写真は、仕事で津波の被災地へ行った時に携帯電話で撮影した写真である。
被害の悲惨さと怖さ、そして、忘れてはいけない歴史のひとつとして残すために写真を掲載するものである。



地震が発生した午後2時46分を少し過ぎた時間で止まった時計。



防波堤は、もろくも波の力に壊されて決壊し、壊された防波堤の巨大なコンクリート塊が何メートルも離れた場所まで流されている。























誰かが置いたのか、たまたま流されて、この場所に立っていたのか、ウルトラマンの目覚まし時計が海の方を見て立っていた・・・。



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