その時、私は次男の中学校卒業式を終えて、自宅へ帰りコタツの中で休んでいた。
すると、突然私と妻と次男の携帯電話の緊急地震速報のアラーム音が鳴り響いた
数秒後、地震で家が揺れはじめた。
はじめは、「いつもの地震だろう」と軽く考えていたが、意外と揺れが大きく、さらにどんどん大きくなっていく
その内、室内で物が落ちる音。
足元の床が何十センチも動いていると感じるほどの大きな揺れ、そして異常に長い時間揺れが止まらない
やっと揺れが収まった時には、本棚やCD、DVDラックから殆どの物が床に落ちて壊れ、200キロ以上ある薪ストーブも位置が若干ズレて、炉台の石壁も一部剥がれ落ちていた。
子供の頃に経験した宮城県沖地震よりも大きいと感じた
直ぐにテレビをつけてニュース速報を見ていると、今まで見たこともないような映像がLIVE映像で写し出された・・・津波である
事の大きさに気付き、まだ学校へいるはずの長男の安否が気になった
しかし、学校へも長男の携帯にも全く電話が通じない。
車で長男の学校まで行って安否の確認をする・・・長男は、地震後、既に帰宅したとのことでどうやら無事のようだ
しかし、そこまでの道のりでも一部倒壊した家屋や崩れ落ちた石塀、地割れや隆起して段差の出来た道路・・・。
想像を絶する大惨事だった。
下に掲載した写真は、仕事で津波の被災地へ行った時に携帯電話で撮影した写真である。
被害の悲惨さと怖さ、そして、忘れてはいけない歴史のひとつとして残すために写真を掲載するものである。
地震が発生した午後2時46分を少し過ぎた時間で止まった時計。
防波堤は、もろくも波の力に壊されて決壊し、壊された防波堤の巨大なコンクリート塊が何メートルも離れた場所まで流されている。
誰かが置いたのか、たまたま流されて、この場所に立っていたのか、ウルトラマンの目覚まし時計が海の方を見て立っていた・・・。
すると、突然私と妻と次男の携帯電話の緊急地震速報のアラーム音が鳴り響いた
数秒後、地震で家が揺れはじめた。
はじめは、「いつもの地震だろう」と軽く考えていたが、意外と揺れが大きく、さらにどんどん大きくなっていく
その内、室内で物が落ちる音。
足元の床が何十センチも動いていると感じるほどの大きな揺れ、そして異常に長い時間揺れが止まらない
やっと揺れが収まった時には、本棚やCD、DVDラックから殆どの物が床に落ちて壊れ、200キロ以上ある薪ストーブも位置が若干ズレて、炉台の石壁も一部剥がれ落ちていた。
子供の頃に経験した宮城県沖地震よりも大きいと感じた
直ぐにテレビをつけてニュース速報を見ていると、今まで見たこともないような映像がLIVE映像で写し出された・・・津波である
事の大きさに気付き、まだ学校へいるはずの長男の安否が気になった
しかし、学校へも長男の携帯にも全く電話が通じない。
車で長男の学校まで行って安否の確認をする・・・長男は、地震後、既に帰宅したとのことでどうやら無事のようだ
しかし、そこまでの道のりでも一部倒壊した家屋や崩れ落ちた石塀、地割れや隆起して段差の出来た道路・・・。
想像を絶する大惨事だった。
下に掲載した写真は、仕事で津波の被災地へ行った時に携帯電話で撮影した写真である。
被害の悲惨さと怖さ、そして、忘れてはいけない歴史のひとつとして残すために写真を掲載するものである。
地震が発生した午後2時46分を少し過ぎた時間で止まった時計。
防波堤は、もろくも波の力に壊されて決壊し、壊された防波堤の巨大なコンクリート塊が何メートルも離れた場所まで流されている。
誰かが置いたのか、たまたま流されて、この場所に立っていたのか、ウルトラマンの目覚まし時計が海の方を見て立っていた・・・。
ほんと、我が家は全員無事で「よかった」です。
無事でなかった方達には申し訳ありませんが・・・。
ご家族みなさま、ご無事でよかったです。
被害の事を思うと、このような言葉をかけていいのかどうかも解りませんが
やはり、ご無事な方々には「よかった・・・」といいたい・・・・
私も当時福島市内に住んでいて、岳陽中学校の中学生でした。
あの時は、地震の被害だけでしたが、今回は津波で町がいくつも消滅してしまうほどの被害が出ています。
死者は、いったい何万人になるのか・・・。
こちらは、確かに地震もかなり大きかったのですが、津波の被害があまりにも大きすぎました。
そこに持ってきて、原発事故の三重苦です。
そして、いま福島県は、この原発事故のせいで被爆の恐怖はもちろん、全ての復興の障害になっているんです。
宮城県沖地震を経験しました。
地鳴りが聞こえてきて「何?」と思って数秒後大きな揺れ。
思わず床柱につかまったけれど、
今回、この家でも結構揺れて、
小さなものだったけれど、いくつかの物が落ちたり、
倒れたりして、
あの時と似ていると思いました。
そしてすぐに、
数日前に東北で地震があったのを思い出して、もしかして…とTVを注視していたら、
東北、故郷…、
大きな地震、そして津波、
逃げる車…飲み込んでいく海水
見ていても助けてあげられない…。
あの人たちはどうなるのか…。
私の友達はどうしているのか…。
辛くても見ているしかできなかった。
現地の人たちが、
家族の亡骸を見つけてすぐに運べなくて、
でも流されないように…という話、
あまりにも悲痛。
人間は自然には勝てないと改めて思います。
でも、生き残った人たちは、
これを乗り越えていくしかない、
せめて早く復興すること、
なくなった方々のご冥福、
生きている方々の希望をお祈りします。
東北にお住まいだとは知りませんでした。。。
失礼があったら、お詫びしますm(__)m
ご家族とも、ご無事で何よりでした!
ご存知の通り、私は神戸在住です。また、阪神・淡路の時には長田区の実家にいました。
TVで見る限りでも、阪神・淡路の時とは、様相が全く違い、被害は大きいように思います。
友人も自分も、殆どの仲間が、阪神・淡路を昨日のことのように思い出し、揺れてもいないのに、「今、揺れたかな!!!???」と焦ってみたり、恐怖や悲しさが蘇ってくると言います。
KEIZIさんもご家族も、体だけでなく、心も労わって、お大事にされて下さい。
心から、お見舞い申し上げます。
報道を視聴するよりも 記憶に残ると思います。
亡くなった方々の ご冥福をお祈りします。
とても写真には写せませんが、亡くなった方の遺体やそれを悲しむ家族の姿…。
最初の津波で亡くなった家族の遺体を見つけても、瓦礫の山となった足場に遺体を回収することが出来ず、第2波、第3波の津波で家族の遺体が流されないように木に遺体を縛り付けて、必死で避難した人もいました。
まるで生き地獄の世界です。
実際に自分の目で見た KEIZIさんの心境を考えると つらいです。