九頭竜の館(書斎)

趣味のブログ(散歩記録)

散歩記録(2022/07/18)

2022-07-18 20:50:39 | 日記
本日の散歩は以下の通りです。

ルート:京王永山駅~多摩市町名由来碑(諏訪)~多摩市町名由来碑(馬引沢)~多摩市町名由来碑(聖ヶ丘)~多摩市町名由来碑(連光寺)~ろくせぶ公園~多摩市町名由来碑(関戸)~アート作品(鐘のあるモニュメント~楽人のプラッツ~)~アート作品(希望)~多摩市町名由来碑(一ノ宮)~殿田中央公園~京王多摩センター駅

11:50頃、京王線の京王永山駅へ到着。

南東方向、直線距離約220m先へ移動。
11:55少し過ぎ頃、「多摩市町名由来碑(諏訪)」へ到着。

解説板によれば、「諏訪」は昭和時代に入ってから新設された町名で、
町内にある「諏訪神社」から取られているのだとか。

東南東方向、直線距離約510m先へ移動。
12:05少し過ぎ頃、「多摩市町名由来碑(馬引沢)」へ到着。

解説板によれば、「馬引沢」は平成時代に入ってから新設された町名で、
それ以前の「大字連光寺字馬引沢」の小字部分を取ったとの事。
由来は定かではないそうです。

北北東方向、直線距離約590m先へ移動。
12:20頃、「多摩市町名由来碑(聖ヶ丘)」へ到着。

解説板によれば、「聖ヶ丘」は昭和時代に入ってから新設された町名で、
近辺に明治天皇の御猟場があった事から、
「聖蹟」のうち一字を取って名付けられたとの事。

北北西方向、直線距離約840m先へ移動。
12:35頃、「多摩市町名由来碑(連光寺)」へ到着。

解説板によれば、「連光寺」は古くは「蓮光寺」として鎌倉時代の「吾妻鏡」にも名が登場するそうです。
かつて同名の寺院があった事に由来するとされています。

北北西方向、直線距離約1.2km先へ移動。
13:00少し過ぎ頃に、「ろくせぶ公園」へ到着。

【ろくせぶのなかま(作:藪内佐斗司)】
3月10日の散歩でも訪れておりますが、
本日は多摩市内のアート作品をフォローするという裏目的もあるため、再訪してみました。
ちなみに「ろくせぶ」は 昔の面積単位「六畝歩」から来ていて、
一畝は30坪、六畝歩は約600平方メートルぐらいでしょうか。
(実際の公園の面積は約1450平方メートルとの事)

西南西方向、直線距離約210m先へ移動。
13:05頃、「多摩市町名由来碑(関戸)」へ到着。

5月15日の散歩で訪れておりますが、
町名由来碑巡りの一環で再訪しました。
解説板によれば、「関戸」の名の由来は、
かつてこの地に関所が設置されていた事によるものだそうです。

西北西方向、直線距離約100m先へ移動。
13:10頃、路上のアート作品の設置されている場所へ到着。

【鐘のあるモニュメント~楽人のプラッツ~(作:中野滋)】
川崎街道と聖蹟Uロードの合流付近の路上に設置されています。
回音楽が流れたりライトアップされる仕組みとの事ですが、
電源ケーブルらしきものは外されいたので、
今はただのオブジェなのかもしれません。

西北西方向、直線距離約150m先へ移動。
13:15頃、聖蹟桜ケ丘駅前のアート作品の設置されている場所へ到着。

【希望(作:淀井敏夫)】
少女が貝殻を掲げ、そこから飛び立とうする鳥が表されているそうです。

ついでに、傍にあった「青春のポスト」も写真撮影。

聖蹟桜ヶ丘の地はジブリ映画「耳をすませば」の舞台となったため、
その縁で設置されたものと思われます。
普通のポストとしては機能しておらず、
自分の夢について書いた手紙を投函するものだそうです。

京王線の高架下にもアート作品が設置されていました。

【1986.3(作:瀧本光國)】
作品名がこれで正しいのかは分かりませんが、
他に作品名らしきものは見当たりませんでした。
触れた感じでは土台の上の彫刻は木製だったので、
故に濡れ難い高架下に設置されているのかもしれません。

北北西方向、直線距離約320m先へ移動。
13:20頃、「多摩市町名由来碑(一ノ宮)」へ到着。

解説板によれば、「一ノ宮」の由来は近辺に「武蔵国一ノ宮小野神社」が存在する事からだそうです。
傍にあるはずの「神奈川県水量標識」は今回も発見ならず。


南西方向、直線距離約1.5km先へ移動。
13:55頃、「殿田中央公園」へ到着。

【和田土地区画整理事業竣功記念碑~MILESTONE 1991~(作:藤原吉志子)】
1月8日の散歩でも訪れておりますが、
多摩市のアート作品に挙げられていたので再訪してみました。

本日予定していた目的地へは巡り終えたので、
南南西方向、直線距離約2.2km先へ移動。
14:40頃、京王多摩センター駅へ到着。

本日の散歩は以上です。
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散歩記録(2022/07/17)

2022-07-17 23:14:04 | 日記
本日の散歩ルートは以下の通りです。

ルート:番田駅~田名団地の給水塔~小沢古城址~小沢城址~神奈川県企業庁水道局の水槽タンク~愛川町役場~古民家山十邸~カラーマンホール蓋(愛川町)~史跡田名向原遺跡公園~史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館~神奈川県内広域水道企業団相模原ポンプ場(当麻谷原1号墳、3号墳、4号墳)~原当麻駅

10:00頃、JR相模線の番田駅へ到着。

西方向、直線距離約1.9km先へ移動。
10:30少し過ぎ頃、「田名団地の給水塔」の近辺へ到着。

2021年10月24日の散歩でも訪れております。
装飾の無いシンプルな四角柱タイプの給水塔です。
角度によっては、シミュラクラ現象で顔のように見えますね。

西南西方向、直線距離約1.3km先へ移動。

移動途中、上の給水塔と同日に通りがかった「ひの坂」を経由しました。

今回は坂下の祠も忘れずに写真撮影。

相模川を渡る際、「高田橋」の橋の袂に「新神奈川八景:水郷田名」の碑と、
「かながわの橋100選:高田橋」の碑が設置されておりました。

川を渡って、相模原市から愛川町へ。

11:05少し過ぎ頃、「小沢古城址」の案内板がある場所へ到着。

「還浄寺」の裏山が該当する場所です。
案内板によれば、丘陵地形を生かした天然の要害だったようですが、
遺構などは残っていないようです。

南方向、直線距離約550m先へ移動。
11:30頃、「小沢城址」の案内板がある場所へ到着。

坂の上の台地部分に山城があったとされています。
城址の南側に堀跡があるとの事でした。

西北西方向、直線距離約750m先へ移動。

移動途中、坂名碑があったので写真撮影。

「梅沢坂」と言うそうです。

12:05少し過ぎ頃、神奈川県企業庁水道局の施設前へ到着。

水槽タンクのようなの施設が見えますが、詳細は不明です。

南方向、直線距離約940m先へ移動。
12:25頃、「愛川町役場」へ到着。
1Fの住民課窓口で愛川町のマンホールカードを貰いました。

写真の左側のカードは「かなキャラカード」と言って、
神奈川県内のご当地マスコットキャラクターをカードにしたもので、
愛川町では観光キャラクター「あいちゃん(着ぐるみVer)」がデザインされていました。

南南東方向、直線距離約1.6km先へ移動。

移動途中、坂名碑があったので写真撮影。

「水道坂」。

「へいしの坂」。

「熊坂」。

13:00少し過ぎ頃、「古民家山十邸」へ到着。

明治中期頃の建築物のようで、国登録有形文化財となっております。
時間の都合で、門から入口付近を眺めただけで立ち去りました。

東方向、直線距離約690m先へ移動。
13:15少し過ぎ頃、「マルエツ中津店」近辺へ到着。
この東側の歩道上に愛川町のカラーマンホール蓋が設置されています。


北東方向、直線距離約2.2km先へ移動。
相模川を渡って、再び相模原市へ。
14:25頃、「史跡田名向原遺跡公園」へ到着。

住居状遺構、竪穴住居、古墳などが復元(一部の古墳は状態保存)されています。
写真撮影のため公園内をウロウロしていたところ、
常駐していたガイドの方に声を掛けていただき、
遺跡に関する説明を”懇切丁寧に”していただきました。

公園でのガイドの後、近隣の「史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館」にも案内され、
更に詳しい話を伺いました。

掻い摘むと、1997年に約2万年前(後期旧石器時代末)のものと思われる住居状遺構が発見され、
その後遺跡公園として整備されたようです。
住居の規模から、この場所に定住していたと思われるそうですが、
近辺に同様の住居跡が見当たらない事から「住居”状”遺構(住居と推定される遺構)」という指定になったとの事。
その後、近辺からは縄文時代や古墳時代の遺物も発見されています。
何故か弥生時代の痕跡だけは見当たらないのだそうです。

15:40過ぎに施設から退館しました。
東南東方向、直線距離約470m先へ移動。
15:55頃、「神奈川県内広域水道企業団相模原ポンプ場」の近辺へ到着。

この施設の敷地内に古墳が二基、隣接する金山神社の敷地内に一基の古墳が存在します。
■当麻谷原1号墳

■当麻谷原3号墳

■当麻谷原4号墳


本日予定していた目的地は巡り終えたので、
最寄り駅を目指して、東方向、直線距離約1.3km先へ移動。

途中、坂名碑があったので写真撮影。

「ひかげ坂」。

16:30少し過ぎ頃、JR相模線の原当麻駅へ到着。
本日の散歩は以上です。
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散歩記録(2022/07/16)

2022-07-16 16:02:15 | 日記
本日は雨降りだったため、家でゴロゴロ過ごそうかとも思ったのですが、
読みたい本があったので図書館へ出掛けました。
(自宅だと今いち集中出来ないので)

駅からあまり離れていない「多摩市立永山図書館」を目的地としました。
ついでに、京王永山駅付近のパブリックアートもフォローしてみます。
6月23日の散歩でも触れていますが、改めて)

10:40頃に京王永山駅へ到着。
まずは駅前バスロータリー近辺へ移動。

【光と色のささやき(作:飯田善國)】
前回時点では名称不明でしたが、
その後調べみたところ判明しました。

ついでに「たまっこ」も写真に撮ってみました。
本日は石像周辺の草が刈られていて、像全体をよく拝めました。

その後、グリナード永山の4FでJORGE BLANCO作のアート作品を写真撮影。

【YELLOW MAN Basking in starlight(作:JORGE BLANCO)】

【VIOLET MAN Art nostalgia(作:JORGE BLANCO)】

【WELCOME! Private Island(作:JORGE BLANCO)】

10:50少し過ぎ頃、図書館へ到着。
持ち込んだ本を読みながら過ごしました。
12:05頃退館。

雨が止んでいた場合の散歩ルートも考えておりましたが、
時折激しくなるぐらいだったので、帰宅する事にしました。

ついでに、ベルブ永山2Fでアート作品を撮影。

【FLY-1996(作:内田晴之)】

12:20頃、駅へ戻って来ました。
本日の散歩は以上です。

おまけ:ベルブ永山前の広場にて。
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散歩記録(2022/07/10)

2022-07-10 21:54:14 | 日記
午前中は部屋でゴロゴロしていたので、
散歩へ出掛けるのが昼になってしまいました。

ルート:稲城駅~稲城市立中央図書館~三沢川分水路排水口~大丸用水堰~ヤッターワンのモニュメント~いなぎ発信基地 ペアテラス~アイラブトーフ本店 おとうふ自動販売機~たとうさま~多摩川稲田堤桜之碑~京王稲田堤駅

13:25少し過ぎ頃、稲城駅へ到着。

北西方向、直線距離約1.4km先へ移動。
13:55頃、「稲城市立中央図書館」へ到着。
避暑とネタ探しを兼ねて寄ってみました。
14:20頃に退館。

北西方向、直線距離約830m先へ移動。
14:40頃、「三沢川分水路排水口」の近辺へ到着。

5月28日の散歩では護岸工事のため立ち入り不可でしたが、
今回は通り抜けが可能になっておりました。

多量に排出されている訳ではないのですが、
吐口から多摩川へと水が流れ出ていました。
トンネル内は温度が低く湿気が高いためか、
外気との温度差によって、吐口付近では微量の霧というか水蒸気が漂っていて、
吐口前に立つと涼しかったです。

ついでなので、多摩川の上流方向へと歩いてみました。

近くにある「南多摩水再生センター」で処理された水の排水口がありました。
結構な量が多摩川へと注がれているようです。

「大丸用水堰」です。
令和元年の台風で計画高水位を超過した事から、
大規模な治水対策が急務となりました。
・既設用水堰の撤去、床止の設置
・帯工の設置、河床低下防止護岸工事
・取水施設、堤外水路設置
このうち、先日まで行われていた河床低下防止護岸工事は完了しています。
今年は帯工、取水施設、堤外水路の設置が予定されているそうです。

15:05少し過ぎ頃に付近から退散しました。


東南東方向、直線距離約720m先へ移動。
15:15少し過ぎ頃、JR南武線南多摩駅の北口へ到着。

「ヤッターワンのモニュメント」を写真撮影。

東南東方向、直線距離約1.2km先へ移動。

「大丸用水」沿いに移動し、
15:50頃、「いなぎ発信基地 ペアテラス」へ到着。


中にまでは入りませんでしたが、
マーケットスペースには面白そうな物品が置いてあるようなので、
次の機会には店内で確認してみようと思います。
ついでに、駅前の「スコープドッグ」も写真撮影。


東南東方向、直線距離約1.1km先へ移動。
16:15頃、「アイラブトーフ本店 おとうふ自動販売機」へ到着。

前回見かけた時は一台だった自動販売機が二台になっていました。
保冷バッグのような物を持っていれば購入しても良かったのですが、
持ち合わせが無いため、写真を撮って退散しました。

東方向、直線距離約1.1km先へ移動。
16:40頃、「たとうさま」近辺へ到着。

明治時代に多摩川の洪水が起きた後、
水難を絶とうという「たとうさま」と呼ぶ水神を祀る祠が建てられたそうです。

東南東方向、直線距離約170m先へ移動。
16:40少し過ぎ頃、「多摩川稲田堤桜之碑」へ到着。

明治時代、日露戦争の戦勝記念として、
近辺の多摩川沿いの堤防に桜の木が植えられ、その記念碑がこれです。
ところが、太平洋戦争後の燃料不足や道路改修のため桜の木は切られ、
今ではこの記念碑が残るのみとなっているようです。

南南東方向、直線距離約640m先へ移動。
16:55頃、京王線の京王稲田堤駅へ到着。

本日の散歩は以上です。

おまけ:
「三沢川分水路排水口」付近で見かけたトンボ。(ニホンカワトンボ?)



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散歩記録(2022/07/09)

2022-07-09 23:54:41 | 日記
本日の散歩ルートは以下の通りです。

ルート:武蔵境駅~国木田独歩の文学碑~玉川上水の碑~名勝小金井桜碑~都立小金井公園(石神井川上流端、江戸東京たてもの園)~大尽の坂~黄金の水(宝永四年六地蔵)~妙貫坂~金井原古戦場の碑~質屋坂~なそい坂~念仏坂~平代坂~弁車の坂~荒牧坂~さわらび坂~三楽の坂~くらぼね坂~府中の森公園~府中の森芸術劇場~東府中駅

10:00頃、武蔵境駅へ到着。

北方向、直線距離約820m先へ移動。
10:15頃、「国木田独歩の文学碑」へ到着。

「国木田独歩」の小説「武蔵野」に登場する「桜橋」の付近に立つ記念碑です。

近くには「独歩橋」もありました。


西北西方向、直線距離約580km先へ移動。
10:25頃、「玉川上水の碑」へ到着。


西方向、直線距離約1.7km先へ移動。
10:50少し過ぎ頃、「名勝小金井桜碑」へ到着。

小金井市は都内の桜の名勝地として知られています。
そう言えば春先に訪れた事は無かったので、
来年覚えていたら来てみたいと思います。

北西方向、直線距離約40m先へ移動。
10:55頃、「都立小金井公園」の正門口へ到着。

まずは公園を縦断して、790m先を目指します。
11:15頃、「石神井川上流端」へ到着。

ここから上流方向は暗渠となっているため、ここに上流端の標識があるようです。
石神井川の水源は、公園に隣接するゴルフ場敷地内の湧水のようです。

再び公園内へ戻り、園内にある「江戸東京たてもの園」を目指します。
11:40少し過ぎ頃に入口へ到着。

「失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する」というコンセプトの屋外博物館です。
入場料(予約)¥400を払って中に入りました。
展示されている建物の中に入って見学する事も可能です。(土足厳禁)
【西ゾーン】

山の手通りに面していた住宅や茅葺きの民家を復元したものが並んでいます。
【センターゾーン】

歴史ある建物が復元されて展示されています。
【東ゾーン】

昔の下町にあった建物を復元しています。
昭和初期の雰囲気が残る街並みで、
ジブリの映画「千と千尋の神隠し」に登場する建物のデザインの参考にされたそうです。

13:35頃、公園の外に出ました。
南南西方向、直線距離約270m先へ移動。
13:45頃、「大尽の坂」の坂上へ到着。

この道に面して西側に醤油醸造業を営んでいた富豪が住んでいて、
近隣の人が醤油を求めるために通った坂が、
「大尽の坂」と呼ばれるようになったのだとか。

南南西方向、直線距離約1.1km先へ移動。
14:05頃、「黄金の水(宝永四年六地蔵)」へ到着。

「六地蔵」の傍の井戸から汲み上げられた天然水が、
付近の方から「六地蔵のめぐみ黄金の水」と呼ばれるようになったそうです。
水汲み場には専用の蛇口があり、
登録料500円を支払って会員にあると、
蛇口の水栓鍵を受け取って自由に利用が可能になります。
試飲用蛇口もあります。

ここからは、小金井市の坂巡りとなります。
6月12日の散歩の際に俄雨で回り切れなかった分のリベンジです。

南南西方向、直線距離約160m先へ移動。
14:10頃、「妙貫坂」の坂上へ到着。

この坂の下にある金蔵院の前身である観音寺の坊の名から取られたとも、
墓守の名であったとも言われています。

南南西方向、直線距離約150m先へ移動。
14:15頃、「金井原古戦場の碑」へ到着。

南北朝時代に起こった武蔵野合戦の戦場の一つで、
北朝の足利尊氏と南朝の新田義興・新田義宗兄弟の軍勢が激突した場所です。

西北西方向、直線距離約140m先へ移動。
14:20少し過ぎ頃、「質屋坂」の坂下へ到着。

昔この坂の近辺に質屋を営む者がいて、
それに因んで呼ばれるようになったようです。

西北西方向、直線距離約140m先へ移動。
14:30頃、「なそい坂」へ到着。

「なそい」とは斜めの意味だそうです。

西北西方向、直線距離約190m先へ移動。
14:35少し過ぎ頃、「念仏坂」の坂下へ到着。

昔東側に墓地があって淋しい道だったので、
ここを通る人がいつしか念仏を唱えるようになった事から
この名で呼ばれるようになったそうです。
坂上から見ると、途中で右折して細い路地へ入って行く坂道です。

西北西方向、直線距離約130m先へ移動。
14:40少し過ぎ頃、「平代坂」の坂上へ到着。

昔、坂の東側に住んでいた梶平太夫という者が玉川上水の分水を使って水車を回したので「平太坂」と呼ばれていたが、
いつしか「平代坂」と呼ばれるようになったそうです。

西北西方向、直線距離約100m先へ移動。
14:45少し過ぎ頃、「弁車の坂」の坂下へ到着。

昔、この近辺の土地の所有者で鈴木弁次郎という者が池の水を利用して水事業を営んだ事から、
この坂名で呼ばれるようになったそうです。
坂上には「滄浪泉園」がありますが、本日は時間の都合で入園を見送りました。

南西方向、直線距離約180m先へ移動。
15:00頃、「荒牧坂」の坂下へ到着。

この近辺には「荒牧」の名が付く橋や場所があるため、
何らかの関係性があると思われます。
現在は「新小金井街道」によって分断されていますが、
以前は「滄浪泉園」の南側へと延びていたと思われます。

南西方向、直線距離約70m先へ移動。
15:05頃、「さわらび坂」の坂上へ到着。

宅地開発によって出来た比較的新しい坂で、謂れなどはないようです。
坂名は近辺にある保育園の名から取られたとの事です。

西方向、直線距離約170m先へ移動。
15:10少し過ぎ頃、「三楽の坂」の坂下へ到着。

坂の東側にある「三楽の森」から付けられた坂名と思われます。
「三楽の森」はNECの創立者でもある前田武四郎の別荘「三楽荘」があった場所でもあります。

西方向、直線距離約340m先へ移動。
15:25頃、「くらぼね坂」の坂上へ到着。

昔、坂の東が切り立つような赤土の崖で、
雨の降る時などは人も馬も滑って鞍(馬)でも骨を折る事から、
この名で呼ばれるようになったそうです。

小金井市の坂巡りはここまで。

南方向、直線距離約2.0km先へ移動。
16:05頃、「府中の森公園」へ到着。

6月18日の散歩で見つからなかったパブリックアートを探す事が目的です。
公園の案内板にパレットのマークが付いている場所に作品が設置してあるそうなので、
前回見つからなかった以下二つの作品を写真に納める事が出来ました。

【鳩をもつ少年(作:舟越保武)】

【7月(七夕)の樹(作:向井良吉)】

続いて隣接する「府中の森芸術劇場」でもアート作品を見つけました。

【円柱領域(作:小田襄)】

【空に舞う(作:伊藤隆道)】

この後、直線距離約430m先の「東府中駅」へ向かいました。
16:35少し過ぎ頃に駅へ到着。

本日の散歩は以上です。

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