知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「山折哲雄」氏と「ひろさちや」氏

2018年02月04日 14時51分52秒 | 日本人論
 両者ともに、現代日本を代表する宗教学者です。

 本日、山折哲雄氏(86歳)のインタビュー番組を見ました。
 ちょうど、彼の講話集「やすらぎを求めて」をドライブ中に聞いていたタイミングです。
 
 キーワードは「ひとり」。
 昨今、コミュニケーション能力が重視される社会環境ですが、「ひとりで生きる知恵・強さ」を持つべきである、と説かれます。
 これは三木清の「人生ノート」にも共通する思想ですね。
 この「ひとり」という言葉は、古くは『万葉集』にも使われており、歴史に名を残す仏教思想家の残した言葉にも垣間見える、とのこと。

 山折氏の話は、時に説教的に聞こえがちです。
 彼の中には「清く正しく美しく」という日本神道の精神があるのだと感じます。
 曲がったこと、だらしないことが大嫌い。
 講話集CDの中でも、大学生が授業を聞かない様子を嘆いていました。
 ヘルマンヘッセの「知と愛」(ナルチスとゴルトムント)に例えると、まさしくナルチス・タイプですね。

 インタビューの中で、ある時蔵書を処分しようとしたけれど、柳田国男全集、長谷川心全集、親鸞全集だけは捨てられなかった、と告白していました。
 私も敬愛する民俗学者・柳田国男の影響を多大に受けていることを知り、ちょっとうれしくなりました。

■ こころの時代~宗教・人生~「ひとりゆく思想」(山折哲雄インタビュー)
2018年2月4日:NHK-Eテレ



<番組内容>
 宗教学者として、日本人の死と生の思想を見つめ続けて来た山折哲雄さん。親鸞や一遍、歌人の西行など、先人たちの「ひとり」の哲学を、老いの日々の中で語っていただく。
<出演者>
【出演】国際日本文化研究センター名誉教授…山折哲雄,
【きき手】西世賢寿
<詳細>
 山折哲雄さん、86歳。宗教学者として、日本人の死生観や無常感を見つめ続けて来た。今、山折さんの心を捉えるのは、鎌倉の動乱の世を生きた親鸞や一遍、そして歌人の西行や、後世の俳人芭蕉など、信仰と美に生きた、はるかな先人たちの姿だ。1年前、心臓の大手術をした山折さんは、自らの「存在の軽み」を感じたという。老いの体験を交えながら、彼らの生と死の哲学、その「ひとりゆく」思想について語っていただく。


 山折哲雄氏の前に聞いていたのが、ひろさちや氏の講話集CD「日本の神さま仏さま」です。
 ひろ氏の著書もいくつか所有しているのですが、文章がくどくて受けつけません。
 でも彼の考え方には興味があり、CDなら聞けるかな、と数年前に購入。
 ひろ氏は話が上手です。「何でも知っているおじさん」という印象。
 仏教にも神道にも通じているので、話も膨らんで飽きさせません。
 
 中でも記憶に残っているのは、仏教と神道の関係です。

「仏教が伝来したとき、それまでの日本の宗教(というか習俗)を神道と呼ぶようになった。その後仏教が習俗化して神道に近づき、二つは混ざり合って発達したが、明治政府がそれをバリバリと無理矢理剥がすように分け、神道を国家神道に作り上げた。戦後国家神道の考え方は捨てられ、現在に至る。」

 それから、仏教の考え方で頷けた部分;

「勉強が好きな人は出世して幸せになれる、しかし勉強が苦手な人にもその人に会った幸せがあると説くのが仏教」

 これは「ナンバーワンよりオンリーワン」の精神と同じですね。

 山折氏とひろ氏が並んで大学で講義をしたら、おそらくひろ氏の方が人気が出るだろうなあ。

 山折氏の講話集CDをもう一つ手に入れました(「日本人の心と祈り」)。
 聞くのが楽しみです。
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新日本風土記「八戸」

2018年02月03日 20時13分49秒 | ふるさと
 手元に「イタコ“中村タケ”」というCD集があります。
 彼女が唱えた祭文や口寄せ、マジナイとウラナイを収録した内容です。

 なぜそんなものを持っているかというと、私は昔から民俗学に興味があり、イタコさんも守備範囲。
 大学生時代には「民俗研究部」というマイナーな文化部に所属し、フィールドワークなんぞに参加しました。
 歴史の教科書に載らない、フツーの人々の暮らしに興味があったのです。
 核家族で祖父母の存在が稀薄だった自分のルーツを知りたいという漠然とした思いがあったように感じています。

 弘前市の久渡寺(くどじ)の「オシラ講」や恐山の大祭で、イタコさんを見たこともあります。
 あの独特の節回しを聞いていると、自分が今いる場所が日本なのか、わからなくなった記憶があります。

 先日のNHK番組「新日本風土記」は「八戸」でした。
 すべて興味深い内容でしたが、一番インパクトがあったのがイタコの中村タケさん本人が登場したこと。貴重な映像です。

 大学1年生の夏、八戸市外から離れた漁村のフィールドワークに参加しました。
 村の空き家を借りて1週間泊まり込み、古老達から話を聞いて採集し、それを本にまとめる作業。
 私の担当は「信仰」でした。
 八戸市は江戸時代、南部藩と呼ばれ、馬の産地でした。
 調査時は馬を飼っている家は見当たりませんでしたが、家の構造に厩が残り、家の中には馬頭観音が祀られていました。
 
 その日捕れた魚介類を差し入れしてくれました。
 その中でも記憶に残っているのが、バケツ一杯のツブ貝の差し入れ。
 生まれて初めてツブ貝を食べた私、そしてもう要らないと言うほどたくさんたくさん食べました。
 それ以来、ツブ貝を食べたことはありません(一生分を食べてしまった・・・)。

 八戸の「南部弁」は「津軽弁」と大きく異なります。
 津軽弁の語尾は「だっきゃ〜」ですが、南部弁のそれは「んだなす〜」です。
 フィールドワークの後、しばらく部員の間で「んだなす〜」調会話が流行りました。

■ 新日本風土記「八戸」(2018年1月19日放送)

番組内容
 青森県の港町、八戸。
 海からヤマセと呼ばれる冷たい風が吹き荒れかつては何度も飢きんに襲われる不毛の地だった。そんな八戸で人々が活路を見いだしたのが海。戦後、埋め立て工事により港は大規模な漁港へと変貌。イカは現在も水揚げ量日本一を誇る。高度経済成長期以後は北東北一の臨海工業都市に成長した。
 八戸発展の象徴がけんらん豪華な八戸三社大祭の山車だ。常に変化しながら厳しい風土を生き抜いてきたたくましき人々の物語。

詳細
 青森県の東、太平洋に面する東北屈指の港町、八戸。
 「やませ」と呼ばれる寒風が吹き荒れ、かつては何度も飢饉に襲われる不毛の地だった。
 発展のため人々が活路を見出したのは海だった。戦後、埋め立て工事により大規模な漁港へと変貌し、昭和41年から43年にかけては、3年連続で水揚げ日本一を記録。中でもよく取れるのがイカで、現在も水揚げ量日本一を誇っている。
 高度経済成長期には臨海工業地帯としても発展。北東北一の工業都市へ成長した。
 港で開かれる巨大朝市には2万人が集い、ユネスコの無形文化遺産に登録された祭りの豪華絢爛な山車は、人を呼び込み街に活気をもたらそうと、毎年、進化を続ける。
 飢餓の記憶は今も農家に受け継がれ、田に捧げる祈りが絶えることはない。常に変化しながら厳しい風土を生き抜く、たくましき人々を見つめる。

▼"やませ"と"けがじ"の民…受け継がれる飢饉の記憶と田に捧げる祈り
▼馬産地の栄光…「戸」は平安時代からの馬産地の証。その栄光を守る人々の物語
▼日本一のイカ…日本一の漁獲量を誇るイカ漁。不漁にも屈しない漁師の誇りとは
▼海に開けた夢…港の礎を築いたのは2代目の八戸市長。夢にかけた軌跡を追う。
▼自慢の山車に集まる夏…賞を競い、進化を続ける豪華絢爛な山車作りの舞台裏。
▼ホトケサマ、呼続けて…厳しい風土で人々の心に寄り添ってきたイタコの秋。
▼朝市で歩み続ける…震災被害から立ち上がろうと巨大朝市に立ち続ける人々の思い

番組担当者のつぶやき
 八戸の回を担当した坂川です。
 私事ですが、青森に転勤してきたのは4年ほど前。失礼ながら、青森のイメージは、りんごとねぶたと太宰治。全部、県の西側・津軽地方のことばかり。それでも、八戸についてかろうじて知っていたのが、港町だということでした。今回取材を進めると、この港は、絶えずヤマセに脅かされてきた八戸暮らしと経済を救おうという、先人の壮大な夢の結晶だとわかりました。ロマンあふれる港のお楽しみスポット、ご紹介します。
 今、八戸で最も活気に満ちた場所と言えば、番組でも紹介した館鼻岸壁朝市(たてはながんぺきあさいち)。しかし、1月と2月は、寒さが強くお休み・・・。残念・・・?!いえいえ、そんなことはありません。朝市が開催される館鼻岸壁には、冬の間も港気分に浸れるスポットがあります。
 「浜のスーパー 漁港ストア」。レトロな空気感漂うこの店は、漁船向けに製氷工場を経営している会社がタバコ屋として創業。やがて県外から長旅の漁に訪れる漁師たちのために、洗剤や歯ブラシなどの日用雑貨品を売るようになったのだとか。人気なのが、昭和56年に併設された蕎麦屋。夜の漁を終えた漁師たちに朝ごはんを提供するため営業を始めました。今は漁師だけでなく、サラリーマンがお昼を食べに来たり、休日に家族連れが訪れたりなど、八戸市民が広く訪れる憩いの場に。
 そんな漁港ストア、冬ならではの限定メニューが「鍋焼きうどん」です。イカゲソのだしが出たつゆが、冷えた体をぽかぽかに温めてくれます。冬の漁師たちも、きっとこうやって体を温めたに違いない。大音量でかかる演歌を聴けば、気分は完全に海の男。あつあつのおでんも一緒に。締めはワンカップをどうぞ。

 次にご案内するのは、“もう1つの朝市”。東北新幹線の「八戸駅」を降りたら、JR八戸線で「陸奥湊(むつみなと)駅」へ向かいましょう。駅を降りると出迎えてくれるのが、マスコットキャラ「イサバのカッチャ」。
 このキャラの由来を少々。「イサバ」とは、魚の行商のこと。漢字では「五十集」と書くように、どんな魚も集めて、背中にしょった籠に入れ、売り歩きました。この「陸奥湊駅」から、町中へ、山中へ、県外へ。まだスーパーなどなかったころ、港でとれた魚を家庭に届けたのが、イサバの女性(カッチャ)たちだったのです。
 今は行商をすることのなくなった女性たち。しかし、かつて県内外へ送り届けるための魚を買っていた市場は、まだ健在。陸奥湊駅前には、今も多くの魚の卸売り店が軒を連ねます。中でも最も大きいのが、駅の目の前にある「八戸市営魚菜小売市場」。これこそ、“もう1つの朝市”です。
 鮮魚に刺身、珍味に加工品まで、なんでもそろいます。買った魚は、もちろん持って帰るものよし。ですが、店内奥のテーブルで、ご飯を注文し、そのままおかずにいただくことができるんです。カッチャたちにお薦め商品を聞いたり、値引き交渉をしたりして、自分のお気に入りの一皿を作るのが、また一興。買うのに夢中になりすぎると、食べきれなくなりますので、ご注意下さい。
 最後に2つ注意。1つ、こちらの朝市は、日曜日がお休みです。2つ、売り場のカッチャたちは、夜2時には起きて、3時には商売を始めるというかなりの早起き。お昼近くになると、店じまいしてしまっているお店もちらほら。なので、おでかけの際は、お早めに!
 個人的には、「本八戸駅」から始発電車で「陸奥湊駅」へ向かうのがお薦め。夜明け前のせわしい市場の港風情、ぜひご堪能ください。



<参考>
□ みちのく建物探訪 〜青森県弘前市 久渡寺 オシラ様の歴史刻む
毎日新聞2017年12月19日
◇ 約250体が並ぶ観音様の石像群
 青森県弘前市中心部から南に約10キロ。久渡寺(くどじ)山(標高約663メートル)の山腹に、津軽三十三観音の一番札所の久渡寺が見えてくる。山門の先には、227段の石段。老杉に囲まれた立地が神秘的な空気を醸し出している。
 石段を上ると目の前に聖観音堂があり、すぐ後ろ手には約250体の観音様の石像が連なっている。須藤光昭住職(44)によると、石像群は地蔵と勘違いされ、「心霊スポット」と言われることもあるというが、実は歴史が隠されている。
 1970年代、土砂災害で境内の一部が被害に遭い、多くの人々から援助を受けた。寄付をした人たちの家内安全を祈願しようと、当時の住職がこれらの石像を寄進したのだという。
 そんな久渡寺の歴史は1191(建久2)年にさかのぼる。唐僧・円智上人が、慈覚大師作の聖観音を本尊として建立。江戸時代には津軽真言五山の一つとして、藩の祈願所となり、手厚い保護を受けた。だが、明治維新の神仏分離で藩からの援助が受けられなくなった。檀家(だんか)制度を持たない同寺は運営困難に陥る。そこで、東北に伝わる民間信仰「オシラ様」をまつるオシラ講を始めたという。
 オシラ様とは桑の木で作った30センチほどの棒に男女の顔や馬の頭を彫るなどし、衣装を着せたご神体。久渡寺では明治以降、家や村でまつっているオシラ様を人々が持ち寄り祈とうしてもらうオシラ講を執り行ってきた。その信仰に寺は支えられてきた。須藤住職は「信仰の強さと歴史の重さを実感する」と言う。
 須藤住職によると、引きこもりの我が子を案じた親が何度も祈願に来たことも。後に元気になった子を連れてお礼参りに訪れたといい、「ほっとした笑顔を見ると、住職冥利に尽きる。誰かを思う人たちの姿を見ると、人のつながりを再確認する」と話す。毎月、寺を訪れるという弘前市内の80代女性は「家族の幸せを思ってオシラ様をまつります。久渡寺に来ると曇っていた気分も明るくなる」と話した。
 本堂では毎年5月に集団祭祀(さいし)を開催。県内外から多くの人がオシラ様を持ってやって来る。祈とうを受けるオシラ様は年間2000~3000体に上るという。木造の本堂は約70年間、多くの人々が願いを託す場所として親しまれてきた。
 須藤住職は「信仰を伝え、受け継いでいくことも寺の責務。人々の心のよりどころである祈願寺として、今後もこの信仰を歴史に刻んでいきたい」と話している。【岩崎歩】

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言語習得で日本語は難易度ランキング1位!

2018年01月28日 12時16分23秒 | 日本人論
 日本語は難しい、とは外国人の口からよく聞かれる言葉です。
 日本人である我々も、アルファベットのみの英語/米語と比べると、ひらがな・かたかな・漢字・ローマ字・・・などたくさんの種類があり、さらに漢字には音読みと訓読みがあったりしますから大変だよなあ、と思います。

 より客観的に判断するとどうなるか?
 紹介記事では、アメリカ国務省に「外国語習得難易度ランキング」というのがあり、その中で日本語は唯一最高難易度にランクされる言語とのこと。
 その理由として、

1.漢字に音読みと訓読みがある
2.必須語彙数が多すぎる
3.主語が略されて記述があいまい
4.オノマトペが多い
5.方言が多い


 が挙げられています。なるほど。

 英語を中心に学んでいる大学生に「英語と比べると日本語は女子の使い方など複雑で興味深く面白い」と聞いたことがあります。
 確かに日本語をそこそこ話せる外国人でも助詞(て・に・は・を)が不適切であることをよく経験しますね。
 日本語を自在に操っている日本人って、それだけで偉い?

■ 日本語は何故、どこが難しいのかー外国人から見る日本語のムズカシイ
2018-01-23:HATENA Blog
 アメリカの外務省にあたる国務省に、「外国語習得難易度ランキング」というデータがあります。



 国務省は日本なら外務省にあたる組織なので、外交官を養成する必要があります。外交官は語学が基本中の基本ですが、その語学習得の時間で難易度を分けた表が、上の世界地図の色分けとなります。
 外国語で「習得した」「マスターした」という基準は一体なんやねん、という議論がよく行われますが、この「習得」はスピーキングとリーディングとなります。
 アメリカなのであくまで英語ネイティブの目線ですが、言語的に近い親戚のヨーロッパの言語は、カテゴリー1~4までの部類になっています。カテゴリー333週間、900時間以内に習得可能という基準があるので、1年以内に習得できるという「比較的簡単」な言語となります。
 その上の「カテゴリー4+」には、モンゴル語・フィンランド語・ハンガリー語の遊牧民族系言語、東南アジアのタイ語とベトナム語がエントリーされています。
 その上の「カテゴリー5」になると、アラビア語や中国語、韓国・朝鮮語がエントリー。ここらへんは妥当なところかも。
 欧州系このカテゴリー3までの色分けで、言語を勉強している人間として面白かったことがあります。それは、フランス語・スペイン語・イタリア語などは緑色の「カテゴリー1」、つまり「サルでもできる」な部類に属していることに対して、ドイツ語は一段階難しいカテゴリー2に分類されていること。
 英語を言語学的な住所で表現すれば、「インド・ヨーロッパ語族、ゲルマン語派、西ゲルマン語群」となります。その中の西ゲルマン語群にはドイツ語とオランダ語も入っています*1。つまり英語とドイツ語は、人間で言えば兄弟だということ。それを根拠に、英語とドイツ語はとても近いと言う人もいます。実際そうだし、似ている単語も多数あります。
 では、何故英語ネイティブから見たドイツ語は、他と比べて難しいのか・・・をいちおう書いては見たものの、文字数にして4000文字以上になっちゃったので、またの機会にします(笑)
 その中で、最凶難易度の「カテゴリー5+」にただ一つ分類されたのが、我らが日本語。世界で唯一無比のオンリーワン。
 私から見ると、アラビア語の方がよっぽど難しいと思うのですが(アラビア語は本当にムズい)、それより難しい認定をアメリカ国務省がしてしまったというお話です。
 なお、このランキングについてのお問い合わせは、私ではなくアメリカ国務省までお願いします(要英語)。

◇ 日本語は何故、どこが難しいのか
 アメリカ国務省に、「イイネ」ではなく「ムズカシイネ」をいただいてしまった日本語の難しさですが、一体何が、どう難しいのか。
 日本語勉強中の外国人に、
「日本語のどこが難しい?」
 と聞くと、10人中8人くらいは漢字と答えるはず。ただし、漢字を使う中華圏の人は除いて。
 常用漢字の数は法令で定められており、その数が2,136字。
 我々はこれを、学校で9年かけて勉強するのですが、外国人にとってはこの数がノイローゼ不可避。我々は日常で使う上に読み書きにも多大な支障が出るので、イヤでも覚えざるを得ないです。しかしながら、趣味や興味から日本語の海原に入り、ヒャッハーと漢字の海にタイビングして「溺死」する人が多数。そりゃ我々も、古代エジプトの象形文字を2,136個どころか、1000個覚えろと言われれば、どんな罰ゲームやねんと頭を抱えることでしょう。
 ところで最近、海外での日本文化の浸透で、英語で漢字を「Kanji」と呼ぶことが多くなったそうです。ネット上では、"Chinese character"だと「画数」が多いからか、ほぼ「Kanji」一択です。
 本家のお株を奪われた中国人が、この流れになんでやねんと頭を抱えているそうですが、日本語学習者の間では漢字の勉強時間を、"punishment"(懲罰、虐待)と呼ばれて恐れられています。
・・・という小咄です。え?面白くなかった?
 しかし、日本語の難しさとはこれだけでしょうか。
 漢字だけが難しいのであれば、覚えてしまえばそれでおしまい。受験勉強よろしく脳のCPUをフル稼働させれば、まあなんとかなると思います。
 この漢字という高い壁だけでも頭痛のタネなのに、それを越えてもまだ壁があるというところが、日本語の難しさ。いや、日本語勉強中の外国人にとっては、恐怖かもしれません。

1.漢字に音読みと訓読みがある
 漢字だけなら、漢字の総本家中国語も同じじゃないかという意見もあります。それはごもっとも。特に台湾・香港(とマレーシアの華人社会)は日本も戦前に使っていた旧字体(繁体字)を使用するので、漢字単体なら日本より難しい。「塩」を「鹽」と書かれた時はもう、はぁ?です。
 日本語と中国語の漢字の大きな違いは、一つの漢字に複数の読み方があることです。
 中国語には、基本一つの漢字に読み方(発音)は一つしか存在しません。複数の読み方があるのも、まああるっちゃありますが、あくまで例外的存在。
 たま~~~~にその例外が出てはきますが、その都度覚えていけば済む程度の量です。
 しかし、日本語はそうはいかない。
 日本語には、「音読み」と「訓読み」の2つの読み方があります。
 音読みは、日本に伝来した大陸(中国)の時代によって「漢音」「呉音」「唐音(&宋音)」に分かれます。「京」だと漢音が「けい」、呉音が「きょう」、唐音が「きん」という風に、いくつもの読み方に分かれ、さらにどれをどう発音するかは単語によるので法則はなし。
 ヨーロッパの言語は、文法がややこしい代わりに一定の法則があることが多いのですが、「法則はない」だけでもう頭がクラクラです。
 さらに厄介なことに、「当て字」もあります。

当て字
:日本語を漢字で書く場合に、漢字の音や訓を、その字の意味に関係なく当てる漢字の使い方。
(大辞泉)


 「目出度い」「呉れる」や、昔の人がよく書いていた「六かしい(むつかしい=難しい)」もそれに当たります。「夜露死苦」もそうですね。
 当て字は文学作品などには多く、特に夏目漱石は当て字の名人と言っていいほど、文面に当て字を散らしています。日常会話レベルではそれほど出てこなくても、小説などの上級編になるとこの当て字との戦いも待っている・・・と。

2.必須語彙数が多すぎ
 英語は、他のヨーロッパの言語とくらべて文法は非常にシンプルにできています。19世紀に英語(イギリス)vs仏語(フランス)の国際共通語の座をめぐるバトルが行われていましたが、英語が8対2くらいで勝利した理由の一つに、文法のシンプルさもあるのではないかという自説を持っています。
 あれでシンプルなの!?という声が画面の奥から聞こえてきそうですが、フランス語やスペイン語、ましてやドイツ語に比べれば、英語文法なんざチョーをつけていいほど楽勝です。本当かどうかは、覚えるより感じろ、「英語以外の欧州の言語」を実際に勉強して確かめて下さい。
 しかし、英語は難しいなーと感じるところは、"sweat"と"perspiration"(意味:汗)のように、同じ意味の語彙(単語)が数多くあること
 日常会話に必要な語彙数は、フランス語でだいたい900~1200程度だそうで、言語学者の千野栄一氏によると、欧州の言語は「英語を除くと」1000語覚えておけば日常生活に事足りるとのこと。
 これに対して英語における必須語彙数は、ざっくりで2,600~2,700語だそう。これって、TOEIC700点取得に必要とされる単語数に匹敵します。
 これが日本語となるとどうなるのか。研究者にもよりますが、だいたい8,000~10,000語くらいだろうと言われています。新聞を完全に理解する読解力になると、だいたいこの倍くらい。
 さらに文学のような上級編となると、慣用句や古語、そして俳句の季語など、いくつなのかどうでも良くなる次元に。俳句の季語だけでも、初心者向けポケット歳時記で約2,000語(副題含む)ありますからね。
 もっとさらに、言葉遊びや漢字の組み合わせなどで、どんどん語彙が無限増殖されていく始末。これでは日本人でさえノイローゼです。
「言語は生き物である」という言葉があります。言語も時代の流れの中でどんどん変化しているのですが、日本語はその新陳代謝が非常に早いのも特徴です。言葉遊びが好きな民族性なので、今でもネット上で新しい言葉がどんどん「開発」され、衰える気配がありません。

3.主語が略されて記述があいまい
 日本語の大きな特徴の一つに、主語をあいまいにしたり、省略したりすることがあるという点があります。『源氏物語』や三島由紀夫などの文学者を海外に紹介し、海外では「日本文学の権威とくればこの人」というドナルド・キーン氏が、日本語→英語の翻訳でいちばん難しいところにこれを挙げていました
 対して英語は、「主語+動詞+目的語」の形が絶対で、古くから伝わる慣用句を除いてこの語順が変わるということは、まず有りえません。当然、主語が省略されることなどもあり得ない。
 英語に限らず、ヨーロッパの言語は基本的に主語は略しません、いや、略せません
 スペイン語やイタリア語、ロシア語などは主語が省略されてるじゃねーかという反論も出てくるかと思いますが、あれは動詞の活用・変化で主語が誰かわかっているからこそ省略できるという条件がついています。英語はその特性を失っているからこそ、主語が絶対に、ぜぇ~~ったいに必要なのです。
 日本語の主語省略は、そんな制約なしに自由自在。主語が誰かは文の流れで解釈しろという、文面での空気嫁です。
 それが外国人には、そんな無茶苦茶な!と思えるのです。
 こんな会話があります。

彼氏「明日どこへ行きたい?」
彼女「東京ディズニーランドに行きたいな~」
彼氏「ごめん、給料日前でお金ないや・・・」
彼女「もう、バカ!」

 何気ない会話ですが、これ、全部主語が抜けています。
 我々は習慣で主語がわかりますが、その訓練を積んでいない外国人にはさっぱりわけわかめです。
 その証拠に、これを英語に訳すときにまずスタートさせる第一歩は、主語を確定させることです。何度も言いますが、欧米の言語には主語が絶対に必要なのです。
 その証拠に、上の会話をを英語に訳してみます。自分の頭の中で作成した手作り翻訳なので、英語間違ってるよということがあればご勘弁を。

彼氏:Where do you want to go tomorrow ?
彼女:I would like to go to Tokyo Disneyland...
彼氏:Oh my God ! I don't have money because it's before my payday.
彼女:Oh, that's silly !

 下線を引いた単語が主語(or主語に相当するもの)ですが、全部何かしらの主語がついているでしょ?主語がない日本語とは真逆です。
 名の知れた文学者の小説になると、もっと高度なテクニックで主語をボカします。
 これを知った時の本には、谷崎潤一郎の『細雪』が文例として載っていましたが、日本人でも誰が主語なのかわかりません。
 実際に『細雪』を英語に翻訳したキーン氏は、ぼかし方が上手いなーと感心しつつ、冷や汗をかきながら作業をしたとか。
 我々が日常から使っているもので、究極に略されている言葉があります。
 それが「よろしくお願いします」。
 これをいきなり英語で訳せと言われても、まず不可能です。
 最低でも「誰が」「何を」「どのように」お願いするのかを明確にしないと、翻訳(通訳)しようがありません。
 モンゴル力士の騒動で相撲界が揉めていましたが、その第一期生である元旭天鵬(現友綱親方)と元旭鷲山が、引退が決定した当時の部屋頭だった元旭道山に呼び出され、
「あとは頼んだぞ」
 と一言だけ言われたそうです。
「何を頼まれたのか、さっぱりわからなかった」
 と友綱親方は笑いながら当時を振り返っていました。その後自分が部屋頭になり、旭道山の言葉の意味を理解したのですが、それまで6~7年かかったそうです。
 「よろしくお願いします」は普段何気に使っていますが、コンパクトにまとめることが好きな日本人らしい、究極にミニマリズムな言葉と同時に、究極に空気読めなフレーズでもあります。

4.オノマトペが多い
 「オノマトペ」とは、擬音語と擬態語(擬声語)のことを言い、元々はフランス語の"onomatopee"から来ています。
 日本語のオノマトペの数は、確か日常会話で使われる表現だけでも600以上。学術的には5,000語以上だそうです。
 さらに、第二位の中国語(300ちょっと)のダブルスコアとぶっちぎり。ちなみに英語でだいたい170前後。確かに中国語も意外なほどオノマトペ表現が豊富ですが、それでも日本語の半分です。
 それだけ表現が豊富ということですが、数あるオノマトペの中でも日本語究極の奥義と言えるものは、

「シ~~ン」

 です。このオノマトペ、我々には意味がわかりますよね。
 音がないのを表現する擬音語・・・これだけで外国人は確実にテンパります。神様私はもう日本語が理解できませんと、跪いて祈り始めます
 パックンでお馴染みのパトリック・ハーラン氏が、今までいちばんビビった日本語がこれだだそうで、
「音がないのに音がある!?それこそWhy Japanese language!?ですよ」
 と、ハーバード大学の頭脳をもってしても完全にお手上げだそうです。当然、英語にはそんな言葉が存在しないので翻訳は不可能。
 マンガでも敢えて訳さず(ってか訳せない)、「シ~ン」のままだそうです。

5.方言が多い
 日本語には各地に方言が数多く残っています。しかも、最近は方言ブームか回帰の流れに傾いています。
 しかし、明治時代からつい最近まで、方言は「排除されるべきもの」として標準語に置き換えられる歴史を歩んできました。
 特に東北と沖縄方言は集中的に「弾圧」され、沖縄では学校で方言を話すと、
「私は方言をしゃべりました」
 という立て札を、学校にいる間首からぶら下げないといけなかったそうな。
 こういう話は、戦後の台湾でも聞いたことがあります。
 蒋介石が生きていた国民党時代の学校では、台湾語を話すと
「私は台湾語を話した悪い子です」
 と書かれたプラカードを首からぶら下げ、かつ罰金でした。
 台湾に住んでいた20年前、根っからの台湾人(外省人じゃないってこと)だった老師に、こんな話を日本で聞いたことあるんけど、本当?と聞いたら、
「うん、本当よ」
 と本人経験の具体例まで聞いたので、本当でしょう。
 しかし、同じことが沖縄でもあったことには、私もビックリでした。
 方言も形がない独自文化の一つ。形がないだけに、保存し大切にしないと後々、しまったとほぞを噛むことになります。
 それはさておき、よくある外国語の質問に、こういうものがあります。
「外国(語)にも方言ってあるの?」
 答えは、当然あります。
 中国語も、東京に当てはめれば中野区と杉並区で言葉が全く通じないほど方言差が激しく、アメリカやカナダ英語もイギリス目線なら「英語の北米方言」です。
 しかし、標準語とされているものと方言の「差」は、国・地域によってピンからキリまであります。ロシアのように、あれだけ国土がデカいのに方言差がほとんどない国もありますし。
 日本の方言のバラエティの豊かさに関しては、世界レベルで見ても相当豊かな方だと私は思っています。
「まるで外国語」の沖縄方言も、元をたどってみると上代日本語(奈良時代以前の日本語)の生き残り、言語学的にはウチナーグチ(沖縄弁)の方がむしろ「元祖日本語」だったりするし、以前記事にした「アホバカ分布図」のように、たかがアホバカの表現だけでもこれだけあるのかと、当の我々がビックリすることもありますね。
 それが逆に、外国人をして難しいと思わせる要因かなとも思います。
 たとえば、日本語が話せる外国人が、日本語で話かけてきたとしましょう。
 外国人慣れしている人ならば、相手の日本語の能力に合わせて標準語にしたり、簡単な言葉になおしたりと調節できます。何が好きで標準語を話さなあかんねん、という大阪ナショナリストの私も、外国人にはまず標準語で話します。そこから相手の日本語力を分析していくうち、
「こいつは大阪弁でええな」
 と判断すると、大阪弁丸出しにチェンジという具合です。
 しかし、慣れていないとついつい方言丸出しに話してしまい、リスニング力がついていない外国人は、
「ニホンゴハムズカシイデスネ」
 と当惑してしまうかもしれません。
 しかも、日本語の方言は標準語とは近そうで遠い、いや遠そうで近いというビミョーな立ち位置が、余計「ムズカシイ」とされてしまう原因かもしれません。
 方言どうしが外国語くらい離れている中国語の方言*2なら、「別言語」として別の脳で処理できますし。
 ちなみに、国立大阪大学の留学生日本語クラスには、選択科目で「関西弁講座」があり、漫才のリスニングもあるなどかなり本格的だそうです。

国が変われば状況も変わる
 ただし、以上のことはあくまでアメリカなど「英語をネイティブとした人たち」からの目線です。ヨーロッパの言語ネイティブ目線と言い換えてもいいでしょう。
 しかし、所変われば目線も変わる。
 我々が欧米の言語を勉強しようとしても、様々な壁にぶつかります。
 英語「以外」の欧州の言語を勉強すると、必ずぶつかる関門があります。それが名詞の「性」。名詞に「男性」と「女性」があるのですが、「太陽」は男性、でも「月」は女性。
 さらに、欧州の言語の古い体型を残しているドイツ語やロシア語(他スラブ系言語)になると、プラス「中性名詞」がある。オカマ名詞かい!と出会った当初は思ったものです。
 この名詞の「性」、ヨーロッパから遠く離れた「ナマステ」でお馴染みのインドのヒンディー語にもあるのですが*3、英語にはありません。いや、かつてはありました。15世紀にはなくなっちゃったのですが、何故なくなったのか、英語の歴史上最大級の謎です。
 名詞になんで男性、女性があるねんと、こちらはキレてしまいそうですが、欧米人目線から見ると、なんで日本語には名詞の「性」がないねんとキレてしまいます。
 欧米人が頭を抱える漢字も、中国人や台湾人など、中華圏の人にとっては楽勝の域です。
逆に中国語の学習でも、留学生の授業科目には当然の如く「漢字の書き取り」があるのですが、この科目は世界で唯一、日本人だけ完全免除だったりします。
 私も一度、

「あんた(ら日本人)は出なくていい!」

という老師の制止を振り切って(?)、怖いもの見たさに出てみたことがあります。が、我々が小学校でやった漢字ドリルのような授業に、なんだつまんないと退席してしまいました。だから言わんこっちゃない、と後で老師に笑われましたが。
 さらに、現代中国語の語彙の多くは日本語の熟語を輸入(カンニングですが、言語って盗った盗られたではない)したものが非常に多いので共通のものも多い。
 なので、中国や台湾の政府が同じ言語カテゴリーを作れば、日本語の難易度は低くなるはず。
 日本人にとって、いちばん習得が楽な言語が何かと聞かれれば、まちがいなく韓国語でしょう。
 まずは基本文法が同じなので、文法の勉強に費やすエネルギーが最小限で済む。
 次に、あの○とか□とか△・・・あ、三角はないか、が並んでいるハングルも、コツさえわかれば1日で覚えられます。
 韓国の事情は興味が無いのでわかりませんが、中国に住んでいる朝鮮族は、学校での外国語は英語の他に日本語も選択できるそうな*4。
 中国で仕事していた時の朝鮮族の部下いわく、9割は日本語取るんじゃないですかね~と言っており、
「現地の朝鮮族は、みんなけっこう日本語わかりますよ」
 とニヤリと笑っていました。
 おそらく韓国人も事情は似たようなもの。韓国外務省的目線なら、日本語はかなり簡単な部類に入ることでしょう。

「日本語は難しい」と言っても、目線を変えればまた難易度も違ってくる。
「外国語を一つ学ぶということは、違う目線で見るもう一つの目を養うことだ」

 とは誰が言ったのかわかりませんが、外国語学習者の間で長く言い伝えられている言葉です*5。この目線の切り替えスイッチを新設、または増設するのも、また外国語の勉強の一つ、いや外国語学習のゴールなのです。

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「そしてバスは暴走した」

2018年01月17日 08時49分13秒 | 日本人論
NHKスペシャル「そしてバスは暴走した」
2016年4月30日:NHK

 あの痛ましい事故から2年が経ちました。
 “忘れない”目的で録画してあった番組を再視聴しました。

 その後、バス業界の労働環境は改善したのでしょうか?
 規制緩和による素人業者の参入はどうなっているのでしょうか?
 検証番組を見てみたいですね。

<内容>
 13人の大学生の命を奪った、1月のスキーバス事故。遺族のひとりは、「事故は日本が抱えるひずみによって発生したように思えてなりません」と語った。これまでも、大阪や群馬で、乗客や乗員が死亡する事故が起き、その度に規制が強化されてきたはずだった。それにもかかわらず、事故はまた起きてしまった。NHKは今回、貸し切りバスの現場にカメラを入れ、業界の今をつぶさに記録した。そこから見えてきたのは、運転手不足から、高齢のドライバーが過酷な勤務を担っている現実、そして、利益優先で安全対策を怠る会社が跋扈する実態・・・。なぜ、こうした事態に至ったのか。業界の姿と私たちの社会のあり方を見つめる。



★ 放送を終えて(報道局ディレクター 多田篤司)
 学生時代はもとより、社会人になっても頻繁にバスを使っていた私にとって、1月に長野県軽井沢町で起きたスキーバスの事故は痛ましく、衝撃でもあり、「また大きなバス事故が起きてしまった」という思いを強く持ちました。4年前に関越自動車道の壁にバスが衝突した事故の印象が強く心に残っていたからです。なぜ、こうもバスの重大事故が繰り返されるのか、その背景に何があるのか。この3か月間、記者と共に、バス会社やドライバー、行政など関係者に取材を重ね、放送に至りました。
 取材を通して実感したのは、業界に蔓延する安全軽視の体質です。事故を起こしたバス会社は、「運行管理者」の資格を持つ人物が、ずさんな運営を繰り返していました。異業種から参入した経営陣は、運行管理者に任せきりで、その状態を是正しませんでした。深刻なのは、こうしたバス会社が少なくないことです。取材に応じた中小のバス会社は、法令を遵守した運行ができるのは体制的にも設備的にも一部の企業だけ、と現実を語りました。
 法令違反の有無をチェックするのは国の監査ですが、それを担う人員が不足しています。外国人観光客が急増し、バスの需要が高まる中、事業の許可取り消しやバスの使用停止などの処分をどこまで強化できるのか、懸念を示す関係者もいました。問題点の多くは、過去の事故でも指摘されていたのですが、業界の体質は根本的に改善されることはなく、その中で今回の事故は起きたのだと思います。
 事故から間もない中で、複数のご遺族と怪我をされた方々が撮影に応じて下さいました。「事故を繰り返してほしくない」という思いからでした。この思いをバス業界、そして社会がどう受け止め、対策を打っていけるのか。やらなければいけないことは山積しています。


 より詳しい番組内容をみつけました(下線は私が引きました)。
 数々の事故の要因が明るみに出てきて、よくもまあこれだけリスクを抱えられたものだと思いました。
 そしてバス業界のルールを熟知していたはずの“運行管理者”が確信犯として無謀な経営をしていたことが明らかに・・・彼は“犯罪者”ですね。
 しかし、乗客を殺した前科2犯のこの男は逮捕も謙虚もされることなく、他のバス会社からオファーがかかっていると番組の最後の方で紹介されました。
 まだ犠牲者が出る状況が野放しです。
 日本ってこんな国でしたっけ?

<番組概要>gooテレビ番組
 この春、早稲田大学を卒業する予定だった女性。就職も決まり、社会に出て活躍する日を楽しみにしていた。女性は3カ月前、長野・軽井沢で起きた事故に巻き込まれた。事故を起こしたバス会社は2年前に新規参入したばかり。事業を急拡大させる中で、安全を軽視していた実態があった。事故を起こしたバスは底に穴が開き、メーカーに注意されていたほか、ドライバーは適性検査で事後を起こしやすいともされていた。未来ある13名が巻き込まれたバスの暴走までの軌跡を追った。
 全国にある貸切バスは約4万9000台。利用者は増え続け、年間3億人を超えている。旅行会社では外国人観光客が殺到しているため、バスを確保するのが難しい状況が続いている。国は環境立国を掲げ、日本を訪れる外国人の数を2020年に年間4000万人までに増やそうとしている。バス業界が大きく変わるきっかけは規制緩和だった。バス会社の数はそれまでの倍ちかい4477社まで急増した。競争が激しくなり、格安ツアーも次々と生まれた。一方、各地で多くの人が死傷する重大な事故が繰り返され、その度に運転手の労働環境の改善や安値競争に歯止めをかける対策が強化されてきたはずだった。
 今年1月、原宿を深夜に出発し、長野・斑尾高原に向かうスキーツアーに乗っていたのは若者ばかり、39人だった。バスは高速道路を降り、一般道の峠道に入った。峠を超えた下り坂でバスが暴走し、道路脇の林に突っ込んだ。事故で命を取り留めた人たちも、目の前で友人を亡くし、心と身体に深い傷を追っている。
 事故を起こした「イーエスピー」を取材。貸切バス業の許可を取り消され、社長は今は事業の整理にあたっていた。社長は「改めて本当に謝罪の気持ちと、申し訳ないなという気持ちでいっぱいになります」と語った。もともとは畑違いの中古車販売の会社からスタートした。バブル景気の波に乗り、中古車の売り上げは一時は100億円近くに達した。しかしその後の景気の低迷で業績が悪化。多額の負債を抱えた。2年前に新たな収益の柱として、活況に湧いていたバス事業に目をつけた。社長は「東京オリンピックまでは右肩上がりで行くんじゃないのかと思っていた」「需要は換気されるだろうと」と語った。事業を始めるのは簡単だったという。国の規制緩和で参入のハードルは大幅に下がっていた。かつては年式が5年以内の新しいバス、7台の保有が参入の要件だったが、現在は古いバスでも3台あれば事業が始められる。16年前の規制緩和以来、バス会社はそれまでの2倍近い4500社に増えた。9割以上が中小のバス会社で、イーエスピーのように異業種からの参入も少なくない。新規参入したイーエスピーは、仕事獲得のため国のルールを無視した安い運賃で運転を請け負っていった。国は旅行会社がバス会社に払う運賃の下限を定めている。安全のために不可欠としてかつての事故を教訓にしたルールだが、イーエスピーはこの下限額を大幅に下回る安値で仕事を請け負っていた。事故が起きたスキーツアーは業界最安値をうたっていた
 会社の幹部は下限額のルールがあることすら知らなかったことが、今回の取材で明らかになった。営業部長は「大変お恥ずかしい話、私なんかは下限額があることさえ知らなかった」と語った。旅行会社との間で運賃を決めていた運行管理者の資格を持っていた人物だが、この人物はかつて別のバス会社でも運行管理者をつとめ、40人以上が重軽傷を負った事故を引き起こしていた。事故後に社内で行われた運行管理者に対する聞き取り調査では、運行管理者は契約書も交わさないずさんな取引を行なっていたことを認めた。ルールを無視した運営を続けながら仕事を獲得していた。バスはわずか2年で3台から12台まで増えた。営業部長は「正しい仕事の流れは、ドライバーをまず雇う、教える、走れるようになったら仕事を取りに行く、仕事が取れたらバスを買う」「なのにうちは先に仕事を取っちゃう。それでバスを用意する。ドライバーは慌てて用意する。その流れがそもそもおかしい」と語った
 事故を起こしたバスは、イーエスピーが次々と購入していた中古バスのうちの1台だった。点検の際、その車両の底にはサビが広がり、至る所に穴が開いていることが見つかった。腐食が進むとハンドルが効かなくなるおそれがあるとして、メーカーは当時の所有会社に使用は危険だと警告していた。イーエスピーはこの車両を相場価格の1400万円で購入した。バスの元所有者は「サビの広がりは聞いていたが危険だとは認識していなかった」としている。
 3カ月前、39人の若者たちを乗せ暴走したバスのハンドルを握っていたのは事故で死亡した高齢のドライバー。ドライバー適性検査では、注意力や動作の正確さが極端に低いという結果だった。都内のアパートで一人暮らしをしていたドライバーは、ここ数年、周囲に金を借りるなど、苦しい生活を送っていたという。かつては、和菓子を製造する会社に務め、妻子もいたが、離婚後借金を抱えていた。大型二種免許保有者の半数近くが65際以上。定年後、別のバス会社に非正規の運転手として雇われ、賃金は日払いで少ない時には月6万円程だった。当時、ドライバーは大型バスを避け、運転のしやすい比較的小さいバスにしか乗っていなかった。去年の末、家賃を支払えないほど追いつめられていたドライバーはかつての同僚に「いい仕事はないか」と尋ねていた。去年生活に困窮していたドライバーがたどり着いたのが、運転手を募集していたイーエスピーだった。大型バスの運転を嫌がっていたはずだが、面接では運転できると話したという。賃金は日払いで1万円程だった。採用を決めたのは運行管理社だった。
 事故原因の捜査は続いている。ドライバーの遺品に残されたのは、スキーツアーの仕事で得た1万678円だった。遺骨は引き取り手のないまま、都内の寺の無縁供養塔に納められている。ずさんな安全管理の末に暴走したバスで命を奪われた13人。19~22歳の、それぞれに夢を持った若者たちだった。犠牲者を悼む家族は、バスは安全だと信じていた。「本当にもう二度とこのような事故が起こらないように対策を考えていって欲しい」と述べた。
 今回の事故を受け、国は新たに有識者会議を設け、新たな規制を検討している。会議ではチェック体制を強化し、悪質な業者を排除すべきだという意見があがった。繰り返される事故の後も、現場は何も変わっていない。ドライバーからは懸念の声があがっている。安全が軽視されている実態を伝えたいと解雇覚悟で取材に応じたドライバーがいた。去年、運転手の健康管理や労働時間の違反で警告を受けた。取材中に会社から連絡が入った。15日間連続で働いて欲しいという内容だった。ドライバーは亡くなった兄の葬儀に参列するため、休暇を求めたが認められなかった。先月ドライバーは会社に退職を申し入れた。しかし人出が足りないから辞めないで欲しいと頼まれ、やむなく仕事を続けている。
 事故の犠牲者の父の元に、事故後、警察から遺品が届けられた。遺族たちは、国やバス業界に声を上げていこうと決意している。
 事故後、バス事業許可を取り消されたイーエスピー。所有していたバスは全て売却した。事故を2度起こした運行管理者は現場を去ったが、既に別の運行会社から誘いを受けているという。事故は命の重みを顧みずにきた、社会の姿を映し出している。
 事故から3カ月。今度こそ暴走を止められるのでしょうか、と投げかけた。

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柳田国男の氏神論「日本の神の中心は先祖である」

2018年01月11日 08時18分35秒 | 神社・神道
氏神さまと鎮守さま〜神社の民俗史〜」(新谷尚紀著、講談社選書、2017年発行)第四章より。

 著者は柳田国男の『先祖の話』という書物から氏神論を抽出しています。
 氏神とは先祖の霊の融合した霊体であり、それは同時に稲作を守る田の神であり、家と子孫の繁栄を願う神である、とする考え方が日本各地の民俗伝承から帰納できる、とのこと。

『先祖の話』の氏神論のポイント
①あの世とこの世とは近い、死者と生者との境は近い、と考えられてきた。
②遺骸を保存する慣行は民間には行われず、肉体の消滅を自然のものと受け入れて、霊魂の去来を自由にすることをよしとする考え方が伝えられてきた。
③死者の霊魂は、その祀り手が必要だ、と考えられてきた。
④その祀りを受けて死者は個性を失い、やがて先祖という霊体に融合していく、と考えられてきた。
⑤その先祖の霊は、子孫の繁栄を願う霊体であり、子孫を守る霊体である、と考えられてきた。
⑥その子孫の繁栄を願う霊体は、盆と正月に子孫の家に招かれて、その家と子孫の繁栄を守る神でもある、と考えられてきた。
⑦子孫の繁栄を守るその先祖の霊こそが、稲作の守り神であり、季節の巡りの中で、大和多を去来する田の神であり山の神でもある、と考えられてきた。
⑧その先祖の霊であり、田の神でもある神こそ、村の繁栄を守る氏神として敬われている神でもある、と考えられてきた。
⑨老人には無理だが、子どもや若い死者の霊魂は生まれ変わることができる、と考えられてきた。
⑩この度の戦争で死んだ若者達のためにも、その祀りが是非とも必要である。
⑪この度の戦時下から戦後への混乱の時代こそ、未来のことを考えるためには、古くからの慣習をよく知ることが肝要である。国民を、それぞれ賢明にならしむる道は、学問より他にない。

日本の神の中心は先祖である
 柳田が日本各地の民俗伝承の比較研究の視点によって導き出した日本の神の中心は、先祖であり、先祖の御魂(みたま)であった。
 ただし、死者はその死後ただちに先祖様になるのではない。死者は死の穢れに満ちた「荒忌」の「荒御魂」(あらみたま)であり、それが子孫の供養と祀りを受けて死の汚れが清まってから、先祖の列に加わっていく。その大きな隔絶の線は、およそ三十三年忌の弔い上げと考えていた。
 個々の祖霊が個性を捨てて先祖として融合したものこそが、日本の各地の郷土の信仰の中心であるところの氏神に他ならない。

「村氏神」←「屋敷氏神」←「一門氏神」
 氏神は上記3つに分けられる。氏神とは、元来は藤原氏と春日社のように、氏ごとに一つあるべき神であったのが、古代から中世、近世へという長い歴史の展開の中で大きなまた多様な変化があり、その結果として、現在では3つのタイプが見られるようになった。
(村氏神)・・・「或一定の地域内に住む者は全部、氏子としてその祭に奉仕している氏神社」
(屋敷氏神)・・・「屋敷即ち農民の住宅地の一隅に、斎き祀られている祠で、(中略)こういう屋敷付属の小さな祠だけを氏神と謂っている地方は存外に広い。千葉茨城栃木の諸県、東北はほぼ一体に層だと言ってよい。大体に国の端々、中央から遠ざかった治法にもこの例が多いかと思われるのは、偶然の現象ではなかろう」
(一門氏神)・・・「特定の家に属する者ばかりが、合同して年々の祭祀を営むという、マキの氏神または一門氏神というものが、今も地方によっては残っている。
 分布の上からも「屋敷氏神」は「村氏神」の形態よりも古い氏神の形態と考えられ、さらに「一門氏神」の形態こそが、もっとも古い氏神の形態を伝承している。


 本書には、続いて折口信夫の神道論の項目があります。
 しかしどうも私は昔から折口氏の説を読んでもピンときません。柳田の学説は、(ときにユニークな発想もありますが)豊富なフィールドワークのデータから帰納的に導き出したものと頷けます。
 一方、折口氏の学説は彼の創造物あるいはファンタジーの要素が大きいような気がしてちょっとついて行けないのです。
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