知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

図解雑学「神道」

2010年06月27日 17時11分07秒 | 神社・神道
井上順孝編著、ナツメ社(2006年発行)

神社~神道について、自分の知識があまりにも貧しいと感じ、総説啓蒙本を探して読んでみました。
著者の肩書きは「國學院大學神道文化学部教授」というもの。
この「図解雑学」はそこそこ詳しく、かつわかりやすくて評判のシリーズです。

確かに「広く浅く」知識を得るには格好の内容でした。バランスが取れていて「可もなく不可もなく」。
売れ線狙いではないので、おもしろおかしい表現はありません。教科書を読んでいるような印象もあり、興味がない方は読破できないかもしれませんね。

読んでみてわかったことは、神道とは日本人の中にぼんやりある自然崇拝ということ。
自然の力を畏怖し、敬い、祭り立てること。
例えるなら、宮崎駿さんの「もののけ姫」の山の中で感じる雰囲気(霊気?)が近いでしょうか。

神社をお参りするとき、皆さんがイメージする「神様」ってどんな姿?
その時に日本神話の天照大神(アマテラスオオミカミ)は浮かびませんよね。

歴史の中で儒教や仏教など外来宗教の影響を受け、時に政治に利用され、でも個々の日本人の中に生き続けているモノ。
いろいろ書いてありましたが、こんなところでよいのではないかな。
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「神社の見方」

2010年06月22日 06時12分39秒 | 神社・神道
「歴史がわかる、腑に落ちる『神社の見方』」
小学館、ポケットサライシリーズ(2002年発行)

さて、この本は神社の解説本です。
読みたいな、と思う人は少ないかもしれません(苦笑)。

私にとって、神社とは・・・
・幼小児期の遊び場:草野球をやったり、蝉捕りをしたり、秘密基地を造ったり。
・変わらない場所:昔済んでいたアパートは取り壊され、田んぼも皆住宅となり、周辺の風景は激変・・・しかし神社とだけは姿を変えることなくそこに鎮座。

というわけで、「信仰の場」と云うより「思い出の場所」という言葉の方が近いですね。

この本を読もうと思ったきっかけは「鎮守の森」です。

巨樹・巨木に惹かれる私は、ことある毎に探して訪問し、眺めて浸り、写真を撮る趣味があります。
(アルバムはこちら→ http://picasaweb.google.co.jp/home?tab=mq )
そしてその多くが神社にあることに気づきました。
参道手前に「御神木」として鎮座することも多い。

苔生す鎮守の森の奥には神社の本体があります。
よく見ると建物が前後にくっついていて、後ろのそれはやや小さい。
なんか、不思議。
神様って、どこにいるんだろう。

それから、神社の屋根にも惹かれました。
近隣の小さな神社ではトタンですけど、先日訪れた京都の賀茂神社は「檜皮葺」といってヒノキの皮を幾層にも重ねて屋根にしています。
それを目にしたとき、得も言われぬ郷愁感が沸いてきました。
幼小児期の思い出より、それ以前から自分の体の奥底に眠っている日本人DNAが反応したかのよう。

一方、寺院の屋根は瓦が基本。
巨大な伽藍建築は寺院の権力の象徴のようで、私の心に訴えてきません。
私は寺院より、神社が好きなんだ・・・と自覚した次第です。

前置き長くなりましたが、こんなワケで、「じゃあ、神社って何?」と素朴な疑問が生まれ、詳しく知りたくなったのです。

この本は、そんな私の疑問に答えてくれるかのように準備された、必要十分なポケット本。
フムフムと読み進めると1日で読み終わります。
難しすぎないところがよいですね。
基礎知識を得てから見る神社の風景はひと味違ってきました。
感謝!

<メモ>
おや?そうなの?と感じた箇所をメモしておきます;

■ 祭られる神様の多様性:
 キリスト教やイスラム教のように「一人の神様」に限定されず、いろんな神様がいます。神話(『古事記』『日本書紀』)に登場する天照大神を中心とする神々、怨霊信仰から発した菅原道真公、土地の守護神(産土神、氏神)、自然神(山の神、海の神)、仕事に関する神(田の神、大工の神)等々。
・・・この多様性は、日本人の宗教的おおらかさに通じるモノがありそうです。

■ 神社の始まり:
 古代には常設の建物はなく、祭事の際に臨時の建物を造り、そこの依り代(石や樹木)に神様が降りてくるパターンでしたが、次第に常設化して社殿が発達してきたようです。奈良の春日大社も初期60年ほどは社殿がなかったと伝えられています。

■ 神仏習合:
 6世紀の仏教伝来後ほどなく、神道と仏教はミックスされました。戦って排除するのではなく。なので、今でも神社とお寺が同じ境内にあることが珍しく無いのですね。はっきり分けられるようになったのは明治時代の「神仏分離」政策からと、歴史は浅いのです。

■ 各地に有名神社と同じ名前の小さな神社があるのは、「分祀社」あるいは「勧請社」と呼ばれるもので、仏教に習って著名神社の神を分霊して新たに造ったもの。

■ 出雲大社が最初に完成したのは西暦987年。地上48m(!)の櫓の上にあったらしい。その後数十年ごとに自然に崩壊し、1228年に今と同じ大きさまで小型化して落ち着いた。

■ 鳥居の起源は諸説あり、実はよくわかっていない。形はよくみると微妙に違い、実に様々。大きく次の2系統に分類される:
・神明鳥居系・・・和洋建築で、基本的には笠木(一番上の横柱)が直線的で額束(がくづか:神社名を記した真ん中にある札)がない
・明神鳥居系・・・柱の傾斜(転び)や頂部の反り返りんど、曲線を配している。
しかし、祭神と鳥居の形は必ずしも関係なく、近世に造られたものは寄進者や職人の好みによるところも大きいとか。

■ 狛犬(こまいぬ)
 邪を除け、神前守護の意味を持つ。平安時代に社殿に置かれるようになり、参道にも置かれるようになったのは江戸時代と比較的新しい習慣。
 狛犬の起源はエジプトやインドの「獅子(ライオン)」。中国から朝鮮半島を介して伝わる過程で「獅子と狛犬」一対となったらしい。当初は社殿から見て左側に獅子、右側に狛犬を配したが、現在ではその差が無くなっている。参道に置かれる狛犬は一方が口を開け、一方が口を閉じる「阿吽」の形式が一般的である。
※ 狛犬の生物学的考察・・・獅子はライオンだからネコ科、狛犬はイヌ科なのでカップルにはなれない。両方を獅子と考えても、メスにたてがみがあるのはおかしい(?)。

■ 眷属(けんぞく):神の使い
 代表的なのは稲荷神社のキツネ。狛犬と混同しがちであるが、狛犬は魔除けの霊獣であり、眷属は神の使いなので役割は異なる。他に有名なのは、熊野神社のカラス、日枝神社のサル、八幡宮のハト、春日大社のシカ、天満宮のウシ、松尾大社のカメ、愛宕神社のイノシシ、三峯神社のオオカミなど。
・・・なんだか、ゆるキャラのマスコットにされそうですね。

■ 灯籠(とうろう)
 参道にはあたりまえのようにある灯籠、しかしその原型は仏教由来であり、古代インドの僧房で読書の照明に使われていたもの。日本でも当初は自院で用いられていたが、神仏習合によって神社にも置かれるようになった。

■ 御神木(ごしんぼく)
 境内の樹木の中でも、ひときわ目につく巨木・古木であり、しめ縄が巻かれているか、柵で囲われている。御神木は神の降臨にあたっての標識であり、神の依り代でもある。スギ、マツ、クスノキなどの常緑樹が多く見られるが、イチョウなども少なくない。

■ 摂社(せっしゃ)と末社(まっしゃ)
 神社の境内には小さな社をいくつか見かけることがある。
 摂社は本社の祭神と縁戚関係の神を祭っている場合に使われる。本社祭神の后や御子などだ。神の縁戚関係は「古事記」「日本書紀」に記載がある。
 末社は本社の祭神と縁戚関係はないが、崇敬者が勧請と云って他の神社から境内に招いた神を祭る社を云う。


 一つ残念なのは、鳥居や拝殿・本殿の建築様式の分類についてはしっかり書いてありますが、なぜそうなったのか、どんな意味があるのかの記載がないので今ひとつ興味が沸きませんでした。
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「日本の神様」

2010年06月13日 20時04分54秒 | 神社・神道
畑中章宏著、理論社(2009年発行)

 これまた、わかりやすい題名の本です。
 内容は「神像を見よう」をテーマに大阪弁の親子が掛け合い漫才のように全国各地を訪問し、それにちょっと解説が加わるという構成で、一気に読めてしまいます。

 「仏像」なら馴染みがありますが、「神像」って云われてもイメージが沸きませんよね。
 でも、探せばあるものです。

 しかし、その形は実に様々。
 武将の形、衣冠束帯の形、僧侶に似た形、動物の形・・・はっきり言って節操がない。
 
 それもそのはず、もともと日本の神様に形はありません。
 「八百万の神」と云うが如く、自然が神様なのですから。
 宮崎アニメの「もののけ姫」に出てきた「だいだらぼっち」のように、形はとらえどころがないけど、とにかく大きくて恐いもの、というイメージの方が近いと思います。

 それが仏教伝来と共に、仏様は形があるのに神様には形がないのは何かヘン・・・いっそのこと造ってしまおう、となったかどうかはわかりませんが、その頃から神像も造られるようになりました。
 大きさは仏像より小振りで、30~50cm程度のものが多く、大きくても1~2m止まり。
 素材は「木」。
 なぜって、神様は自然の樹木に宿るという信仰があるから。

 仏像には決まり事があります。
 例えば、弥勒菩薩は未来について考え込んでいるので、思慮深い表情をしているとのこと。
 他の仏像にも一定のルールがあるそうです。

 でも神像には決まり事がありません。
 なので、形は何でもあり。
 というより、神様がその像の形を借りた、あるいは宿ったと考える方が自然かな。

 日本の神様は心が広く、仏教が伝来したとき敵対・排除することなく、それを取り入れてしまいました(神仏習合)。
 「権現様」という言葉がありますが、これは「仏様が神様の姿を借りて現れたもの」。
 わかったようなわからないような・・・そういえば、私が幼少期に住んでいた土地の神社の隣(同じ敷地内)にお寺もあったなあ。
 神様と仏様を無理矢理分けるようになったのは明治時代の「神仏分離」政策であり、けっこう最近なのですね。

 稲荷信仰=キツネ、というイメージがありますが、キツネは神様の使者であり、神そのものではありません。稲荷神の本名(?)は仏教系では茶枳尼天(ダキニテン)と云うそうです。
 同じようなパターンに、春日大社とシカ(奈良公園に無意味ににいるわけではありません!)、熊野三山の八咫烏(ヤタガラス)などがあります。

 ヤタガラスは先日始まったワールドカップ・サッカー、日本代表のシンボルマークになってますね。
 いや、ほんの豆知識です(笑)。
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~京都逍遥~

2010年05月10日 06時16分34秒 | 神社・神道
 京都へ行ってきました。数えてみると17年振りになります。
 今回のルートは青蓮院~京都御所~上賀茂神社~大田神社(カキツバタ)~下賀茂神社~糺の森~河合神社~大徳寺(高桐院、大仙院)。どちらかというとマイナーな場所ばかり。
 目的は京都市にある巨樹・巨木探索。約30年前の調査報告書を入手し、それを元に巨樹の分布を確認、計画したのが上記ルートです。
 題して「巨樹の旅+α」(苦笑)。

■ 青蓮院
 訪れた目的は「クスノキの巨樹」。樹齢数百年を超える老木が五本ほどあります。その迫力はすごいものでした。幹は周囲4~5m、高さ15mくらいでしょうか。張り巡らされた太い根っこには苔が生え、曲がりながら伸びる枝は異様とも云える樹勢を呈し、信仰の対象になり得る雰囲気を纏っていました。

■ 京都御所
 宿泊した京都ブライトンホテルの近くにあるので、朝食前に散歩がてら出かけました。それにしても道や建物や樹木のサイズが全て大きく、散歩する京都市民が小さく見えます。
 ここにもクスノキをはじめとした巨樹が散在し見応え十分。南西部に位置する宗像(むなかた)神社の境内には樹齢400年と600年の大クスが鎮座しています。それにしても、お社の檜皮葺(ひわだぶき)っていいですねえ。ヒノキの皮を剥いで重ねて竹のクギで固定したものです。私は瓦屋根より「日本」が感じられるので好きです。というより、お寺より神社の方が好きなんだなあ。
 あっちの大樹、こっちの大樹・・・パシャパシャ写真を撮りまくり、気がついたら1時間が経過していました。
 話は脱線しますが、ブライトンホテルの和朝食は噂に違わず美味でした(ルームサービスの松花堂弁当は今ひとつ)。

■ 上賀茂神社・下賀茂神社
 賀茂一族は京都に都が置かれる前(つまり平安時代以前)に一帯を支配していた氏であり、その氏神を祭ったお社が賀茂神社です。
 つまり天皇家より歴史が古いことになり、仏教伝来以前から存在する神社なのですね。
 上賀茂神社では本殿の特別公開期間中でした。
 ふだんは見ることのできない古の神社の内部・・・ここまで来て見ずに帰るわけにはいきません(笑)。
 神主さんの神社縁起の解説もありました。お寺の説教のように押しつけがましくないところが良いですね。
 ふだん非公開の本殿・権殿は檜皮葺の屋根の小さめのお宮、神様がそこを21年に1回行き来するそうです(式年遷宮と呼びます)。ふだん、お社の前に広がる板の間で1年に数十回儀式が執り行われるそうです。その際、参拝人は中に入れません。つまり、一般市民の知らないところで、国の平安・安泰や民の健康を祈る儀式が1300年以上前から脈々と受け継がれ、途絶えることなく続けられてきたことになります。

 なんということ!
 日本の信仰の奥深さを垣間見た瞬間でした。
 自分の知らないところで、自分のことを思い、祈ってくれている人たちがいるなんて・・・しみじみと幸せ感が満ちてきました。
 現在、まさに式年遷宮が執り行われており、境内の社群を修復しています。カンパというか協賛を募っていました。檜皮葺の屋根に使うヒノキの樹皮一枚2000円。私も一口乗りまして、樹皮の裏に「家内安全」と自分の名前を書いてきました。
 これでいにしえから続く日本の神様がわが家を守ってくださるでしょう(喜)。

■ 大田神社
 上賀茂神社近くにある小さな神社。5月のGW明けはここのカキツバタの群生が見頃を迎えます。満開一歩手前のタイミングでしたが、池一面に広がる紫色の花々に時を忘れて見とれてしまいます。
 尾形光琳のカキツバタの屏風はここを見て描いたのではないか・・・と推察する文章を読んだことがあります。それほど見事でした。
 上賀茂神社~大田神社の参道沿いに社家(神主の家々)がずらっと並んでおり、こちらも歴史を感じさせます。

■ 糺(ただす)の森
 京都の町の北辺、加茂川と高野川が合流する手前に広がる原生林です。今回の京都行きの筆頭目標で、私が恋い焦がれた場所です。
 なんといっても一つ一つの木が大きく、樹齢数百年の大樹がそこかしこにあります。自分が小人になって森に迷い込んだよう。空を覆う緑の回廊の中を散歩すると自然に抱かれる安心感が沸いてきて癒されます。結構広い場所なのですが、気がつくと、疲れを忘れて端から端まで歩いていました。
 関東地方にはこんな森はないだろうなあ。

■ 河合神社
 糺の森の南西端にある小さな神社。やはり賀茂一族関係のお社です。
 ここで驚いたのが「美麗祈願」。本殿の中央に絵馬ならぬうちわの形に顔を描いた木札がたくさん並んでいました。その顔は一つ一つ異なり・・・というよりクレヨンで色が塗られているのです。
 振り返ると売店でそのうちわ型木札を販売しており、若い女性達が塗り絵をしていました。それを奉納する、というシステム。
 年頃の娘と妻に、ここの神社のお守りを購入しました(笑)。

■ 大徳寺:高桐院
 大徳寺は一休さんや千利休など、話題に事欠かないのですが、私の目的は塔頭の一つ、高桐院。
 井堂雅夫さんというお気に入りの木版画師が作成したこの庭の紅葉風景の版画がすばらしく、一度は本物を見てみたいと今回初めて訪れました。
 旬は紅葉時期ではあるものの、新緑の5月も風情を堪能できました。
 門前から始まる竹林に囲まれ、苔生した道をそぞろ歩き・・・門をくぐるとお庭は小宇宙を形成しています。白砂ではなく苔の庭です。この方が日本らしくて好きだなあ・・・ここでもしばし時を忘れて佇んでいました。日本に生まれたことを感謝したくなりました。

■ 大徳寺:大仙院
 同じ大徳寺内でも、静寂な高桐院とは雰囲気があまりにも異なり驚かされました。
 住職さんが案内してくれるのですが、ちょっと押しつけがましい説教調。
 先代住職はTVタレント化した有名人らしい。ものを売りつける商売という側面もあり、ゆっくり庭を見たい私には興冷め・ありがた迷惑でした(苦笑)。

■ ギャラリー雅堂
 前述した井堂雅夫さんのギャラリーです。時間に余裕があったので最後に訪問しました。
 井堂さんの作品は「日本の情緒」「京都の気品」を表現した素晴らしいものです。私は1990年代の作品「京都散策四部作」を所有していますが、その中の「霜月」(紅葉の庭園)に惚れ込んでいる一人。ギャラリーの人に確認したら、その庭園は高桐院のそれとのことでした。彼の版画は「IDO GREEN」と外国で称賛される水彩画のような柔らかい緑の色使いと灰色・茶色の渋さが絶妙なバランスを保ち、風雅な世界を形成しています。
 近年は「京都百景」という作品があり、これは浮世絵版画の文化を再興しようとベテラン・若手と共にチームを組んで取り組んだもの。「面より線が強調された作品になりました」とギャラリーの人が説明してくれました。私にはちょっとイラストのように見えてしまい、以前の水彩画調の雰囲気が好きですけどね(苦笑)。
 店を訪れるお客さんは外国人の方が多い印象でした。

 今回は出張ついでの観光だったので時間が無く、「観光タクシー」というものを初めて利用しました。料金は4時間超えで15000円。ガイド付きだから高くは感じることなく、運転手さんと話が合って楽しく過ごせました。再開を誓ってお別れしました(笑)。

 気合いを入れてデジカメを新調し写真を撮りまくって帰ってきましたが、パソコンに取り込んでみると変なピントずれや発色不良が多々確認されガッカリ。これは私の撮影技術の問題と云うよりデジカメ心臓部の処理エンジンの問題ではないかと疑い、翌日カメラ屋さんへ行って写真を見てもらったところ「ああ、これは不良品ですね」と一言。新品と交換してくれることになりましたが、時間は戻ってきません・・・私の京都旅行を返せ~(涙)。
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新日本風土記「出雲~祈りの大地 神々のふるさと~」を見て

2010年03月22日 07時36分01秒 | 神社・神道
 出雲大社・・・知っていそうで知らない神社。
 今回、NHK-BSで放映されたので録画して見てみました。
 この「新日本風土記」はオープニングが良いですね。名も無き日本人が声も出さずに黙々と日々を過ごす映像に、奄美大島の歌(声は朝崎郁恵さん?)が造る時空を越えた大和の世界に引き込まれます。

~番組紹介より~
「旧暦の10月10日、全国から八百万(やおよろず)の神々が集まるとされる出雲。今でも、神にまつわる行事や神秘的な光景にあふれる地だ。縁結びの相談のために神々が集う出雲大社は、日本神話と古代史が重なるかのような謎に満ちている。いにしえより今に伝わる、たたら製鉄、相撲、ぜんざいにも、神の姿を見ることができる。千年あまりの時を越え、守り伝えられてきた日本の伝統が息づく出雲を、美しい映像と共に伝える。」

■ 出雲大社縁起
 その始まりは歴史と云うより神話の世界であり、古事記・日本書紀に記されています。
 天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟である素戔嗚尊(スサノオノミコト)はトラブルメーカーのため、天空世界から追放されてしまいます。降り立った土地が「出雲」。そこで妻を娶り、土着し、豊かな生活を得るに至り、子孫は繁栄しました。それを天上界からみていたアマテラスはうらやましくなり、自分の次男である天穂日命を使徒として出雲を譲ってくれないかと当時治めていた大国主(オオクニノヌシ)に詰め寄ります。大国主は「子ども達がよいなら」という条件で了承、2人の子どものうち温厚な兄は了承、しかし気性の荒い弟は拒否し、使徒と戦い、結局敗北を期して出雲を譲ることになります。
 その代償としてスサオノ一族に提供された住居が「出雲大社」だそうな・・・。
 出雲大社を祭る(守る?)職を「宮司」と呼びます。アマテラスの次男の子孫が代々勤めており、なんと現在84代目、神話を信じればアマテラスの子孫(!)ということになります。

■ 巨大木造建築としての出雲大社
 高さ48m(※)あったそうです。1000年以上昔に50m近い建物があったとは・・・人々はどんな思いで見上げたのでしょうか。
 その巨体は直径1mのスギを3本まとめて1本の柱とし、それを9つ造って支えられました。
 これは、近年まで「どこまで本当?」と半分信じられていませんでしたが、遺構が発見され史実として認められたそうです。
※ 番組での解説:この想定は東大寺大仏殿(当時の伝承によれば十五丈・45m)や平安京大極殿より巨大であったとされる。これは平安時代に源為憲によって作られた「口遊」(貴族の子息のための教科書)で数え歌に歌われていること(雲太、和二、京三=出雲太郎、大和次郎、京三郎)を元にしている。

 60年に1回、「式年遷宮」として修理が入ります。
 昭和50年代に行われた際、担当する職人はいにしえの匠の技に驚かされました。
 屋根はヒノキの皮を1m近く重ねたもの。鉄のクギは一切使われず、竹のクギで固定されています。
 鉄は経年変化でどうしてもサビが出てしまい、まわりの木も腐食させてしまうので使わないそうです。
 竹のクギを30本あまり口に含んで尖った方を先に出し(難しそう)、早業でクギを打つ様はまさに職人芸でした。

■ 出雲大社の行事
 現在でも年に60日あまりの行事が執り行われています。その全てに1000年以上の歴史があるのですねえ。

■ 出雲大社ゆかりの言葉
・大黒柱:
 大国主は大きな袋を担いでおり、別称「大黒様」としても有名。
 出雲大社の本殿の真ん中には高さ20mのスギの木があり、これが大黒柱の語源だそうです。
・ぜんざい:
 出雲にはぜんざい屋さんがたくさんあるそうです。これは神在月に食べる神聖なデザートだったそうな。
 「ぜんざい」の語源は「じんざい(神在)」と説明されていました。

■ あの映画との関連
 ここまで書いてきて「あれ?あの映画と重なる事象・言葉がいくつもあるなあ」と感じました。

 現在の宮司は「千家尊祐」氏。
 日本書紀には出雲大社を建てるとき「千尋もある縄を使い・・・」と記載。
 そして、神在月には全国の八百万の神が一堂に会する・・・。

 そう、「千と千尋の神隠し」の世界です。
 まあ、私の想像の域を出ませんが。

 それから、他の番組で竜伝説と川との繋がりを知りました。
 大雨の度に氾濫を繰り返す川を「竜が怒った」として恐れる伝説。
 ん・・・スサノオと云えば「八又の大蛇」成敗伝説。
 この辺も宮崎駿監督は伏線として映画に取り入れているんですねえ。
 いやはや、参りました。
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