NHK-BSで「法隆寺」という番組を見ました。
法隆寺はその昔聖徳太子が建立したと中学校の歴史で習いました。7世紀でしたっけ。
彼は「日本に仏教を取り入れた賢人」「十七条の憲法制定」と、日本人なら誰でも知っている偉人ですね(昔の1万円札の肖像でもありました)。
番組は前編・後編からなり、各2時間弱の圧倒的内容でした。
~番組紹介から~
<前編>
「世界の至宝・法隆寺の国宝全て紹介する特集番組。前編は昨年行われた科学調査から浮かび上がった世界最古の木造建築の謎を追いながら、飛鳥時代の宝物を中心に紹介する。
法隆寺の国宝をすべて紹介する。前編は、世界最古の木造建築に秘められた謎を追う。寺を創建した聖徳太子の死後、法隆寺は火災で全焼したとされているが、誰がいかにして寺を再建したのかは謎とされてきた。2008年、建物の年代を探るための科学調査が進められ、日本に異国の宗教・仏教が根づいた時の知られざる物語が浮かび上がってきた。至宝、名建築をご覧いただきなら、神秘的な古代史のロマンをたんのうしていただきたい。」
<後編>
「法隆寺の伽藍や宝物はがいかにして造られ、守られてきたのか。後編は技をキーワードに法隆寺が1400年の風雪に耐えた秘密を古式豊かな行事を交えてお伝えしてゆく。
後編では「技」をキーワードに、至宝がいかにして造られ、守られてきたのかを追う。1300年の風雨や地震に耐えて立ち続ける法隆寺の伽藍(がらん)。解体修理したときの秘蔵のフィルムを手がかりに、古代工人が持っていた驚きの技術や職人たちの絶え間ない努力に迫る。さらに、至宝が生み出され、守り伝えられた背景にあった、聖徳太子への篤(あつ)い信仰を、法隆寺に伝わる四季折々の古式豊かな行事を交えて伝える。」
法隆寺修復の際に学術調査が入り、そこから判明した歴史上の新事実を織り交ぜての内容です。
■ 法隆寺は聖徳太子が造った仏教研究所。金堂は「聖徳太子記念館」。
当時、仏教は伝来したばかりでまだ日本中に広まっておらず、「異国の宗教」と捉えられていました。仏教普及の拠点として当初は立てられたようです。
しかし完成から半世紀後、法隆寺は火事で焼失してしました。その時既に聖徳太子は没し、一族も政争に敗れて絶えた後でしたが、それでも法隆寺は再建されました。
誰が何の目的で?
再建された位置や仏像の配置から推測すると、再建は天智天皇・持統天皇が唐に対抗するために日本国内を統一する必要性を感じ、異国の宗教である『仏教』を利用して聖徳太子を「日本に現れた釈迦の再来」と崇めたようです。
その証拠に、金堂に祭られている仏は聖徳太子の姿を等身大に写したものです。こんな仏は他に例がありません。
・・・現在はあって当たり前と感じる天皇制が安定したのは、実はこの時代からなのですね。わかりやすく云うと、宗教を政治利用したことになります。それも故人の聖徳太子人気にあやかって「現人神(アラヒトガミ)」に仕立て上げたと捉えることもできます。
あれ、これって明治維新で国家団結のために天皇を「現人神」とした宗教を起こし、従来の仏教・神道・儒教を否定した明治政府と共通するところがありますねえ。
違うところは聖徳太子は平和志向、明治維新は戦争志向・・・真逆です。
■ 聖徳太子の仏教者としての宗派は?
歴史でならいました? 私は覚えていません。
正解は「法華経」中心です。
■ 法隆寺・聖徳太子はなぜ消えることなく現在も伝えられてきたのか?
前述の通り、天皇家が太子を利用するために保護してきたからと、女性救済を訴えるお経を取り入れ、徐々に庶民へ信仰が広まっていったから、とされているようです。
■ 仏像の素材としてクスノキは日本固有のもの
トトロの住み処として有名になった感のあるクスノキ。これを仏像彫刻に用いているのは日本くらいらしい。つまり古(いにしえ)の仏像は素材により生産国が推定可能と云うこと。
■ 年輪で木材が切り出された年代が正確にわかる。
年輪幅の基礎データがあれば、木材の年輪幅を測定して重ね合わせて一致するパターンを見つければ、正確な年代が推定可能・・・まるで指紋検査のようでした。法隆寺金堂の木材は西暦688年に切り出されたことが判明!
・・・法隆寺の年中行事の一つに先日亡くなった立松和平さんが参加している映像があり、懐かしく拝見しました。
法隆寺へは中学校の修学旅行で行きましたが、金堂の薄暗い中に仏様がいた雰囲気しか覚えていません。
また行ってみたいなあ。1300年前の柱に触ってみたい。
それから、個人的に一万円札は福沢諭吉より聖徳太子の方が好きですね。
明治維新って、必要に迫られて起きた史実ではあるんだろうけど、それまでの日本の伝統をバッサリ切ってしまった罪は大きいと思います。おかげで日本人は自分たちの国・歴史に自信が持てない情緒不安定な国民になってしまったのですから。
現在も茶髪の若者(~中年)を見かける度に「日本人でいることに誇りを持てない」潜在意識を感じて悲しい気持ちになります。本人は意識していないでしょうけど。
それまでの生活に根ざした宗教(神道・仏教・儒教)だけでなく、伝統医学も否定してくれたおかげで、いまだに日本人の体質にあった漢方医学が復権しきれていません。
法隆寺はその昔聖徳太子が建立したと中学校の歴史で習いました。7世紀でしたっけ。
彼は「日本に仏教を取り入れた賢人」「十七条の憲法制定」と、日本人なら誰でも知っている偉人ですね(昔の1万円札の肖像でもありました)。
番組は前編・後編からなり、各2時間弱の圧倒的内容でした。
~番組紹介から~
<前編>
「世界の至宝・法隆寺の国宝全て紹介する特集番組。前編は昨年行われた科学調査から浮かび上がった世界最古の木造建築の謎を追いながら、飛鳥時代の宝物を中心に紹介する。
法隆寺の国宝をすべて紹介する。前編は、世界最古の木造建築に秘められた謎を追う。寺を創建した聖徳太子の死後、法隆寺は火災で全焼したとされているが、誰がいかにして寺を再建したのかは謎とされてきた。2008年、建物の年代を探るための科学調査が進められ、日本に異国の宗教・仏教が根づいた時の知られざる物語が浮かび上がってきた。至宝、名建築をご覧いただきなら、神秘的な古代史のロマンをたんのうしていただきたい。」
<後編>
「法隆寺の伽藍や宝物はがいかにして造られ、守られてきたのか。後編は技をキーワードに法隆寺が1400年の風雪に耐えた秘密を古式豊かな行事を交えてお伝えしてゆく。
後編では「技」をキーワードに、至宝がいかにして造られ、守られてきたのかを追う。1300年の風雨や地震に耐えて立ち続ける法隆寺の伽藍(がらん)。解体修理したときの秘蔵のフィルムを手がかりに、古代工人が持っていた驚きの技術や職人たちの絶え間ない努力に迫る。さらに、至宝が生み出され、守り伝えられた背景にあった、聖徳太子への篤(あつ)い信仰を、法隆寺に伝わる四季折々の古式豊かな行事を交えて伝える。」
法隆寺修復の際に学術調査が入り、そこから判明した歴史上の新事実を織り交ぜての内容です。
■ 法隆寺は聖徳太子が造った仏教研究所。金堂は「聖徳太子記念館」。
当時、仏教は伝来したばかりでまだ日本中に広まっておらず、「異国の宗教」と捉えられていました。仏教普及の拠点として当初は立てられたようです。
しかし完成から半世紀後、法隆寺は火事で焼失してしました。その時既に聖徳太子は没し、一族も政争に敗れて絶えた後でしたが、それでも法隆寺は再建されました。
誰が何の目的で?
再建された位置や仏像の配置から推測すると、再建は天智天皇・持統天皇が唐に対抗するために日本国内を統一する必要性を感じ、異国の宗教である『仏教』を利用して聖徳太子を「日本に現れた釈迦の再来」と崇めたようです。
その証拠に、金堂に祭られている仏は聖徳太子の姿を等身大に写したものです。こんな仏は他に例がありません。
・・・現在はあって当たり前と感じる天皇制が安定したのは、実はこの時代からなのですね。わかりやすく云うと、宗教を政治利用したことになります。それも故人の聖徳太子人気にあやかって「現人神(アラヒトガミ)」に仕立て上げたと捉えることもできます。
あれ、これって明治維新で国家団結のために天皇を「現人神」とした宗教を起こし、従来の仏教・神道・儒教を否定した明治政府と共通するところがありますねえ。
違うところは聖徳太子は平和志向、明治維新は戦争志向・・・真逆です。
■ 聖徳太子の仏教者としての宗派は?
歴史でならいました? 私は覚えていません。
正解は「法華経」中心です。
■ 法隆寺・聖徳太子はなぜ消えることなく現在も伝えられてきたのか?
前述の通り、天皇家が太子を利用するために保護してきたからと、女性救済を訴えるお経を取り入れ、徐々に庶民へ信仰が広まっていったから、とされているようです。
■ 仏像の素材としてクスノキは日本固有のもの
トトロの住み処として有名になった感のあるクスノキ。これを仏像彫刻に用いているのは日本くらいらしい。つまり古(いにしえ)の仏像は素材により生産国が推定可能と云うこと。
■ 年輪で木材が切り出された年代が正確にわかる。
年輪幅の基礎データがあれば、木材の年輪幅を測定して重ね合わせて一致するパターンを見つければ、正確な年代が推定可能・・・まるで指紋検査のようでした。法隆寺金堂の木材は西暦688年に切り出されたことが判明!
・・・法隆寺の年中行事の一つに先日亡くなった立松和平さんが参加している映像があり、懐かしく拝見しました。
法隆寺へは中学校の修学旅行で行きましたが、金堂の薄暗い中に仏様がいた雰囲気しか覚えていません。
また行ってみたいなあ。1300年前の柱に触ってみたい。
それから、個人的に一万円札は福沢諭吉より聖徳太子の方が好きですね。
明治維新って、必要に迫られて起きた史実ではあるんだろうけど、それまでの日本の伝統をバッサリ切ってしまった罪は大きいと思います。おかげで日本人は自分たちの国・歴史に自信が持てない情緒不安定な国民になってしまったのですから。
現在も茶髪の若者(~中年)を見かける度に「日本人でいることに誇りを持てない」潜在意識を感じて悲しい気持ちになります。本人は意識していないでしょうけど。
それまでの生活に根ざした宗教(神道・仏教・儒教)だけでなく、伝統医学も否定してくれたおかげで、いまだに日本人の体質にあった漢方医学が復権しきれていません。