知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

BSアーカイブス ハイビジョン特集「小田実 遺(のこ)す言葉」

2013年02月10日 09時11分58秒 | 日本人論
 2012年12月に録画してあったものを視聴しました。

 小田実(まこと)さんと云えば世界中を歩いた貧困旅行記「何でも見てやろう」で1960年代に一躍有名になった作家です。
 バックパッカーの走りであり、その後「自分探しの旅」が若者の間で広まったきっかけを作った人でもあります。
 その経歴は超エリート。東京大学卒業後、フルブライト基金でハーバード大学へ留学しています。
 ベトナム戦争に反対した市民運動「ベ平連」の主催者の1人でもあります。
 著作もたくさんあるのですが、文学賞などとは無縁でした。
 解説の作家、高橋源一郎さんは「市民目線の活動家である小田さんは高みに居座る文壇とは相容れない雰囲気があったのでしょう」とコメントされていました。
 私から見ると「行動する知の巨人」ですね。

 小田さんが世界旅行から帰国した当時、日本は安保闘争という名の学生運動が真っ盛りでした。
 流れとしては合流しそうな小田さんでしたが、距離を置いて見ていました。
 その時頭にあったことは「彼らは日本の自分達のことしか考えていない」だそうです。
 世界を見てきた小田さんにとって、視野の狭い目的に向かっている学生運動に違和感を覚えたのでしょう。

 彼は日本という国の特徴を「平和主義」と呼びます。
 戦後、日本経済は世界トップレベルに達しましたが、他の大国はおしなべて「軍需産業」を核として発展・隆盛を極めたのに対し、日本は軍需産業に手を出していない。このように平和主義を貫いて発展した国は世界を見渡しても希有な存在であり、もっと誇りに思うべきだとコメント。

 しかし、昨今の世界情勢や隣国との微妙な綱引きから、他国と同じ軍需産業依存の方向へ流される要素もあり、それを懸念していました。

<参考>
小田実HP
こちらで番組の動画が閲覧可能です。
 ベ平連の記者会見場面で、作家の開高健氏が小田さんの隣で大人しくちょこんと座っているのが印象的でした。
コメント
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