知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「平成の名香合~香道 五百年の父子相伝~」

2015年08月15日 16時17分03秒 | 日本の美
 2009年制作の番組を再放送で視聴しました。
 
<解説>
わずか数ミリの香木を熱すると“日常では出会えない不思議な香り”が漂う。感性を研ぎ澄まし、それに身をゆだねるのが香道。室町時代から五百年にわたり香道を受け継ぐ志野流では、奥義が「父子相伝」で継承されてきた。2009年2月、究極の催しとされる「名香合」が、80年ぶりに開かれた。「六十一種名香」と呼ばれる最高級の香木を味わうもので、ごく限られた秘録と口伝によって継承されてきた。番組では、香木が生み出す、豊な世界を紹介する。


 名香木の走りは正倉院に保存されていた「蘭奢待(らんじゃたい)」。それほどの歴史があるのです。
 香は“齅ぐ”ではなく“聞く”と表現し、その香りは「五味」に分類されるそうです。

 香道では香木の香質を味覚にたとえて、辛(シン)・甘(カン)・酸(サン)・鹹(カン・しおからい)・苦(ク)の5種類に分類する。これを「五味」という。

 番組の中では、
 :香辛料(チョウジ、コショウ、トウガラシなど)の辛さ
 :ハチミツの甘さ
 :ウメボシなどの酸っぱさ
 :海藻を火にくべたときの磯の香り
 :柑橘類の皮を火にくべたときの苦味
 と紹介していました。
 実はこれ、漢方の生薬の味の表現法と同じなのです。まことに興味深い。

 また、名香合に招待された人々の肩書きに驚きました。
 尾張徳川家当主・徳川義崇氏、冷泉家当主夫人・冷泉貴実子氏、慈照寺(銀閣寺)住職・有馬頼底氏、近衛家次期当主・近衛忠大氏。
 彼らが二つの香を聞き、それを言葉で表現するとともに優劣をつけるという高度の遊び。
 当然、教養がないとできない貴族的遊びです。
 一般の日本人には馴染みのない「香道」の奥深い世界を垣間見たような気がしました。

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BS歴史館「大江戸・妖怪ブーム」

2015年08月15日 15時57分52秒 | 民俗学
 いつの放送だったんだろう・・・たまっていた録画を夏休みなので見てみました。
 出演はレギュラーメンバーの他に、荒俣宏氏、そして民俗学者の小松和彦氏。
 小松先生はその著作を何冊か読んだことがあるのでなじみの人物でしたが、本物を目にするのは初めて(笑)。

 その昔は怖い&恐ろしいだけの存在だった妖怪が、現在のような「怖いけど親しみのある存在」というイメージに落ち着いたのは江戸時代だそうです。
 妖怪の図鑑が発行され、大きなブームとなったそうな。

 本来、妖怪とは存在してはならない“もののけ”でした。
 江戸時代の思想の規範である朱子学(儒教)では妖怪の存在を認めていません。
 また、仏教は死んだ人を成仏させることも仕事ですが、その失敗例として妖怪が存在することになります。
 つまり、江戸時代の妖怪ブームは、時代を支える思想が破綻を来した結果として生まれたのです。
 そして妖怪は社会のひずみを風刺する手段として利用されるようになりました。

 江戸末期に妖怪を学問として研究した人物がいました。
 彼の名前は平田篤胤。
 そこに至る前に、平田はありとあらゆることを学び研究しました。
 仏教・儒教・西洋の学問・・・しかし、どの分野でもわからないことが残ることに疑問と不満を持ちました。
 分析的な西洋の学問もいよいよ説明できないことが出てくると「神の領域」として逃げてしまう。

 妖怪の存在をも認めるような学問、民衆が安心できる思想を生涯求めた彼は、最終的に日本神話にたどり着きます。
 死んだ人は見えないけどすぐそばにいるんだよ、という安心感が日本人に一番馴染むことを発見したのです。
 彼の思想は尊皇思想へつながり、明治維新を民衆側から支えることになりました。 

 ・・・という解説にうんうん頷きながら視聴しました。
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