知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「本居宣長とは誰か」

2017年05月04日 07時34分29秒 | 日本人論
本居宣長とは誰か」(子安宣邦著)
平凡社新書、2005年発行。



 日本好きな私は、以前から江戸時代の国学者である本居宣長という人物に興味があり、手ごろな本はないかなと探してこの新書をたどり着きました。
 入門書のつもりで読みはじめたところ・・・なんだかとてもわかりにくく、読みづらいのです。
 なぜなんだろう? と感じつつも強引に読了し、後書きを読んでその理由がわかりました。

 宣長は日本のアイデンティティを巡る最初の言説的構成者であった。
 宣長を今読み直すのは、彼に従って「日本」をもう一度言説上に作り出すためではない。宣長に従って「日本」を再構成するといったことは、すでに昭和初期の日本で盛んに行われたことである。私たちに今必要なのは、宣長における「日本」の再構成作業そのものの検討である。


 著者の中では「宣長による日本論の解説」ではなく「宣長の業績の再評価・再検討」という位置づけなのです。
 つまり、現在の宣長像は正しいのか?という自問自答で展開する内容なのでした。
 すると、「現在の宣長像」を知らない私のような読者は混乱するばかり、ということになります。
 
 残念。
 読むんじゃなかった、1日無駄にした(?)、と久しぶりに後悔した本でした。
 本居宣長に対する興味が萎んでしまいました・・・。


<備忘録>

□ 『玉勝間』(全15巻)は、宣長の『古事記』や『源氏物語』などの研究過程で書きためた歴史や文学・言語、そして人物などについての覚え書き、そして人生や学問についての時々の感想などを編集した散文集。

□ 漢意(からごころ)
 外部から日本に導入された漢字文化に伴われた儒教などの考え方。
 それに対抗する古意(いにしえごころ)は、漢意を排除することにより明らかにされる日本古代固有の心意。

□ 「もののあはれ」
 宣長は『万葉集』『古今和歌集』『後撰集』『古語拾遺』の歌における「あはれ」の語の用法を分析して、人に歌をもたらす根本的で普遍的な心情概念として「あはれ」を再構成した。
 「もののあはれを知る心」とは、事に触れ、ものに触れることの多い人間の生活において、さまざまに動く心のあり方をいう。
 事に触れて心が激しく動くとき、すなわち「もののあはれ」に堪えないとき、人は思わず声に出す、その声は長く、しかも文なる言葉となるだろう、それがすなわち歌なのだ。

□ 物語を読むということ
 物語を読むことは、かつては音読を通じて複数の人々に同時的に共有されるものであったが、やがて一人で個別の空間で読むということに変化した。

□ 『源氏物語』を読むということ
 もののあわれは知る心から作者(紫式部)は、もっとも「もののあはれ」を知る人をもっともよき人として物語を書き出し、読者はその「もののあはれ」を知る人々の物語に深く共感し、「もののあはれ」をともにする、それが『源氏物語』を読むことである。
 人はすぐに勧善懲悪の教えと解しようとするが、それは浅々しい理解であり、紫式部の本意ではない。
 物語の意味とは、人情とかくあることを人に教えるところにある。

□ 『古事記』と『日本書紀』の位置づけ
 『日本書紀』を歴史書と呼ぶことに我々は躊躇しないが、同様に『古事記』を歴史書だということには躊躇する。
 『古事記』は神武天皇以降の人の世の記録としてよりも、神の世の説話的記録としての特質を持つ。『古事記』は後の『伊勢物語』などの歌物語の祖型としての性格が強い。『古事記』は『日本書紀』のサブテキストとみなされてきた。
 『日本書紀』神代巻は神道家にとっての神典であり、神道の教えといわれるものは、この神代巻の解釈として説かれていった。そのあり方に疑いを持った宣長により『古事記』は再発見され、『古事記』こそが第一の神典の意義を担うことになる。

□ 宣長の「漢字借り物観」
 宣長は『古事記』のテキストを構成している漢字を、やまと言葉を表記するために借りた文字だと考えた。漢字は借り字・仮り字すなわち仮名・仮字である。漢字が仮名であるのは万葉が長そうであった。しかし宣長は『古事記』のテキストを構成する漢字を基本的に仮名と考えた。
(例)『古事記』冒頭部分は「あめつち」が先であって、それに漢字「天地」が当てられたと考える。
(例)やまと言葉「かみ」に漢字「神」を当てているだけ。

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「乙巳の変 蘇我氏はなぜ滅ぼされたのか?」

2017年05月04日 07時12分49秒 | 歴史
前項の蘇我氏つながり。
物部氏との抗争に勝利し、4代100年に渡り繁栄を謳歌した蘇我氏は「乙巳の変」であっけなくその座から引きずり下ろされました。

「乙巳の変」ってなに?
それが起きたのは645年・・・ん? これって歴史の授業で覚えた「大化の改新」の年号ではないの?

そうなんです。
近年、大化の改新は645年にまとめた行われたのではなく、乙巳の変をきっかけにゆっくりと整備されたことが判明し、分けて呼ぶようになったそうです。

■ 英雄たちの選択「古代史ミステリー 乙巳の変 蘇我氏はなぜ滅ぼされたのか?」
BSプレミアム:2017年4月20日
出演者ほか【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】倉本一宏,小島毅,宮崎哲弥,【語り】松重豊
<番組内容>
 西暦645年、クーデターによって、蘇我蝦夷・入鹿父子は死に、権力をほしいままにしていた蘇我氏はあっけなく滅亡した。古代史最大のミステリー乙巳の変の真相に迫る。
<詳細>
 今年3月、飛鳥地方最大級の古墳の存在が明らかになった。一辺70メートルの方墳は、石舞台古墳より大きい。蘇我一族の蝦夷の墓ではないかとして注目を集めている。およそ100年にわたって権力の中枢で、キングメーカーであり続けた蘇我氏がなぜわずか2日で滅びたのか?日本書紀の記述が、蝦夷・入鹿父子を逆臣として、悪人と位置づけているのはなぜか?最新の研究成果を交えて、乙巳の変にまつわる謎に徹底的に迫る。


磯田氏による「日本でクーデターが成功するポイントは3つある」という解説を興味深く聞きました。
そしてクーデターが起きた後、大変革がなされるかというとそうでもなく、同じようなことを繰り返しているという指摘も頷けました。
要は、改革はゆっくりやらないと成功しない。
急いで強引にやると、周囲が付いてこれないので不平不満がたまってしまう。

なるほど。

乙巳の変 〜 大化の改新
秀吉の天下統一 〜 家康の江戸幕府
幕末の開国政策 〜 明治維新

これらのすべてが、先鞭を付けた人は引きずり下ろされ、跡を継いだ人がゆっくりと(内容はそう変わらない)改革を実行しています。
ロシアのゴルバチョフとエリツィンもそうかな。

また、蘇我氏は一族・親族で合議を牛耳りましたが、族長は常に蘇我氏直系が握る一人勝ち状態で、親族に譲らなかったことも不満分子を育てる一因になりました。

そこにつけ込んで内部崩壊を企んだのが中臣鎌足。
彼が起こしたクーデターが「乙巳の変」です。

では鎌足はどんな政治を行ったのか?
蘇我氏が行おうとした改革を、急がずゆっくりと行っていったのです。
中臣氏は藤原氏と名を変え、栄華を誇ることになりました、とさ。

現在も名字に「藤」のつく人々は、みんな藤原氏の末裔ですよ。
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仏教伝来のインパクト

2017年05月04日 06時42分06秒 | 寺・仏教
 2年前に録画してあった番組をGWに見ました。

■ BS歴史館 シリーズ 日本のインパクト(2) 仏教伝来~古代ニッポンの文明開化!?~
出演 : 籔内佐斗司 、馬場基 、熊谷公男
司会 : 渡辺真理
語り(語り手) : 古屋和雄

6世紀半ば、日本に朝鮮半島から仏教が伝来。その衝撃は、すさまじいものだった。それまでの「神は見えないもの」という日本人の常識を覆して、キラキラと輝く仏像が出現したのである。このときの仏像の鋳造技術や寺院の建築技術は、「古代ニッポンの文明開化」とも言うべきインパクトを与えた。さらに、21世紀の新発見から日本最初の本格的寺院・飛鳥寺建立の驚くべき真相が明らかになった。日本仏教の知られざる原点を探る。


 今は無きこの番組、好きでした。
 テーマ曲も私のお気に入りのナットキングコール「Too Young」ですし。
 一つの史実について、関連各方面の専門家がそれぞれの視点から意見を述べてディスカッションするのです。
 ただの解説番組とは異なる展開がスリリング。

 それまで日本民族は神道(自然崇拝)を信仰してきました。
 天皇は八百万の神と民をつなげる祭祀者でした。

 そこに突然、キンキラキンの仏像を崇拝する外国宗教の導入を迫られたら・・・大変な騒ぎになりますよねえ。

 一般に、蘇我氏は導入派、物部氏は反対派とされていますが、物事はそう単純ではなく、当時の政治情勢も絡んでいたようで、仏教導入はメインではなくサブという位置づけで説明されていました。
 
 蘇我氏は渡来人を集めて勢力を伸ばした氏族です。
 蘇我氏は6世紀に「飛鳥寺」を建立しました。日本最古の寺。
 近年、韓国の王興寺の発掘調査により、飛鳥寺との類似性が明らかになりました。飛鳥寺には韓国(当時の百済)の技術がふんだんに使われており、日本独自の建築とは言い難い、という事実も新鮮でした。
 朝鮮半島の国々と日本は、昔から争ったり仲良くしたりを繰り返していたのですね。

 エンディングに籔内氏が発した「日本から仏教を取り除いたら、何も残りませんよ・・・」というコメントが頭から離れません。

<参考>
□ 「仏教伝来〜古代の文明開化」(ブログ)
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