これは愛知県の山奥、奥三河の花祭の掛け声です。
花祭は国の重要無形文化財に指定されています。
秋から冬にかけて、各村で順番に神(≒荒ぶる厳しい自然)を舞を奉納する祭りは、修験者の山伏が伝えたとされています。
天竜川支流の山村は自然が厳しく、その昔、人々は住んでいませんでした。
密教〜修験道〜熊野信仰が日本全国を席巻した平安時代になると、厳しい自然の中で修行する山伏にとって奥三河は理想郷でした。その頃から開拓が始まり、人々が住み始めたようです。
修験者が執り行った大神楽(三日三晩舞続けた)が簡略化したものが花祭であり、神に奉納する役割に加えて山伏の修行という要素も含むため、その舞は激しく、朦朧とした意識状態で舞い続けるという特徴があります。
近年(といっても20年以上前)にプロの太鼓集団「志多ら」(しだら)がこの地域の東園目に住み着きました。
太鼓を思う存分練習できる環境を探し求めてたどり着いたそうです。
現在はメンバーの子どもも花祭に参加するようになり、地域に溶け込んでいます。
この番組を見ていると、子どもが大人たちに、大人たちは厳しい山の自然に「抱(いだ)かれている」という印象を強く持ちました。
昔、元服する13歳までは子どもは神の子と考えられていました。
稚児の舞は、それを地域で見守る温かい大人たちの視線見守られている様子が見て取れました。
13歳になると自立できたことを感謝する舞に代わります。
3世代、いや4世代が一堂に会して命をつないでいくことを言葉ではなく体で理解する貴重なイベントですね。
村に住む人々の縦と横のつながりを結ぶ“絆”という字を体現するのが氏神を祭る神社の祭りであることを改めて感じました。
私の住む地域・世代には村祭りの経験がありません。
■ パナソニックスペシャル「鬼が舞う!鬼は神!人も舞う!」〜奥三河・天竜の懐に残る花祭〜
(2016年6月4日:BS朝日)
<番組概要>
かつて隠れ里といわれた奥三河に伝わる国指定重要無形民俗文化財…4Kカメラで撮影した圧巻の映像美と1年以上にわたる長期取材で克明に描く!
【花祭とは?】
かって、民俗学者の柳田國男、折口信夫らも深い関心を寄せ、”花(花祭)に入らずば、日本の伝統芸能は語れない”ともいわれる奥三河の花祭。
太陽の力の復活を願って八百万の神々を勧請し行われる『霜月神楽』の一種とされ、その起源は700年以上前にさかのぼるという。
7日7夜通した祭事から発展したとされ、祭場の清めの神事からはじまり、神迎え、湯立て、宮人の舞、青年の舞、稚児の舞、巨大な鬼の面をつけた鬼の舞、禰宜や巫女・翁などの神々の祝福、少年の舞、湯で清める湯ばやし、清めの獅子舞、そして神送りまで、数々の次第を休む暇なく、ほぼ一昼夜をかけて、村人、近在の人々、そして、遠来の客までを巻き込んで行う祭りである。
<放送内容>
愛知県境の山間をながれる天竜川水系。奥三河と呼ばれるその山奥で不思議な祭りが行われている。それは花祭、地元では“花”と呼ばれている。
現在、愛知県の奥三河で、伝承地域は15か所。11月から3月の間に、それぞれの集落の独自性をもって伝えられている。
かって、民俗学者・柳田國男に民間芸術を談ずるものは之を知らなければ恥とまで称された花祭。柳田らが着目してから100年近く、日本の精神風土も国の姿も大きく変化した現在。この古典芸能のルーツを窺わせる花祭に、今もまだ人々は熱心に打ち込み、当地のもの以外でも、一度でも触れたことがある者たちを、惹きつけている。その揺さぶられる私たちの心の奥底にあるものとはなんなのだろうか。
この花祭に深い関心を抱いたのは、歴史小説を通じ日本人の魂を描き続ける葉室麟さん。 “営々と受け継がれた祭りは昔の日本人の心をそのまま現代に伝える“生きた歴史”なのではないか?”と語ります。私たちの全てから、音も無く、砂が零れ落ちるがごとく、失われつつある遠くからの記憶、生活の基盤、生き方のしぐさ、それこそが私たち日本人の風儀なのではないだろうか、、、その日本人の風儀がこの祭りにはあるのではないだろうか、、、
そんな思いを抱いて、葉室さんと共に、一年以上にわたり、花祭、それに関わる人々、この山間の地区の生活への取材を行い、何故これほどの祭りが人里離れた山奥に伝わったのか、何故山深い里に遺され行い続けてきたのか、そして人々はなぜ今だに祭りを継承し舞い明かすのか、を感じ、考える。花祭に寄せる人々の想いとともに、古来日本人が受け継いできた魂の源流を辿ります。
ナビゲーター : 葉室麟、ナレーター : 小雪
<参考>
□ OKUMIKAWA HANAMATSURI 奥三河の花祭
花祭は国の重要無形文化財に指定されています。
秋から冬にかけて、各村で順番に神(≒荒ぶる厳しい自然)を舞を奉納する祭りは、修験者の山伏が伝えたとされています。
天竜川支流の山村は自然が厳しく、その昔、人々は住んでいませんでした。
密教〜修験道〜熊野信仰が日本全国を席巻した平安時代になると、厳しい自然の中で修行する山伏にとって奥三河は理想郷でした。その頃から開拓が始まり、人々が住み始めたようです。
修験者が執り行った大神楽(三日三晩舞続けた)が簡略化したものが花祭であり、神に奉納する役割に加えて山伏の修行という要素も含むため、その舞は激しく、朦朧とした意識状態で舞い続けるという特徴があります。
近年(といっても20年以上前)にプロの太鼓集団「志多ら」(しだら)がこの地域の東園目に住み着きました。
太鼓を思う存分練習できる環境を探し求めてたどり着いたそうです。
現在はメンバーの子どもも花祭に参加するようになり、地域に溶け込んでいます。
この番組を見ていると、子どもが大人たちに、大人たちは厳しい山の自然に「抱(いだ)かれている」という印象を強く持ちました。
昔、元服する13歳までは子どもは神の子と考えられていました。
稚児の舞は、それを地域で見守る温かい大人たちの視線見守られている様子が見て取れました。
13歳になると自立できたことを感謝する舞に代わります。
3世代、いや4世代が一堂に会して命をつないでいくことを言葉ではなく体で理解する貴重なイベントですね。
村に住む人々の縦と横のつながりを結ぶ“絆”という字を体現するのが氏神を祭る神社の祭りであることを改めて感じました。
私の住む地域・世代には村祭りの経験がありません。
■ パナソニックスペシャル「鬼が舞う!鬼は神!人も舞う!」〜奥三河・天竜の懐に残る花祭〜
(2016年6月4日:BS朝日)
<番組概要>
かつて隠れ里といわれた奥三河に伝わる国指定重要無形民俗文化財…4Kカメラで撮影した圧巻の映像美と1年以上にわたる長期取材で克明に描く!
【花祭とは?】
かって、民俗学者の柳田國男、折口信夫らも深い関心を寄せ、”花(花祭)に入らずば、日本の伝統芸能は語れない”ともいわれる奥三河の花祭。
太陽の力の復活を願って八百万の神々を勧請し行われる『霜月神楽』の一種とされ、その起源は700年以上前にさかのぼるという。
7日7夜通した祭事から発展したとされ、祭場の清めの神事からはじまり、神迎え、湯立て、宮人の舞、青年の舞、稚児の舞、巨大な鬼の面をつけた鬼の舞、禰宜や巫女・翁などの神々の祝福、少年の舞、湯で清める湯ばやし、清めの獅子舞、そして神送りまで、数々の次第を休む暇なく、ほぼ一昼夜をかけて、村人、近在の人々、そして、遠来の客までを巻き込んで行う祭りである。
<放送内容>
愛知県境の山間をながれる天竜川水系。奥三河と呼ばれるその山奥で不思議な祭りが行われている。それは花祭、地元では“花”と呼ばれている。
現在、愛知県の奥三河で、伝承地域は15か所。11月から3月の間に、それぞれの集落の独自性をもって伝えられている。
かって、民俗学者・柳田國男に民間芸術を談ずるものは之を知らなければ恥とまで称された花祭。柳田らが着目してから100年近く、日本の精神風土も国の姿も大きく変化した現在。この古典芸能のルーツを窺わせる花祭に、今もまだ人々は熱心に打ち込み、当地のもの以外でも、一度でも触れたことがある者たちを、惹きつけている。その揺さぶられる私たちの心の奥底にあるものとはなんなのだろうか。
この花祭に深い関心を抱いたのは、歴史小説を通じ日本人の魂を描き続ける葉室麟さん。 “営々と受け継がれた祭りは昔の日本人の心をそのまま現代に伝える“生きた歴史”なのではないか?”と語ります。私たちの全てから、音も無く、砂が零れ落ちるがごとく、失われつつある遠くからの記憶、生活の基盤、生き方のしぐさ、それこそが私たち日本人の風儀なのではないだろうか、、、その日本人の風儀がこの祭りにはあるのではないだろうか、、、
そんな思いを抱いて、葉室さんと共に、一年以上にわたり、花祭、それに関わる人々、この山間の地区の生活への取材を行い、何故これほどの祭りが人里離れた山奥に伝わったのか、何故山深い里に遺され行い続けてきたのか、そして人々はなぜ今だに祭りを継承し舞い明かすのか、を感じ、考える。花祭に寄せる人々の想いとともに、古来日本人が受け継いできた魂の源流を辿ります。
ナビゲーター : 葉室麟、ナレーター : 小雪
<参考>
□ OKUMIKAWA HANAMATSURI 奥三河の花祭