「核燃の村 苦悩の選択の記録~青森県六ヶ所村~」
2006年、NHK
<番組解説>
使用済み核燃料再処理工場など「核燃料サイクル」の立地で大きな変ぼうを遂げた青森県六ケ所村。
かつての「過疎と出稼ぎの村」は、いま財政力、住民の平均所得ともに青森県一という豊かな村に生まれ変わった。人口は横ばいだが、就職先が増え、村内には若い人の姿が目立つ。
その一方で、開発の是非をめぐって激しい政争を繰り返してきた村の歴史は、いまなお村民の胸に複雑な思いを宿している。貧しいなかでも互いに助け合って暮らしてきた村の人間関係も変わった。
六ヶ所村は当初「大規模石油コンビナート」として開発されるはずだった。1969年、国の新全国総合開発計画に基づく「むつ小川原開発」である。
367戸1811人の立ち退きを含む計画の受け入れをめぐって村は揺れた。村民をまっぷたつに割った激しい村長選挙が行われ、村は開発推進を選択した。しかし、7900ヘクタールに及ぶ土地買収が終ったところで石油ショックに見舞われ、計画は頓挫する。
土地を売って高額の補償金を手にしたものの仕事がない。
そして、広大な空き地となった開発区域にやってきたのは、全国どこにも引き受け手のなかった「核燃料サイクル」だった。
村では再び対立が始まる…。
国や県、大企業によって巨大開発計画が推進されるとき、その舞台となる過疎の村ではいったい何が起こっていったのか?
…NHKに残された過去の映像記録を駆使するとともに、新たな証言によって、人々の思いに迫る。
3年前に「六ヶ所村ラプソディー」というDVDを見たことがあります。
“核燃サイクル”を受け入れることになった村の混乱振りを住民目線で追った作品でした。
今回見た番組はさらに深く掘り下げた内容でした。やはりNHKの取材力はすごい。
4章に分けてストーリーが展開します;
第一章:巨大開発(1969~1973年)
第二章:開発の挫折(1976~1980年)
第三章:核燃立地(1984~1986年)
第四章:そして今・・・
以上が「“核燃サイクル”受け入れ賛成・反対の争いは小さな村の人間関係をズタズタに切り裂いた」という視点で描かれています。
当初は“核燃サイクル”ではなく“むつ小川原開発計画”という名の石油コンビナート誘致話だった。
公害を心配し、ほとんどが受け入れ反対だった。
国や県はお金をばらまくことにより、それを効果的に切り崩していった。
その後、石油コンビナート誘致がオイルショックで白紙となり、土地を売って一時金を得たものの仕事がなくなった住民達は困窮する。
そのタイミングを待っていたかのように、全国的に受け入れ先のない“核燃サイクル”の設置場所として六ヶ所村に白羽の矢が立った。
“核燃サイクル”がどういうものかのか理解不十分のまま、半ば強引に受け入れが決定する。
反対運動阻止目的で、国は機動隊と海上保安庁の船を出動させ(北朝鮮の偵察船と同じ扱い?)、逮捕者続出という現実に、地元民ははじめて「大変なことが起きている」と認識するに至った。
しかし、国からの交付金はお金のない村を潤す甘い蜜であり、歴代村長は反対する気持ちがありながらも拒否することができなかった。
そして現在、六ヶ所村議会議員の多くを建設業者が占めるようになり、反対運動は影を潜めた。
日本のエネルギー問題を核燃料に依存すべきかどうか、何が善で何が悪なのか、正解のない疑問に振り回される日本。
六ヶ所村はその縮図であると感じました。
村民が最後に「自分たちと子どもたちの世代は甘んじる、でも孫達は六ヶ所村から出したい」とあきらめと逃避のコメントを残したことが象徴的でした。
2006年、NHK
<番組解説>
使用済み核燃料再処理工場など「核燃料サイクル」の立地で大きな変ぼうを遂げた青森県六ケ所村。
かつての「過疎と出稼ぎの村」は、いま財政力、住民の平均所得ともに青森県一という豊かな村に生まれ変わった。人口は横ばいだが、就職先が増え、村内には若い人の姿が目立つ。
その一方で、開発の是非をめぐって激しい政争を繰り返してきた村の歴史は、いまなお村民の胸に複雑な思いを宿している。貧しいなかでも互いに助け合って暮らしてきた村の人間関係も変わった。
六ヶ所村は当初「大規模石油コンビナート」として開発されるはずだった。1969年、国の新全国総合開発計画に基づく「むつ小川原開発」である。
367戸1811人の立ち退きを含む計画の受け入れをめぐって村は揺れた。村民をまっぷたつに割った激しい村長選挙が行われ、村は開発推進を選択した。しかし、7900ヘクタールに及ぶ土地買収が終ったところで石油ショックに見舞われ、計画は頓挫する。
土地を売って高額の補償金を手にしたものの仕事がない。
そして、広大な空き地となった開発区域にやってきたのは、全国どこにも引き受け手のなかった「核燃料サイクル」だった。
村では再び対立が始まる…。
国や県、大企業によって巨大開発計画が推進されるとき、その舞台となる過疎の村ではいったい何が起こっていったのか?
…NHKに残された過去の映像記録を駆使するとともに、新たな証言によって、人々の思いに迫る。
3年前に「六ヶ所村ラプソディー」というDVDを見たことがあります。
“核燃サイクル”を受け入れることになった村の混乱振りを住民目線で追った作品でした。
今回見た番組はさらに深く掘り下げた内容でした。やはりNHKの取材力はすごい。
4章に分けてストーリーが展開します;
第一章:巨大開発(1969~1973年)
第二章:開発の挫折(1976~1980年)
第三章:核燃立地(1984~1986年)
第四章:そして今・・・
以上が「“核燃サイクル”受け入れ賛成・反対の争いは小さな村の人間関係をズタズタに切り裂いた」という視点で描かれています。
当初は“核燃サイクル”ではなく“むつ小川原開発計画”という名の石油コンビナート誘致話だった。
公害を心配し、ほとんどが受け入れ反対だった。
国や県はお金をばらまくことにより、それを効果的に切り崩していった。
その後、石油コンビナート誘致がオイルショックで白紙となり、土地を売って一時金を得たものの仕事がなくなった住民達は困窮する。
そのタイミングを待っていたかのように、全国的に受け入れ先のない“核燃サイクル”の設置場所として六ヶ所村に白羽の矢が立った。
“核燃サイクル”がどういうものかのか理解不十分のまま、半ば強引に受け入れが決定する。
反対運動阻止目的で、国は機動隊と海上保安庁の船を出動させ(北朝鮮の偵察船と同じ扱い?)、逮捕者続出という現実に、地元民ははじめて「大変なことが起きている」と認識するに至った。
しかし、国からの交付金はお金のない村を潤す甘い蜜であり、歴代村長は反対する気持ちがありながらも拒否することができなかった。
そして現在、六ヶ所村議会議員の多くを建設業者が占めるようになり、反対運動は影を潜めた。
日本のエネルギー問題を核燃料に依存すべきかどうか、何が善で何が悪なのか、正解のない疑問に振り回される日本。
六ヶ所村はその縮図であると感じました。
村民が最後に「自分たちと子どもたちの世代は甘んじる、でも孫達は六ヶ所村から出したい」とあきらめと逃避のコメントを残したことが象徴的でした。